隠居たるもの、準備万端整える。気候があからさまに暑く変動している昨今においても、雪国である白馬の夏休みは他に比べて短い。すでに東京の子弟なぞは関東甲信越での梅雨明け宣言とほぼ軌を一にして先週末から長期の休みに入っているわけだが、2024年ここ白馬の夏休みは数日遅れの7月25日からで、反対に2学期は数日早く8月26日に始まる。また白馬は、信州である長野県に位置するとはいえ、北アルプスを越えたら富山という立地からして色濃く北陸の気象の影響を受ける。ゆえにここ数日来、まだ梅雨が明けておらず不安定な大気に覆われている北陸地方と同じく断続的に雨が降る。最高気温が25℃に至らない肌寒い日もあった。しかし、気がつくとあちらこちらに将来の村長を目指すヴィクトワール・シュヴァルブラン・村男III世が寝そべっているなど、夏休みの足音はすぐそこに聞こえてはいるのである。

ブラインドと玄関網戸を新たに取りつける

散種荘で迎える4度目の夏、7月27日よりぼちぼち「夏の行楽客」が散種荘にもやってくる。4年もあれば周囲の環境も変わるし、いい加減に気がつくこともある。「対処すべき」と感取した以上、姪孫たちも来訪することだし、どうにかせねばならない。まず隣地に建ち上がった貸しコテージへの対処である。「緩衝材」となる雑木林をさっぱりと伐採したものだから、建物内にいながらお互い窓越しに正面からバッチリ目が合ってしまう。新築物件とはいえ自分で使う機会を滅多に予定していない先方はおざなりに考えておられるのだろうが、ここで日常を暮らす私たちからすればどうにも気持ちが落ち着かない。だから幅広で白く塗った木製のブラインドをあらためて設置したのだ。これがいい。当然のこと隣家からの視線をやんわりと遮ってくれるし、入ってくる陽光の角度を調整することもできるし、なにしろ爽やかに風が通る。

夏であろうと散種荘で過ごすおりにエアコンを使うことはない。日中でも窓を開けておけば気持ち良く風が通る。玄関ドアを開け放しておけば効果は絶大だ。しかしここに問題が発生する。虫だ。家内にアブなんかが入ってこようものなら(実はよくあることなのだ)ゆるく満ち足りた夏休みの空気が一瞬にして緊迫する。これまでは近隣のホームセンター コメリで買い求めた網(ドアと同幅)を、玄関のテッペンに両面テープで貼りつけぶら下げて、足元で石を重しに置き固定していたのだが、強い風が吹き抜けると一緒になってヒラヒラ舞ってしまうし、なにしろ屋外に出るたびいちいちと手間がかかった。網戸を設置しようにも、玄関の高さがありすぎて、対応する既成の製品がない。ここは思い切って地元工務店に発注することにした。すると、玄関上部にはめ殺しの網戸部分を造作し、最長高の玄関網戸製品を組み合わせ、うまいことこしらえてくれた。私の出身高校のあの先輩であれば「いい仕事してますねぇ」と言ったことだろう。

とりあえず八方池まで登って脚をつくる

「用事があったんで、東京に行ってきたんですよ、昨日。新幹線からすでにこみ上げるようなものを感じてたんですがね、東京駅に着いてホームに下りたとたん、熱気が押し寄せて『うわ、これはだめだ』って、死ぬかと思いましたよ。36℃?生きた心地がしなくてね、戻ってきて長野駅に降り立ってやっと一息つけました。そして夕方に白馬に帰ってきたら19℃でしょう、ホッとしたなぁ。やはり白馬育ちの私なんかに東京はちょっと無理ですね」玄関網戸設置の様子を確認に訪れた地元工務店の社長が世間話ついでにそうおっしゃった。なにも白馬育ちの社長だけではない。東京育ちの私だって「ちょっと無理ですね」と音を上げる。だから夏休み期間のほとんどを白馬で過ごす。しかしそのためには、脚を「山モード」に変換しなくてはいけない。7月23日の天気予報は「雲の多い晴れ」、絶好の山日和である。私たち夫婦は標高2,060m 八方池まで登って脚を目覚めさせることにした。

年齢を重ねるごとに体力は間違いなく落ちている。それに抗う努力はそれなりにするけれど、そのこと自体を気に病む年頃はとっくのとうに過ぎ去った。反対に年齢を重ねたことで手にしたこともある。宵っ張りでいくらでも夜更かしができた私は、反対に朝がめっぽう弱かった。それが今やそこそこに早起きすることがまったく苦にならない。標高が高いところで昼の盛りに遮るものなく陽光を浴び続けるのもキツい。下山して馴染みの店で昼食を取れるよう、朝イチで登ることにした。

平日だからか山はそんな高齢者ばっかりで、還暦あたりの私たち夫婦なぞまだまだ若造である。ゴンドラとリフトを乗り継いで標高1,850m、そこから2,060mの八方池まで、先輩たちの動きは徹頭徹尾ゆっくりとマイペース、ときたま振り向き「さあ、お先に行きなさい」と促すその笑顔、色々大変に勉強させていただいた。その上空を縦横無尽に夥しい数のトンボが飛ぶ。雲に覆われた八方池はそれはそれで幻想的だった。

この日は観光地である白馬村ならでは、中学・高校の恒例課外体験授業の日だったようだ。下山路はトンボの代わりに夥しい数の生徒たちとすれ違う。何人かにひとり必ず朗らかな子がいて、すれ違いざま「こんにちは」と元気がいい。ケルンという石を積んだ道標に到達するたび「1組のみんなは〜」などとかしましい。登りの行程が彼らといっしょだったら大変だった。やはり「早起きは三文の徳」だ。あの子たちは地元を象徴する景勝地を再認識するために、私たち夫婦はあらためて脚を作るために、夏休み直前に山に登っておく必要があったのだ。

「デレク・ジャーマンの庭」のような庭に一区切りつける

前段でもご紹介した通り「デレク・ジャーマンの庭」のような庭と称して、平川の河原から拾ってきた枝っきれを庭の各所に突き立て、それを彫刻と言い張り面白がっているわけだが、早々に反応が現れ驚いている。トンボや小鳥が頻繁にやってきてはその先端にとまるのだ。雨上がりに色鮮やかなキビタキのオスが飛来し、すべてのポイントの「立ち心地」を確かめていたこともある。「デレクの杖」と名づけた最初の作品の「一番乗り」がキビタキのメスだったのだが、せっつかれてそのつがいが現地調査に及んだのかもしれない。「ダンナ、なかなか乙なものをこしらえたね」ウッドデッキにいた私と目が合ったとき、おそらく彼はそう伝えたのに違いない。その後、礼儀正しい彼らは、夫婦そろって我が庭にやってきて、それぞれ違う作品にとまり、私たち夫婦に挨拶をして飛び去った。

日陰をつくるタープも立てたし、土砂降りの雨のなか届いたガーデンタイルも敷いてみた。タイルを平らにならすようぎっくりバッタリやっていたらずいぶんと汗もかいた。我が庭の夏の象徴である野生種の桔梗もぱっかりと花を開いた。北陸地方の梅雨明けは8月に持ち越されるようだが、とにもかくにも、夏休みの準備は万端整った。ああ、もうすぐ隠居の身。60代となり初めて迎える夏である。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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