隠居たるもの、未知なる響きに心惹かれる。「魚ロッケ」(ぎょろっけ)なる食べ物をご存知だろうか。私はこの春になるまでその名を聞いたことすらなかった。魚のすり身にタマネギなどの野菜を加え、一味唐辛子などをアクセントに練り込んでピリ辛にし、コロッケのように揚げた魚カツなんだそうだ。佐賀の唐津や大分の津久見などでは「ソウルフード」として親しまれているという。JR東日本に「大人の休日倶楽部」というクレジットカードを媒介とした「会員制クラブ」みたいなサービスがあって、会費を納める本会員にだけ送付し旅にいざなうその広報誌に、この「魚ロッケ」が取り上げられていた。しかもここで特集されていたのは佐賀や大分ではなく「熊本の市電沿い」で、さらに当の「和田かまぼこ店」はこのところ私たちが訪熊するたびウロチョロする新町あたりの立地。自他ともに認める酒飲みな私である、「この組み合わせが奏でるハーモニーやいかに」と気にかかって仕方なく、「必ずやいいつまみになる」と舌なめずり。つまり「立ち寄らない」という手はない。

そもそも「大人の休日倶楽部」とは

今現在の加入資格は65歳以上。しかし男女ともにそろって65歳以上となったのは一年前の春のことで、それ以前は女性のみ60歳からとハードルが低かった。「定年退職した旦那さんが専業主婦である奥さんと連れだってフルムーン旅行に出かけるだろう、となると奥さんの方が普通はいくらか年下なわけで」との目論見でそう設定していたことは想像に難くないが、この期におよんであまりにも古臭いジェンダー観にはたと気づいたのか、つい最近になってようやく改定された。二年前の夏に60歳になったばかりだったつれあいは、誕生日過ぎてすぐに「見習い会員」からの昇格を申し込んでいたため、幸いなこと改定半年前に滑り込みで本会員になることができた。65歳に満たない若輩者である私はまだまだ「見習い会員」のままである。50歳から64歳までの「見習い会員」の割引は5%に過ぎないものの、本会員ともなれば指定券や特急券を含むJRの長距離運賃が盆暮GWを除いて常に30%の割引となる。この割引サービスを得るために若干の年会費を負担するわけだが、その見返りとして旅へといざなう広報誌が定期的に送られてくる。こうした冊子といえども我が庵の敷居を跨いだ以上、貧乏性な私は(風呂やトイレでとはいえ)すべてに目を通す。そこで和田かまぼこ店の記事を目にしたのだった。

ひと月足らずの間に熊本ふたたび

2025年6月13日、私たち夫婦は再び阿蘇くまもと空港に降り立った。急なお弔いで5月半ばにやって来てからまだひと月も経っていない。しかしこの13日から3日間にわたって高齢の義父母のご機嫌うかがいをするのがそもそも立てていた予定で、親族のお弔いと義父母のご機嫌うかがいは趣旨からして両立しないから、結果として訪熊のインターバルが短くなったとはいえ、さして多忙な身にもあらず、予定はそのままに変更を検討することもしなかった。ひと月足らずの間に、熊本はすでに梅雨前線の支配下に入り、気温も30℃を超え夏の気配を漂わせていた。白馬で発症したチャドクガの幼虫による毛虫皮膚炎は、あれから一週間経ったといえども私の両腕と腹部に無惨な痕跡をいまだクッキリと残し、いくらか和らいだものの絶え間のない痒みをもたらしている。それゆえ長袖シャツを脱ぎ捨てるわけにもいかず、排出されず身体まわりにこもる熱気にまとわりつかれ難儀した。しかしひと昔前を想い起こしてみれば、いくら仕事とはいえこの上にスーツの上着だったりジャケットだったり厚手のもう一枚を着用し、とどめとばかりネクタイで首を締め上げてまでいたのである。まったくもって狂気の沙汰だ。

こむらさき 上通中央店

明けて6月14日、雨が落ちてきてはときに激しく降り注ぐかと思えばはたまた上がったり、一日を通して「いかにも南国の梅雨」という天候。朝に、義父をデイサービスの送迎車に乗せ、俳句の会に出かける義母を送り出す。そして午後の遅い時間に義父を出迎える、それまでの間が私たちの「自由時間」だ。常と変わらず市電に乗って街に繰り出し、昼食に熊本ラーメンを食す。ここ最近は下通の黒亭に入ることが多かったのだが、今回は「元祖熊本ラーメン」と豪語する上通のこむらさきをチョイス。鹿児島にも宮崎にも有名な同名の店があるけれど、味も違うしそれぞれにまったく無関係なんだそうだ。久方ぶりのこむらさき、これがまた存外にさっぱりしていて、還暦も過ぎた初老の夫婦には好ましい。このまま「こむらさき派」に鞍替えするかもしれない。

これもまた常と変わらず上通の長崎書店をひやかす。旅の記念とばかり、平積みになっていた岩波書店「世界」7月号を手にする。「男はつらいよ」において、さくらの夫であるひろしが新聞とともにいつも小脇に抱えていたあの雑誌である。買い求めたのは本当に久しぶりだが、薄くなった上に1,045円に値上がりしていていささか驚いた(当然のことではあるが)。調べてみるとひろしが購読していたあのころ、1970年の定価は200円だった(学生だった私が大学の生協で手にしていた1980年代後半で600円くらいだったと記憶する)。お目当ては巻頭特集に大学の後輩が寄稿したトップ記事。気骨溢れるジャーナリストの彼女は、懇意にしていただいている大先輩の娘さんでもある。TBS「報道特集」の編集長として、NHK党の立花など憎悪をたきつけそれを飲み込みながら肥大化するおぞましい連中と怯むことなく日々に敢然と戦っている。頼もしく誇らしい後輩だ。いっそのこと「先輩」と呼びたいくらいだ。

和田かまぼこ店

上通から下通を抜けて、ときおり激しく降る雨を両商店街のアーケードでやり過ごし、背後に聳える熊本城を感じながら、肥後銀行の脇を通って新町に向かう。新町とはいうけれど熊本城の正面にあたるこの地区の歴史は古く、かつては5つの城門に囲まれた城内町で、短冊形の町割の中に武家屋敷と町人町とが混在する珍しい町だったんだそうだ。地図によると、ぐるんと蛇行する坪井川を背にして目当ての店はある。

以前にも通りかかっているはずだが、ここまでくっきりと目を引く掘建て小屋にどうして気づかなかっただろう。「すいません」と声をかけると、店の奥から商品を揚げる手を休めておばさんが店先に現れる。ガラスでできた陳列ケースを上から下、右から左へと眺めまわし、勝手がわからないまま「ええと、魚ロッケ4個とイカフライふたつ…」などと注文していると、軽自動車で乗りつけたおじさんが私たちの後に並ぶ。なるほど、わざわざ車で買いに来るほどに地元で人気の店なのだろう。はたしてその味やいかに。

魚ロッケなる食べ物

かけるべきはソースではなく醤油だ。衣に包まれているのはすり身であるから白身魚フライのようにはっきり魚とは感じないのだけれども、やっぱり魚なのだ。すり身なだけに、かまぼこのクリームコロッケのような塩梅でもある。しかも一味唐辛子でピリ辛風味になっている。ソースなんてバタくさい調味料とは相性が悪い(あくまで個人的感想です)。そして小さな幸せを噛み締めるようにしみじみとうまい。案の定、酒のつまみに最適な珍味である。熊本に着いてすぐにつれあいの親族宅を訪ね、先月に亡くなった姐御肌だった奥さんに線香をあげさせていただいた。その帰りに「2本もらったけん1本持っていかんね」と持たされた、今や高級焼酎となった伊佐美がこの魚ロッケになんとも合う。「大人の休日倶楽部」でまだまだ「見習い会員」に留め置かれている若輩者には、身近なところにだってまだまだ未知の領域は広がっているのである。かつてTHE BLUE HEARTSの甲本ヒロトは「情熱の薔薇」でこう歌った。ああ、もうすぐ隠居の身。なるべく小さな幸せを なるべくいっぱい集めよう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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