隠居たるもの、幕開けに立ち会い「夏なんだな」と歌う。「今日からこっちなんだ、家まで?昨日たくさん雨が降ったからさ、今日は蒸してるんだよ」2023年7月2日日曜日、白馬駅ロータリーで乗ったタクシーの運転手さんは顔馴染みでご近所さんだ。スーパーで買い込んだ食材を抱えた私たちを乗せ、行き先を聞くこともなく車を動かした。標高が高い分だけ日射しがジリっと感じられる。一夜明け、つれあいが馴染みのパン屋さんのインスタグラムをフォローすると、白馬育ちの店主が「さあ白馬の短い夏を楽しみましょう!」とアップしていた。義父母が暮らす九州地方に線状降水帯が発生しているとのニュースは気がかりだが、強い雨が降った土曜日を境とし、ここ白馬ははっきりと季節が変わったようだ。梅雨明け自体は少し先であっても「深川から白馬へのこの移動をもって夏季シーズンへ移行」と算段していたことに違いなく、とはいえここまで見事にタイミングが合うとは当然のこと思ってもみなかった。

「それとね!今年はクマがずいぶんと出てますんで気をつけてくださいよ!」

ここ白馬の散種荘で夏を過ごすのもこれで3回目。となると「こんな道具があったらいいね」と細々した什器を思いつく。ウッドデッキに拡げる物干し台なんてその最たるもので、汗もかけば来客も多い夏は洗濯物が多い。だからといってこの地は一年通して外干しなどできないし、据え付けの物干し台なぞ冬季の管理を考えれば無用の長物、そこで「折り畳み」である。探してみれば廉価で実用に耐える品物がそこそこにある。そして3日の午前中、そんなふうに探して、深川からインターネットで期日指定し発注したあれやこれやが届く。最後に残ったのは管理事務所気付でしか発送手配できなかった品物、それも担当の方が持参してくださった。「ふう、これでようやくそろった」と安堵して玄関ドアを閉めたのも束の間、管理事務所の担当者が血相変えて引き返し、私たちに注意を喚起する。「それとね!クマです、クマ!今年はクマがずいぶんと出てますんで気をつけてくださいよ!」

スマホに入った白馬防災ナビというアプリからも、6月になって頻繁に「クマ目撃情報」が寄せられていた。担当者によると「今、クワの実の季節ですし。ここからすぐの、あのあたりの道ばたで野イチゴ食べてるやつもいました。去年、どんぐりの実が多く成って食べ物にこと欠かなかったもんで、普段からしたら子どもがたくさん生まれたんです。その子たちが成長して、その中のヤンチャなやつがね、どうやら出てきてしまうようなんです。びっくりして逃げてくれればいいんだけど、動転してこっちに向かって来ちゃうと…。朝方や遅い夕方の時間には注意してください。熊すずを持つとかラジオを鳴らすとか」自生し花をつけたトラノオの花から蝶が蜜を吸い、地中から這い出てきたばかりのカナブンがたたずんでいる、そんな我が庭を背にしながら彼はそんなことを言う。私たちがよく歩く、ジャンプ台にいたる林道でも目撃されたそうだ。

温泉につかって炭火焼きの下ごしらえをする

届いた荷物の梱包をすべてとき、段ボールを片づけ、取り出した什器を意図した場所に配置する。日射しが和らいだところを見計らって、つれあいは庭に出て繁り放題だった草をむしる。いい時間になったから、近所のホテルに「また温泉につからせてもらってよかろうか」と電話する。この一週間ほど、実は腰が思わしくない。そこにもってきてメロン坊や生まれて初めての「お泊まり保育」の大役を担ったのだから、温泉にチャポンとつかりたいというのも人情だろう。馴染みとなったホテルのフロントが「大丈夫、いらしてくださいな」と快く応じてくれる。東京の銭湯は現在1人520円だが、日帰り入浴料として番台よろしくこのホテルのフロントで私たちが支払うのは温泉なのに1人600円、タオル片手にサンダルばきでプラプラ出かけるのはまったく同じ、ただし風呂上がりの道すがら、涼やかな風が下りてくるのは北アルプスから、これまたなんとも贅沢な話である。熊すずを鳴らしながら午後5時には散種荘に戻り、ビール片手に夕食の炭火焼きの下ごしらえを始めたのだった。

お品書きは、とうもろこし、ズッキーニ、スルメイカ、厚切りベーコンおよびホット厚切りベーコンサンド、そして最後に白馬ポーク。

スルメイカこそ石川県産だが、その他の食材はもちろん地場のもの。すべて駅前のスーパーA-COOPで買い求めた。白馬で暮らすようになってから、鮮度に勝るものがないことを知る。7月1日に隣の小谷村で、今をときめく鳥羽周作シェフが、ランチで3,000円の鮭定食を話題にしつつレストラン「NAGANO」を開店したそうだが、食材そろえてウッドデッキに出て炭で焼くだけでこんなに美味しいんだもの、わざわざ隣村まで足を運ぶこともない。小谷村も出資したと聞くが、裕福な自治体というわけでもなく、さぞや頭を抱えてるのではなかろうか。「貧乏くじ」とならないことを祈るばかりだ。

*日本海から山を越えてきたこのスルメイカ、醤油たらして七味ふり、これが美味しい。

ホット厚切りベーコンサンドをほおばりつつ「身長15cm」の謎を解く

冒頭でも触れた馴染みの「白馬の酵母パン」屋さん koubo-nikki(コーボニッキ)のパンではさんでホット厚切りベーコンサンド、これがとんでもなく美味しい。つい饒舌になる。「姪から聞いたところによると、メロンが今のところその概念を理解した上で順番通りに勘定できる最大の数字、それが15なんだそうだ。ほらこの間、そう『お泊まり保育』のときに、測量ごっこをする彼に『大叔父の身長は何センチ?』って訊ねたら、『15cm!』と即答したろ?それすなわち『僕にとって、大叔父はもっともビッグな人』って意味なわけさ」おそらく「どうだ」という顔を私はしていたに違いない。つれあいは「ビッグってなに言ってんだろ、この人は。矢沢永吉じゃああるまいし…」と力のない笑みを浮かべるばかりであった。日が落ち気温も20度を切って白馬ポークの厚切りバラ肉が焼きあがるころ、それは満面の笑みにとって代わるのだけれど。

*浅草は合羽橋、釜浅商店(https://www.kama-asa.co.jp/)の炭焼き台

「夏だな、夏だな、夏なんだな」

今日4日の午前中、裏の平川に足を運んでみた。3日前にたくさん雨が降ったせいで水量が多い。先住者であるクマたちに「ここにヒトがいるからね」と知らしめるため、思いついたようにハーモニカを吹きながら定点観測をする。山の上の雪解け水も混ざっているから、足首までつかると1分と耐えられないほどに水が冷たい。

甲本ヒロトと真島昌利がTHE BLUE HEARTSのあとに↑THE HIGH-LOWS↓というバンドをやっていて、高揚しつつなんとも切ない「夏なんだな」というシングルを発表したのは、私がかろうじて30代だった20年前のことだ。東京の不快な夏にこの曲が頭に浮かぶことはないが、盛りが短い360度これぞ夏という光景に囲まれると、「夏だな、夏だな、夏なんだな」とそのサビをつい口ずさんでしまう。ここ数日がまさにそう。ああ、もうすぐ隠居の身。それに合わせてカッコーも木の上で歌い始めたようだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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