隠居たるもの、ふとした弾みに首ひねる。はたして自分は今いくつになるのだろうか…。もちろん「もしかして30代だったっけ?」などと甚だしく虫のいい勘違いをしているわけではない。だからといって還暦のお祝いをしてもらった憶えはないから「60を過ぎていくつになるのか…」と戸惑っているわけでもない。今現在57歳なのか58歳なのか、それが時として判然としなくなるのだ。すでに早期の定年退職を果たし、周りを見回しながら年齢を指折り数える必要がなくなったからだろうか。そんな1964年生まれの私は、ひと月もしないうちにめでたく58歳になる。

Chim↑Pom展を観に行った六本木ヒルズで思い出すことなど

2022年4月20日、「Chim↑Pom展:ハッピースプリング」を観に六本木ヒルズ森美術館に足を運んだ。Chim↑Pomとは2005年に東京で結成されたアート集団である。海外からも高い評価を受ける彼らの回顧展、本来は東京都現代美術館でこそ開催されるべきだ。しかし悲しいかな東京都現代美術館は権力におもねる御用美術館、鋭い社会批評性を持つ作品の展示は徹底して回避する。ナベツネに忖度して過去にChim↑Pom作品の展示を取り下げたことも現実にあった。かくして森美術館ということになったのであろうが、はたして「このクリスタルな街で」Chim↑Pomとはこれいかに。

「なんなのこの汚い子たちは!このクリスタルな街で!」

私は六本木にほど近い男子だけの中学高校に通い、サッカー部に所属していた。1977年から1983年にかけてのことだ。都会にある学校に広大な土地があるわけもなく、すべての運動部が放課後グラウンドを同時に使うことはできない。確か41年前の水曜日だったと記憶するが、野球部が全面的に使ってサッカー部がグラウンドを使えないその日、私たちは神宮外苑にロードワークに出た。東京タワーから飯倉のソ連大使館(当時、現在はロシア大使館)を素通りし六本木交差点、今は東京ミッドタウンとなった防衛庁の前を走り、乃木坂から青山の神宮外苑へと至る、普段と変わらないコースだった。そこに最寄りの東洋英和女学院の女子大生と思しき3人組が現れ、謂れもなく我々に憤慨してこうのたまわった。「なんなのこの汚い子たちは!このクリスタルな街で!」田中康夫の「なんとなく、クリスタル」が発行された年だった。当の「女子大生」はとっくのとうに忘れているだろうが、57歳になったサッカー部の同級生が集うと今でもみんなで笑い合う。土着の私たちにとって六本木はロードワークで駆ける街であって、ぽっと出の大学生風情に勝手に「クリスタルな街」にされたあげくに「迫害」までされてはたまらない。

わいざつとも思えるChim↑Pomの作品の基調は「過去を、とりわけても一般の人を襲った悲劇を忘れない」というところにある。例えば福島第一原発を題材とした作品たちだ。「なかったことにはさせない」という「なんとなく、熱情」をはっきりと感じさせる。素晴らしい。今となっては滅多に用事などない六本木にわざわざ出向いた甲斐があったというものだ。それにしても「このクリスタルな街」って、他人事ながらなんとも無残なほどに恥ずかしい…。

ひるがえって白馬は桜が満開だった

一夜明けて4月21日、私たちは白馬に向かった。散種荘が完成してから1年半、これまでに季節の移り変わりをあらかた見聞したとはいえ、ひとつだけ経験していないものがあった。満開の桜である。嬉しいことにこの春は時機がぴたりと合った。ここいらは昔からの基本野生種である大山桜が多い。ソメイヨシノと違って花は慎ましく可憐だけど桃色がいくぶん強い。残雪、雪解け、真っ盛りの桜、萌葱色の新緑、足元に群生するカタクリの紫、綺麗に晴れた青空がそれらを引き立て色彩が溢れかえる。我が散種荘の桜も吹き抜けの大窓から私たちを楽しませてくれる。「クリスタル」など足元にも及ばないほどに春の白馬は美しい。

七輪、焚き火、そしてジャンプ台

四十雀や鶯の鳴き声、そしてキツツキが木を叩く音を聴きながら七輪でししゃもとアスパラガスと椎茸を焼いている。22日から遊びにきた友人へのおもてなしだ。お次に控えるは「肴は炙ったイカでいい」、釣り上げるなり漁船で冷凍して出荷された山形のイカだ。ゆっくり時間をかける春の午後、iLBfから道具も届いていることだし、満を持して焚き火をしながらの花見と算段していたんだけれども、風がいくぶん強いんで焚き火はよしといた。ウッドデッキでビールを飲みながらちまちまと七輪で肴を炙る。炭火ってえのは外はパリッと内はみずみずしく焼けてなんともたまらない。

その翌日、桜の花びら舞い落ちる中、性分が執念深いもんでどうにも新着の道具を試してみたくって、友人がそろそろ白馬から去ろうかという昼下がり、庭に落ちている松ぼっくりや枝を集めて軽く焚き火をしてみる。うすら寒かった空気がたちまちにしてぬるむ。これはこれで乙でいい。

今いくつになってどこにいるんだかわからない、当時の女子大生に感謝すべきなのかもしれない。「なんなのこの汚い子たちは!このクリスタルな街で!」に対する反発から私の嗜好が形作られた可能性は否めない。過去と現在はつながっている。「クリスタル」派だったら長野オリンピックの舞台となったジャンプ台のてっぺんにわざわざ立つこともなかろう。この時期(今年だったら4月16日から5月いっぱい)に一般に公開されていると聞き及び、せっかくだからとみんなで行ってみた。リフトとエレベーターを乗りついで、選手たちがスタートする地点まで上がることができ、そしていざその場に立って驚愕する。どうしてこんなところからあんな角度で落っこちていこうなんて考える人がいるのだろうか。高いところは大丈夫と言っていた友人の足元が怪しくておかしい。

ひと月もしないうちに私は58歳になる。55歳の誕生日を期して始めたこのブログも4年目に突入するというわけだ。そして58歳になってしばらくしたら、今度は自分が57歳なのかそれとも58歳か、はたまた59歳になっているのか時として判然としなくなるに違いない。その前に明日26日から私はアルバイトを始める。小遣いを貯めるために。しばらくはそちらに専念してみっちりやろうと思うから、修行に根ざしたこの省察は少なくとも5月いっぱい、遅くとも7月半ば、しばしお休みさせていただく。再開まで、たっぷりあるバックナンバーをお楽しみいただけたら幸いだ。ああ、もうすぐ隠居の身。今後も「クリスタル」には縁がなさそうだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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