隠居たるもの、本当ならば今頃…。ザ・ブルーハーツの曲「ラブレター」の歌い出しである。本当ならば今頃、「新幹線に揺られ、バスに乗り白馬に向かっている」はずだったのである。なのに私は、深川の庵で、暖かそうな陽気を窓越しに眺めながら、くたびれたソファでゴロゴロしている。一昨日2月18日の晩、椅子に座って風呂上がりの火照った身体を落ち着かせていたときのこと、なにやらひっそり腰が回らなくなった。意思に反して微動だにしない。恐る恐る力を込めて動かしてみたら激痛が走る。これが話に聞く「ぎっくり腰」か…。
魔女の一撃
ぎっくり腰のことを、ドイツでは「魔女の一撃(Hexenschuss・へクセンシュス)」というそうだ。後ろから箒でひと突きされるがごとく、予期せず唐突にやってくるからそう表現するに違いない。味わった者にしかわからないこの激痛、生まれて初めて経験してみると確かに言い得て妙と感心する。「ぎっくり腰」は通称で、整形外科では「急性腰痛症」と診断されるそうだが、どうしてこんなにも痛いのだろう。omronの「All for Healthcare」によると「腰を支える靭帯や筋肉に急に負担がかかり、断裂を起こし、それが神経を刺激するためです。ちょうど強い捻挫を起こしたのと同じ状態なので、腰の捻挫ともいわれます。しかし、痛みの原因はそれだけでなく、腰の中央に連なる椎骨の関節とその周りの膜(関節包)、さらに椎間板(軟骨)などが傷つき、神経を圧迫することからも起こります。人によって、また原因によっても異なりますが、こうした痛みが重なることで、強い痛みになるのです。中高年の場合には、加齢や運動不足のために腰を支える筋肉が弱くなり、腹筋と背筋のバランスが乱れていることがあります。」ということだった。
支えがないと1ミリたりとも動けない
書斎の椅子に座っていて、調べ物を思いついて、パソコンを操作しただけったのだ。前傾した際に不用意に捻ったのかもしれない。しばらくその姿勢でいたら、「あれ?」という違和感を感じ、そのまま腰が凍りついた。このところ、ジムやウォーキングそしてスノーボードと常に身体を動かしていたから、こちらが予期しないところで腹筋と背筋のバランスが崩れていたのだろうか…。痛みもさることながら、腰にまるっきり力が入らない。ここ数年、夜中に一度トイレに目を覚ますのが習性となっている。膝を抱えるようにしてなんとか横向きに寝ていたこの晩も、規則正しくぱっちり目が覚める。しかし、まったく身動きがとれない。七転八倒の末にようやく身を起こし、壁を支えに危なっかしく2本の足で立ち上がる。だけど、壁をつたってやっとのこと少しずつしか進めない。ベッドを降りてすぐそこのトイレに向かうのに、どれほどの時間がかかったのかはわからない。
熟睡できないまま朝を迎え
各方面に連絡を入れる。近所の若い友人が、ギターを手に入れて練習しているものの、披露する場もなくモヤモヤしていたようだったから、19日の夜に我が庵に「お兄さん、流しにおいでよ」と呼んでいた。37年来の友人である大学時代の同期と、21日の日曜日に八方尾根スキー場で顔を合わせ一緒に滑ろうと約束し楽しみにしていたのだが、さすがにスノーボードは自殺行為だ。それぞれ延期を申し入れる。その後、スキー場談義をしたがる私の主治医に電話を入れ「そろそろ血圧の薬をもらいにうかがおうと考えていたのですが、昨晩ぎっくり腰になりましてね、ハハ、もちろん一歩も動けません。つきましてはつれあいを行かせますので、鎮痛剤を合わせて処方いただけますまいか」と頼み込む。友人たち、主治医、調剤薬局の薬剤師、ありがたいことに「それは大変!」とみなさん諸手を挙げて寛容に対処してくださった。「魔女の一撃」の威力は抜群なのである。
内田百閒「第一阿房列車」を読む
サッカーのフォーメーションからすると、腰はボランチ、攻守の結節点だ。ここが無力化すると、責めることも守ることもどうにもままならない。痛みが顕在化しないよう一日中クタっとしている他に何もできない。痛みと「おそれ」を抱えたままだから、本を読むにしたって集中力を必要とするものを選べない。そこで引っ張り出したのが、夏目漱石の弟子 内田百閒「第一阿房列車」(新潮文庫)だ。百閒は「ひゃっけん」と、「阿房」は「あほう」と読む。還暦を過ぎたあたりの百閒が70年前に著した、目的を持たずただ列車で「移動」する元祖「鉄ちゃんエッセー」だ。だからといって、この本を楽しむために「鉄ちゃん」である必要はいささかもない。「なんにも用事がないけれど、汽車に乗って大阪まで行ってこようと思う」と借金までして一等車に乗る百閒、「用事があるときは、そもそも移動しなければならないから三等車で良いのだが、用事もなくする移動は、それ自体を楽しむ必要があるからこそ一等車でなければいけない」のだそうだ。その借金もまた「生活困窮のための借金でないからこそ後に返済する余地があるのであって、貸す方だってそれなら貸しやすい」と妙に「筋の通った」勝手な屁理屈を名文で並べ立てる。国鉄職員の若い「ヒマラヤ山系」くんを引き連れた珍道中が、なんとも軽妙な脱力ロードムービーとなっている。実のところ人生は用のない旅なのかもしれないし、怠けるには体力が必要なのだ。考えてみれば、私の憧れの「ご隠居」は内田百閒なのかもしれない。
「がんばりません」
「ずいぶん楽になったから」と調子に乗って、机の前でこんなものを書いたり事務作業をしたりしていたら、また痛みがぶり返してきた。「ゴロゴロ」に戻って百閒の続きを読もう。それにしても白馬に行ってからでなくて、深川にいるときでなによりだった。つれあいが「週が明けて火曜日あたりに近所の散歩に出れるといいね」と語りかけてくる。あれやこれやをしてくれる彼女に、うなづきながら「がんばります」と反射的に答えそうになりグッと堪えた。ここは違う。こう答えた。ああ、もうすぐ隠居の身。「うん、がんばりません」