隠居たるもの、幼な子の覚醒に破顔する。長野に向かう新幹線車中の姪から「虫かご買いたいんだけど、白馬駅にあるかな?」とLINEが届いたのは、2023年7月15日土曜日午前10時29分のことだった。メロン坊やは3歳と10ヶ月、順当に「昆虫期」に突入しつつある。長野駅での乗り継ぎ時間をたっぷりとったご一行が、バスでこちらに到着するのは午後3時をまわった時分、この日の白馬の最高気温は24℃、朝から落ち着いて家事を片づけ、彼らをゆっくりと待っていた。そして昼食を済ませて「なんだか眠くなっちまったなぁ」などと目をしょぼしょぼさせていた昼下がり、つれあいが「ああああっー!」と突拍子もない声をあげて、まったり緩んだ空気を切り裂く。玄関先の電線を、猿がそろりそろりとつたい歩きしていた。
散種荘周辺の野生動物事情
「ダンナ、高いところからごめんなすって」、猿は電柱にさしかかって姿勢を整えながら、「なんだ、なんだ」と玄関先に立った私と目を合わせてそう仁義をきって、そのまま電線をつたって去っていった。少し前の省察において、この6月になってからクマの目撃情報が頻繁に寄せられていることをすでにお伝えはしているが、実はここ数年来、野生の猿も大っぴらに住まいに近づいてくるようになっていて、管理会社から「おいそれと外にゴミを置かないで」と念を押されている。そして、あれは7月上旬のことだっただろうか、午前中いつもと変わらず家事(レッド・ツェッペリンの1stアルバムを大きな音でかけながら掃除機をかけていた)をこなしていたら、庭の向こうの雑木林から、私が働くこちらの屋内を興味深そうにじっと凝視している可愛らしい獣がいた。グレーの毛に全身をおおわれた子ダヌキだった。
たとえば、私たちはつい「クマが出た」と口にしてしまう。しかし、もともと山の住人であるクマは「出た」わけではない、我が物顔にふるまう新参者に「見つかっちゃった」だけだ。そもそも闖入者は彼らではなく私たちヒトだ。脅かすことも脅かされることもないよう、慎み深く常に彼らの習性を学ばなくてはいけない。
虫かご調達!
「虫かご買いたいんだけど、白馬駅にあるかな?」という姪からのLINEに、私は「あるとしたら駅周辺でなくスーパーのA-COOPだろう。しかしまだ梅雨も明けていないし、本格的な季節を迎えるのはこれからで、昆虫はいるにしてもまだまだ小さいぞ」と返信していた。しばらくしてから、そこに「虫かご調達!」とメッセージが重ねられる。長野駅周辺の100円ショップで、虫取り網ともども見つけたのだそうだ。さあ、そろそろ我らが可愛いおサルさんもやってくる。腰を上げて玄関先の蚊取り線香に火を灯そうとすると、さも当たり前な様子でそこに土イナゴが佇んでいた。どうやら山は、幼な子に充分な「虫取り体験」を準備してくれているようだ。
虫取りマン圓蔵、突如としてあらわる
昨年の七夕で短冊に「カミキリムシになりたい」と願ったメロン坊や、この1年で「ヒト科」としての自覚も育ったようで、今年は「カミキリムシをつかまえる」と書いてもらうようせがんだそうだ。散種荘の庭にカミキリムシが飛来することは滅多にないが、バッタやイナゴ、キリギリスの類ならそこいら中で日々に生まれ成長し飛び跳ね我が世の夏を謳歌している。網を振り回し奮闘するメロン坊やが帽子に「オニヤンマ君」をつけている。昆虫界最強の捕食者 オニヤンマを模したカカシもどきの虫除けグッズで、これがあるところアブや蚊などが怖れて近寄らないとされている。効果のほどについてはいまだ見解が分かれたままだ。
「バッタをつかまえた」と欣喜雀躍するメロン坊や、父親に「虫取り名人だねぇ」と称えられご満悦である。アニメかなんかで憶えたのだろうか、「ここにホタルがいるよ!」と本当に蛍を見つけたりするから驚く。捕獲された昆虫たちは小さな虫かごに収まり、ほとぼりが冷めたころにまた解放される。つまりキャッチ・アンド・リリースというわけで、うちの庭は「釣り堀」よろしく「虫取り原っぱ」として機能する。日頃から草を刈り、「プロムナード」整備に精を出したつれあいの労苦が実を結ぶ。
忍者すごろくにつきあわされたり、長野駅で買ってもらった「大ピンチずかん」という絵本を並んで開いたり、それ相応いろいろと遊びはしたが、今滞在中のメロン坊や最大の関心事はなにより虫取りである。2日目になって姪の地方都市県立女子高時代の友だち二人が訪ねてきてからも、母親の古くからの友だちたちを「ねえ、お庭でいっしょに虫取りしよう!」と誘い出す。あれは大人たちが話に夢中になりなかなか腰を上げない朝食後のことだったか。業を煮やした彼は、身振り大きく網を振り回し「虫取りヒーロー」への変身を宣言した。突如として眼前に現れ、声高らかに名乗るは「虫取りマン圓蔵!」。一体全体どんな由来で「圓蔵」なのか、はたしてこうも渋い「圓蔵」が3歳と10ヶ月にしかならない幼な子のどこから躍り出てきたのか、「えんぞう」に「圓蔵」の字を充てたのは私であるが、それは歌舞伎役者か落語家の名跡に類するものなのか…、誇らしげに「圓蔵」になりきる彼を前にして、私たちは口あんぐりと驚き「やはりこいつは天才だ…」と笑い転げたのであった。
Yo La Tengo の「 Green Arrow」
「来週、Fuji Rockに行きます。ええ、3日間です。1日目のYo La Tengoが楽しみなんですよねぇ」炭で焼いたシシャモをハフハフと食べながら、姪の友だちがそう語る。彼女たちがそろって大学に進学し、上京してきたのは2009年のこと。配信が主だった手段になるのはまだまだ先とはいえ、ipodの普及で音楽を聴く方法が劇的に変わりつつある頃合いだった。興味があっても親元を離れたばかりの小娘にCDをあれこれ買い求める余裕なぞないから、私は姪のパソコンに、うちの膨大なミュージックデータをそっくりそのまま移植してやった。友だちたちは姪の部屋に遊びに来て、自分のipodにせっせとそこからまたデータを落としたのだそうだ。大袈裟に言わせてもらえば、この子たちの音楽観は私の「プレイリスト」を基にしながら形成されたのである。
私は答える。「私たち夫婦がFuji Rockに行くことはもうなかろうが、Yo La Tengoいいよな。『I Can Hear the Heart Beating as One』ってアルバムに『Green Arrow』という曲が入っていて、夏にここで聴くとたまんないんだ」世代をまたがって「カルチャー的な嗜好および志向と思考」がシンクロしたことを実感するとき、私はなんとも嬉しい心持ちを噛み締める。それが隠居の醍醐味と言っても差し支えない。ああ、もうすぐ隠居の身。幼な子を寝かしつけた後、私たちは『Green Arrow』をターンテーブルに載せた。