隠居たるもの、そろりそろりと外に出る。5日前となる木曜日の晩、生まれて初めて腰が微塵も回らなくなった。「首が回らない」場面はこれまでにも何度かあったが、腰がここまで動かなくなったことは今までに一度もない。脂汗を浮かべ「これが噂に聞くぎっくり腰か…」と、やり場のない悲嘆を吐露したのが前段だった。すでに経験を済ませていらっしゃる方々からお見舞いやらアドバイスやらたくさんのお声がけをいただいた。その中には「あちゃあ、やっちゃった?うふ…、これはやった者にしかわからないよねえ…」といった趣きのものも含まれている。期待に応えて「仲間が増えたってんで喜んでないか?悔しいねえ、嬉しそうじゃないか…」と、そんな風に憤ってみせる余裕が、いく日か経ってようやくのこと滲み出しつつある。

コンドーくんのとこに行ってくる

ギックリしちゃってすぐの頃、「近所の整体を紹介するからすぐに行ってみては?」とすべてお膳立てをしてくれる友人がいた。つれあいにも贔屓にしている近場の整体があることだし、少し動けるようになったらそのどちらかに駆け込もうかと考えていた。しかし、金曜日、土曜日、玄関の外に出るなんてこれっぱかりも頭に浮かばない。日曜日、時に二足歩行で歩いたり、ずいぶんと自由が効いてくる。4つの夜を過ぎて週が明けた月曜日、腰のまわりもすこぶる軽い。東京の気温は20度を越えて5月上旬の陽気だという。軽い上着を羽織るだけでいいのだからして「よし、外に出よう」と決意する。ここまで条件がそろうと少し欲をかいてもよかろう。未曾有の危機にさらされ、「這ってでも行ける近所で」と柔弱になっていたわけだけれども、そもそも私には6年来通っている贔屓がある。日々に勤めに出ていた時分から頼りにしてきた、日本橋KIZUカイロプラクティックANNEX。「整体」の英訳は「カイロプラクティック」だ。ずっと担当してくれているそこの院長コンドーくんは、私の身体の「成り立ち」を熟知している。大丈夫、今日なら地下鉄に乗れる。「ハハ、実は木曜日の晩にぎっくり腰になっちまってね。そうそう、ようやく動けるようになったんだ。今日にでも頼めるかい?」私はコンドーくんに電話を入れた。

電柱があるとほっとするよー

友人がそう教えてくれた。しかし、コルセットを装着しスタスタ二足歩行をする私にその必要はない。心配なのは階段だった。乗降駅それぞれでエレベーターを使おうとすると著しい遠回りとなる。下るのはなんとかなりそうだが、どうにも上れる自信がない…。待てよ?階段を上らなければならないのは三越前駅だけじゃないか、それならそのためにこそのこの駅なのだから、改札を出てそのままつながっている三越本店別館のエスカレーターを使えばいい。体温を計測されながら地下1階で三越本店別館に入店し、少し回り込んでエスカレーターに乗り1階の正面玄関から店を出る。目の前の日本橋を二足歩行でスタスタ渡り、左手に野村証券本社を見やりつつ中央区日本橋1丁目1番地1号の缶詰の国分(K&K)の前を通り過ぎる。信号を渡った雑居ビルの7階が目的地だ。

なるほど、ギックリじゃありませんね

コンドーくんはフンフンと聴いていた。教えろというから発症の経緯を説明している。ひとしきりうなづいて、いくらか処置を施してコンドーくんはそう言った。「だってギックリしてませんからね。重い物を持ち上げた瞬間に激しいギックリに襲われたわけではないでしょ?風呂上がりに(横着して)上半身を捻ったまま右側に前傾してパソコンを操作して、そのまま痛みもなく腰が動かなくなったんですね?」そりゃあ、そうなんだけれども…「その際に、右側の腹斜筋と腹横筋がこわばって急激に固まってしまったんでしょう。腰というのは背中から腹周りのすべての筋肉を使って動かしますから、右側の腹筋がまるで使えなくなって、いわゆる「腰が抜けた」状態になったんです。痛くて動かせないんじゃくて、動かないものを無理に動かそうとするから痛い、そんな感じですね」なるほど…。「現に、何日か経って腹周りの筋肉の硬直が緩んだら、歩いて地下鉄に乗ってここに来てるじゃないですか。靭帯の断裂による痛みが原因だったら、ここまで早くは回復しないでしょう」なるほど…。「そもそも「ぎっくり腰」というのは通称で正式な傷病名ではありません。だから何をもって「ぎっくり腰」というのかは曖昧なんですけども、あなたの場合はギックリしていないから気をつければ長引くこともないと思います」そう言ってコンドーくんは主に腹周りと腰のお尻に近いあたりばかり、腰の核心部以外を揉みほぐす。緊張が溶けていく。「え?来週後半に白馬に行くんですか?うん、大丈夫だと思いますよ。だけどその前にもう一回、できたら来てください」コンドーくんは私の身体の「成り立ち」を熟知しているのである。

Going Underground

春の陽気に誘われながら、帰りは三越本店別館の世話にはならず、三越前駅出入口の階段を使って地下に降りる。改札前で、懇意にしていたかつての同僚に出くわしてしばし話し込んだ。在宅勤務だなんだといろいろあったから、一年を超えて彼とは顔を合わせていない。名残惜しくも地上と地下に別れ、私は東京メトロ半蔵門線のホームに降りる、とっても長いエスカレーターに身をまかす。心身ともに軽くなり、高校生の時に愛聴していたThe Jamの「Going Underground」を小さくハミングする。やってきた電車は混んでいて、座ることはできなかったが、小さなハミングを続ける私は、軽やかに足でリズムを取っていた。すると、いいことばかりはありゃしない。水天宮駅の少し手前で運転手が急ブレーキをかけやがった。ああ、もうすぐ隠居の身。少しだけギックリした。

参照:日本橋KIZUカイロプラクティックANNEX https://kc-annex.com/

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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