隠居たるもの、知らず知らずのうちにワンループ。毎年恒例となった初夏のアルバイトに勤しむ間、ブログ「もうすぐ隠居の身」はお休みさせていただいた。日本全国の中学生から寄せられた国語学力テスト読解記述問題答案、うんうん唸りながら膨大な数にのぼる名迷珍解答を日々に採点していたわけだが、6月初頭にまたがった数日の契約延長をもってようやくにしてお役も御免。そしてこの間に私は還暦を迎えた。「還暦とは60年という途轍もない年月を積み上げる偉業」と先達を仰ぎ見つつかつては考えていたから、漫然として思うところもなく「気がつけば還暦」という悠長な我が身がどうにも手持ち無沙汰で気恥ずかしい。しかし「ああ、もう還暦か」という瞬間が訪れることもときにはあって、ゴールデンウィーク最中の築地本願寺で湧いてきた感慨なぞはまさしくそうで、それを今も噛み締めてはいるのである。

アルバイト会場は築地、そして本願寺で想い出したこと

一年のうちのひと月半だけを占める季節的風物詩のような仕事だから、そのときどきの短期オフィスビル賃貸事情に応じてアルバイト会場は毎年変わる。一昨年は半蔵門、昨年は表参道、そして今年は築地だった。休みに設定された火曜日を除いて毎日、基本軸として昼コマにシフトを入れる。そして1日おき月水金は朝コマも入れて9時半から17時45分までみっちり働く。そんな日はどこかで昼食をとらなければならない。とはいえその度に会場近くの吉野家や天丼てんやばかりでは飽きるし身体にも差し支える。だから2回に一回の割で、つれあいに頼んでこしらえてもらった握り飯を近場の公園で頬張る。そうした5月3日のことだった。焼き鮭の握り飯ふたつをさっさと食べつくしてしまい昼休みが余り、陽気に誘われ本願寺。築地場外の見物を終えたインバウンドさんたちがが代わる代わる記念撮影をする光景を前に、私はふと想い起こす。ここいら辺で生まれ育った同級生 竹田圭吾の葬儀がこの本願寺で営まれたのはいつの日だったろうか、と。

*毎日新聞2016年1月10日の記事:https://mainichi.jp/articles/20160111/k00/00m/040/102000c

小倉智昭が司会をするフジテレビ朝の情報番組「とくダネ!」にコメンテーターとして出演していた竹田圭吾は中学高校の同級生だ。入学したばかりの中学1年E組でクラスメートだった彼とは、同じ時間の日比谷線のしかも同じ車両に乗り合わせ、よくいっしょに登校した。子供の頃の彼はコロコロしていて「低音」を魅力としたコメンテーター時代とは異なり声も甲高かった。その彼の親御さんのお葬式がここ本願寺で営まれ参列した。それから大した年月も経ていない2016年1月16日、またもここ本願寺、51歳の若さで亡くなった彼自身の葬儀に参列する羽目になる。あれからもう8年が過ぎたのか。長きにわたる彼との共演者、まだ小泉進次郎と結婚する前の滝川クリステルがすぐ近くでさめざめと泣いていたっけ…。「圭吾、俺さ、還暦まであと2週間ってとこなんだ。47年前の中一の時にはお互い想像もつかなかったよな。代わりというのもなんだし、一足先にというのはもっとおかしいけどさ、まあとりあえずなっとくことにするよ」本願寺を前にして、私はなぜか還暦を迎えることを得心したのであった。

そして2024年5月18日、私は還暦を迎えた

朝起きると、待ち構えていたつれあいが「おめでとう」と赤いキャップに赤いTシャツそれに赤い靴下を差し出す。ズボンのコーディネートは任せるが、その他については「今日はこれを着用するように」とのお達し。赤いキャップには「O.O.G.」と青い刺繍、「大叔父」の意だそうだ。この日のためにあつらえられたTシャツの胸には「60・ONE LOOP」の還暦マーク(生まれて60年経ってすべての干支が一巡りし生まれたときと同じ暦に還(かえ)るからからONE LOOP、プライマル・スクリームの名盤「スクリーマデリカ」のジャケットにインスパイアされたつれあいのデザインだ)。そしてとどめにイタリア製のファジーな赤い靴下。そもそも赤い色に「魔除け」の力があるとされたから赤いちゃんちゃんこを贈る風習ができあがったのだ。ちゃんちゃんこにこだわる必要もなかろう。

生来の働き者である私は「祝宴が昼からというなら朝コマだけでも」とバイトのシフトを入れようとした。しかしキッパリとつれあいから「この期に及んでなにを、休みなさい」と言い渡された。私の「還暦報告」を兼ねて午前中に両親の墓参に出向き、そこで一族郎党と落ち合うという。一族郎党が墓所に現れる。あ、色違いの「O.O.G.」キャップをみながそろってかぶっているではないか。いつの間にやらつれあいの頭にもベージュの「O.O.G.」キャップがのっている。やられた。そろって帰宅し「さあ祝宴」と靴を脱いでみると、これまたみな赤い靴下をはいている。なるほどこういう趣向であったか、乙なことをしやがる。そこに15年ぶりに顔を合わす親族の母娘が加わる(娘の方はというとようやく18歳なので初対面といっても過言でない)。3人の姪孫から彼らが描いた「O.O.G」似顔絵入りタオルハンカチをプレゼントされる。熊本の義父母からテレビ電話を通じて祝辞をいただく。スマホ越しの老夫婦も色違いの「O.O.G.」キャップをかぶっておられた。

「O.O.G」とは「Out Of Gauge」の略でもある

義兄夫婦と私たち夫婦、合わせて4人の5年にわたる「還暦祝いツアー」はこれをもって千秋楽。考えてみれば、たまたま土曜日という幸運に恵まれたとはいえ、誕生日当日にみなに祝ってもらえたのは私のみ。トップバッターの義姉のときはめでたいことにメロン坊やが産まれたばかりで日をずらし、義兄のときは日本中が実質的ロックダウンとなって1年も延期、昨年のつれあいのときは(私同様に)誕生日が土曜日と重なっていたのに直前に彼女自身が新型コロナにかかるやら胆石発作を起こすやらで半月延期。しんがりを務める私、かえすがえすも果報者である。誰かさん(ええと、ガースーとか呼ばれてたっけ?)が盛んに唱えていた「人類が新型コロナに打ち勝った証」、それすなわち実はこれ…(調子に乗りすぎました、ご勘弁)。

意図するところの「大叔父」以外に他言語に「O.O.G.」とする略語があって、そこには恥ずかしい意味が含まれていたりして、だとしたら知らずにかぶって歩いてクスクスと後ろ指さされるのも癪に障る。だからつれあいはこっそり調べた。ひとつあったのだという。「Out Of Gauge(アウト・オブ・ゲージ)」、一般的なサイズのコンテナに収まりきらない貨物のことを指す海運用語だそうだ。還暦を過ぎたからといって新境地に至るのかどうかはまだわからない。中学一年の時の自分と、60歳になった自分が、そんなに大きく変わっているとも思えない。しかし「自分が本質的に変わらないでいたいなら、小さく自分を変え続けないとならない」ことは身に染みている。さあ、この次は来春開催予定、中学高校同級がよってたかって集う「合同還暦祝い」だ。まあ、そんなところだよ、圭吾。ああ、もうすぐ隠居の身。知らざあ言って聞かせやしょう、O.O.G.たぁ俺がことだぁ!

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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