隠居たるもの、雪渓を眺めて露天風呂。山間にある白馬村にも少しは平たい谷間があって、そこに駅が作られてもいれば、南北に国道148号やJR大糸線が並んで走る。その線路の向こう側に、近隣の青木湖近く親海湿原(およみしつげん)を源流とする姫川が、谷の端っこを蛇行しながら流れている。そのまま北に向かい、新潟県糸魚川市を抜けて日本海に至るこの川の周囲には温泉が湧く。「北アルプスの特等席」とうたう白馬ハイランドホテルもその姫川温泉が源泉だ。谷からすぐの斜面に建っているがゆえ、ここの露天風呂の眺望が素晴らしいとは聞いていた。しかし歩いて気軽に行ける距離ではないから、試すこともなくこれまで過ごしてきた。そして2023年7月7日、朝からきれいに晴れた七夕の日、満を持してようよう初めて、その露天風呂につかろうと意を結したのである。

白馬ハイランドホテルHP:https://www.hakuba-highland.net

「北アルプスの特等席」

確かにこれは「北アルプスの特等席」に違いない。この地の象徴である神々しい白馬三山を、ここまでゆったりと拝むことができる露天風呂、実はそうそうにない。理由は単純にして簡単、立地の問題であろう。つまり標高が高く開けた場所に温泉を構えていることこそ、白馬ハイランドホテルの記すべき特質なのである。低いところの露天風呂は、当然のこと周囲からの視線に晒される。また標高が高くても付近に建造物や人通りがあれば同じこと。「視線」を遮る壁は、それすなわち白馬三山の景観を遮る壁でもある。白馬ハイランドホテルは、谷を挟んで白馬三山側にある我が散種荘近くのいくつかの温泉施設と違って、スキー場と隣り合わせてもおらず近隣に建物が密集していない。そもそも谷から切りたった山の斜面に、そのまま谷を向いて建っているから人の目の届きようがない。正面にこの景観を見据え良質な源泉をじっくり楽しめるのは、実のところここ白馬ハイランドホテルだけなのである。そういえば新型コロナ禍前、夏期シーズンのアルバイト募集広告に添えられた「仕事を終えたら温泉に入浴してOK」という一文に魅惑され、このホテルへの就労を真剣に考えたこともあったっけか。そんなことを思い出しつつ白馬大雪渓を遠くに眺めて風呂につかりながら「ああ、ついさっきまで、あのすぐそばにいたのだよなぁ」、私はそう感慨に耽るのであった。

大慌てでレンタカーを借りて、栂池自然園に出向くことにした

「ニコニコレンタカーとの提携はやめたんだよ。色々あってなんというかね…。こちらはうちから近いから助かるよ。返却は午後5時だね、まあ帰ってきたら電話して。いつもと同じく、少しくらい過ぎていたって構わないからさ」レンタカーを借りるのは昨年の秋以来か。午前10時前に黒いマーチを散種荘まで持ってきてくれた、少し年上と踏んでいる馴染みの社長と久しぶりに話が弾む。朝からきれいに晴れたこの日を境にして週末はずっと雨だという。だから急遽レンタカーを借りて、新調した登山靴をおろすため、栂池自然園まで遊びに行くことにした。急な依頼に嫌な顔することもなく、車を持ってきて、快く回収までしてくれる。それでいてこっそり割引もしてくれる。ニコニコレンタカーかどうかは関係ない、本当に助かる。しかし、あれほど「八方池」と連呼して新調したにもかかわらず、その登山靴のデビューが何故に栂池の湿原となったのか。その理由の一端も、「白馬ハイランドホテルの露天風呂」ここにあった。

*栂池自然園から望む小蓮華山にかかる薄い雲、うっすら彩雲となっていた。

「土を喰らう十二ヶ月」

裏山である八方池ならすべては徒歩でまかなえるが、となると下山後の「ひとっ風呂」も自ずとまた近くに落ち着いてしまう。ここはひとつ趣向を変えてみたい。「じゃあ違う山に」というなら車を借りた方がいい。そういえば、先日に観た沢田研二主演の素敵な映画「土を喰らう十二ヶ月」(原案:水上勉)の撮影地が白馬の谷の向こう側で、彼方から白馬三山を望むその映像がとっても素晴らしかったじゃないか。そうだよ、山に入って汗かいてさ、それをさっぱりと流す温泉だって、車を借りるなら谷の向こう側を選んだっていいんだ。思いついたが吉日、今度こそ白馬ハイランドホテルに足を運んでみよう。よし、そうしよう!そして車を借りるなら行くべき山は決まってる、そう栂池さ!

という軽い熱狂に取り憑かれ、社長に電話し急遽レンタカーを借りて、私たちは栂池自然園に出向くこととなった。そしてホームページを確認してみると、白馬ハイランドホテルは、800円で日帰り入浴客も温泉に入れてくれる。

*「土を喰らう十二ヶ月」の一場面。HPはhttps://tsuchiwokurau12.jp

栂池自然園の最深部は標高2,020m

北アルプスを間近に望む栂池自然園の最深部は標高2,020m、ひゅうっと涼やかな風が吹き渡り気温にして20℃前後。とはいえ標高1,829mのロープウェイ駅から、湿原を抜けてここに辿り着くまでには一部に急な斜面もあるし、なかなか難儀ではある。足を止め高山植物をじっと観察することもあるし、途中で休憩し持参した焼きたらこの握り飯を頬張りもする。自然園を巡る時間はしめて2時間半というところだが、山の下からもろもろ合わせると、アップダウンを伴う全歩行距離はおよそ8km近くにもなろうし、余裕を持つなら4時間みておく必要がある。そしてその間、心地よく汗をかく。山で遊ぶということは、それすなわち「ひとっ風呂」の甲斐をひとつずつ積んでいくことに他ならない。

*最深部まであと少し、右にはモウセン池

もう辛抱できません、ビールを飲ませてください

テーブルの向かいに座ったつれあいの視線が痛い。降りこめられても困らないようついでに買い物もして午後5時ちょうどくらいに散種荘に戻り、社長にレンタカーのピックアップを頼み、荷物をバタバタと片づけ、午後6時から予定されていた、係を務めている大学同窓会の、ちょっとしたオンラインミーティングに臨んでいる。夕食は横着してショーンが経営する白馬ピザのデリバリーで済ませようと打ち合わせていたのだが、休みなんだか電話が繋がらない。ならば「買い置いてある餃子でOK」とプランBですでにコンセンサスもとった。しかしいかんせん、つれあいの視線が痛い。怖い顔して睨んで「風呂も済んでいるのだし、ビール解禁はまだか」とプレッシャーをかけてくるのだ。画面の向こうから先輩方が、「ふふ、ビール飲みながらでいいから」と微笑みつつ認諾してくださった。ああ、もうすぐ隠居の身。今のところこれが、この夏一番に美味しいビールで間違いない。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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