隠居たるもの、気心知れた同年代。2025年11月10日夜の叙々苑新宿東口店、大学の同窓それも皆そろって60代の私たちはそれぞれに肉を焼いていた。生でハープが奏でられる大きなフロア、キムチもナムルも肉もそれぞれ一人ずつのプレートで配膳される豪華なコース、もちろんトングも一人にひとつ、どうも勝手が違う。なのにああだこうだ話しているうちいつものわっと焼いて皆でいっせいにつつく調子につい戻ってしまい、「あ、先輩、それ手塩にかけて焼いている私の肉ですから手出ししないでください」「あ、そうだね、ごめんごめん😅」などときまり悪げに笑い合う。

ここは歴史ある映画館 新宿武蔵野館が入るビルの7階、かつてはここも500席の劇場だったのだそうだ。高級焼肉チェーン叙々苑が、感謝の意を込め関係者にのみ提供する期間限定コースにどういうわけかありつく機会を得て、せっかくだからとこうして集ったわけだ。40年を超えて議論を応酬させてきたこの面々とであれば、前提を確認し合う労力も不要、昨今のニュースを巡っても心置きなく激論を交わすことができる。とはいえ話題に上るのはお堅い話ばかりではない。その直前にキムチと勘違いしてホルモンを生で食べてしまい、いささかへこんでいた隣に座る5年上の先輩に私が話しかけた。「そういえば、先輩がLINEで紹介してくださった六角精児のエッセイ集、少しずつ読んで今2冊目の中ほどです。」「面白いだろ?一編一編は短いんだけど、あれはあれで文学になってるんだよ」と先輩は破顔一笑する。

三角でもなく 四角でもなく 六角精児
六角精児をご存知だろうか。私は観ないからその実よくは知らないんだが、水谷豊主演の長寿ドラマ「相棒」で長らく鑑識係をやっていたおかっぱ頭にメガネ、私より2歳年上の音楽活動もしている初老の役者だ。私たち夫婦が主に接しているのはNHK BSで不定期に放送されている「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」。ローカル線に乗って酒を呑み歩くだけののゆるさがいい。番組中にサントラとして流れる六角精児バンドの曲が同年代としてこれまた心の琴線に触れる。「若いころからの偏食がたたり〜♪ 尿酸値が異常に高い〜♪ 痛風に なったようだ〜♪」と切なく歌われる「お父さんが嘘をついた」なぞ笑みを浮かべながらついいっしょに口ずさんでしまう。

その彼が2011年9月から2017年8月にかけて「週刊現代」でエッセイを連載していたんだそうだ。本屋さんをうろつくことを習慣としている私は、単行本化を経てそれらが今年になって2冊の文庫本にまとめられ棚に並んでいることに気づいてはいて、「どうしたものか」と頭の片隅でぼんやりと考えてもいた。そこに先輩の紹介という後押しが加わり2冊同時に買い求めた。これが本当に面白い。ああ見えて3人と離婚し四度の入籍(二度目の入籍をした方とヨリが戻り四度目の入籍、現在は幸せに暮らしているようだ)、ギャンブル依存と借金地獄、とまあいろいろとやらかしているのである。それらを過剰に自己卑下することもなく、好きだからこその呑み鉄旅や地方のスナック探訪そして音楽活動、恥ずかしくておかしいからこそ哀切な追想とともにそんな日常が訥々と綴られる。なんともペーソスに溢れたエッセイ集なのである。
ほんの少し弱くなっただけ
「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」で主題歌のようにかかっている「ディーゼル」という曲がある。ローカル路線のディーゼル列車に乗って故郷に向かっている男の心象を、街から帰ろうとしているのはなにも「負けたんじゃない 逃げるんじゃないさ ほんの少し弱くなっただけ」と歌う。「強くあらねば」と気張ってきて、おかげでもう「強くある」必要がなんとかなくなって、そうとなれば「ほんの少し弱くなっ」た方がかえって背筋も伸びて居心地がいいことに気づく初老の身、この歌がなんだか沁みるのである。ということで私たち夫婦の間では今、六角精児ブームなのである。

東京工業大学附属高校グラウンド前
叙々苑の夜をさかのぼること3日、11月7日に私は中高サッカー部の同期5人と田町に集っていた。私たちの学年で最終学年の最後の試合まで部活を続けた者は7人だ。その中に、群れることを好まず同窓会の類に顔を出すことがない者が一人いる。還暦を機に久しぶりに取り合った連絡の末、「サッカー部のやつらとは会いたいんだ」とようやくこの日に再会を果たしのだった。誰もがもう正確に思い出せないくらいに彼とは何十年ぶり。皆相応に年をとり耳も怪しくなり始めていて、テーブル全体で交わされる途切れぬ会話にあちこちで「え?」と聞き返す情景が頻発したが、それすら笑い飛ばして大変に楽しい夜となった。残念なことサッカー部同期のうちこの夜に参加できなかった者も一人いるのだが、彼と皆で宴席をともにしたのだって一月半前のこと、近いうちに晴れて全員集合と相成るだろう。それにしてもたまたまここは田町、常に私たちが地区大会を戦い、最後となった44年前の試合の会場ともなった東京工業大学附属高校のお膝元である。あんときのお前のダイビングベッドがどうとか、あの先輩が線路にクリアを打ち込んだとか、やはりそんなことばかりが話題に上るのだが、それがどうした、年をとるのもそう悪くない。この夜の「締めくくりはやはりあのグラウンドの前だろう」と意見が一致し、通りががりの人に頼んで、あの当時のサッカーチームよろしく皆で腕組みして集合写真を撮影してもらったのである。

「若いころには戻りたくねえぇ♪」
その翌日となる11月8日の遅い午後、つれあいの古くからの友だち3人が深川の庵にやって来た。これまでに散々ここで飲食をともにした面々である。来春のマンション完全売却の前に、名残惜しいこの部屋に対して「フェアエルパーティー」を催したいのだという。私のブログにしては場違いな上の画像、定点観測を兼ねて記念にと撮影した集合写真を、試しに加工アプリに任せてアニメ化してみたものだ。笑わせてくれる。私が「姿勢正しくカーディガンの前をぴっちりとめる、品行方正で穏やかなおじさん」であるかのように描写されている。そもそも私はカーディガンの前をとめるにしても「ボタンひとつだけ」なのだ。そんなくつろいだ姿もさることながら、この宴席にはこの省察で紹介した他の二つと明らかに異なる点がある。「ホーム開催」なのである。「六角精児ブーム」の渦中にある私たち夫婦、BGMにもつい六角精児バンドをかけてしまう。

六角精児バンドに「偽weight」という曲がある。1967年から1976年の間、アメリカを拠点にTHE BANDという名で活動したカナダのバンドがあった。カントリーやフォーク、R&Bといったルーツ・ミュージックを色濃く混然と反映した彼らの音楽は別格で、映画「イージー・ライダー」にも使用された「The Weight」は当時を象徴する名曲のひとつでもある。つまり六角精児バンドの「偽weight」、この「The Weight」の「偽物」であることを真っ向から名乗っているのである。しかしここで六角精児、健康診断の数値が年々悪くなり、ちょっとしたことで物事を忘れるようになり、トイレが近くてよく眠れないんだけれども、そんな俺にだって若いころはあって、知っているからこそ若いことが羨ましくもある、でも若いころには戻りたくねえ!、と高らかに歌う。深川の庵にそろった60代の5人、「でも若いころには(ころには〜♪)(ころには〜♪)戻りたくねえぇ!」とカッコで示したコーラスの部分まで含めて六角精児に合わせて唱和する。もちろん、いつまでもそんな風に能天気でいられず、いつの日か身体がままならなくなるだろうことは承知している。しかし、至らない若き日のことを唐突に想い出し、その恥ずかしさを堪えきれず、そんなことと誰も気づいていないのに、思わず“アッ“と声を漏らしてしまう夜だってあるのだ。だからそう歌うのか。立て続けの三つの食事会、席を同じくした人たちはそろいもそろって気心知れた60代、キレはなくてもコクはある。ああ、もうすぐ隠居の身。若いころには戻りたくねえぇ♪