隠居たるもの、おのれの領分をわきまえる。「えぇ、今日は『勤労感謝の日』、まあ、日頃から遊んでんだか働いてんだかわかんない私たちからしたら申し訳ないような祝日でございますよ」2024年11月23日土曜日の午後1時半を少し過ぎたあたり、高座に上がった入船亭扇辰が口を開くなりそう言った。そうだった。勤めを辞してからというもの、曜日の感覚はなんとか維持できているものの祝祭日ともなるとすっかりおぼつかない。心待ちにして日を送ることがなくなったからには違いないが、日々にぷらぷらしている身からすると言われてみれば「勤労感謝の日」ってえのは確かにくすぐったいような心持ちになるもので、だからといって感謝されるためとにわかに勤労に乗り出すわけもなく、意表をつかれた開口一番に「そりゃあそうだ」とただただ笑うばかりであった。

鈴座 Lisa cafe instagram:https://www.instagram.com/lisacafe2023/

米屋が営む弁当屋のならびのカフェで聴く入船亭扇辰の「天災」

このところ江東区は住吉の界隈をうろつくことが多い。先月の上旬のことになろうか、ひっそりした商店街である住吉銀座の近くで店を出す弁当屋が美味しく「昼どきには人が並ぶ」と聞きつけ、数人のその列の最後尾に連なってみた。もう少しで店内に入れるかというころに、ここを私たち夫婦に紹介したご婦人が買い物袋をぶら下げて中から出てくる。「あらやだ!恥ずかしい🤣お米屋さんが作るお弁当だから、とにかくご飯が美味しいんですよ」とのこと。ご婦人とはそのまま「また今度」と別れ、そこで弁当を食そうと目論んでいたつれあいの仕事場に私たちは足を向ける。しかし2軒ほどを過ぎたところで私の足はハタと止まる。今まで気づかずにいたが、いつの間にかこんなところに鈴座 Lisa cafeという落語スペースができていた。しかもこんな場末に(ごめんなさい🙇‍♂️)今や落語協会理事、看板噺家の入船亭扇辰が来るというのである。

主に若手を中心とした落語会を組んでいるスペースのようで、二つ目の入舟辰之助という扇辰の2番弟子がここによく出演しているらしく、その縁からか師弟がここで「親子会」をするというのだ。「こんな機会をみすみす逃すなんざ素人のすること」と、早速にe+でチケットを購入、満を持して「勤労感謝の日」に初めて見参、とまあこういうわけだ。もちろん「子」が場を温めてから「親」の登場と思っていたら、「ここはあいつの縄張りだからさ」といった風情でいきなり師匠が高座に上がるから驚いた。そして25人ほどの客を前に、冒頭に記したくだりで飄々と開口一番。演目は「天災」、相変わらず端正でカチッとした芸、それでいて融通もきく。私と同じ年生まれで今年に還暦、まったくもって本寸法、素晴らしい噺家だ。

琴櫻と豊昇龍が九州でヒリヒリと優勝争いを演じるその横で

弟子の入舟辰之助が「御神酒徳利」を若々しく熱演して親子会は終了。しかし熱演のあまりか、足も痺れちゃって放心状態のまま。はっきりと「今日はこれで終わりです、ありがとうございました」と挨拶しないものだから、狭い会場内には「あれ?これで終わりなの?」と疑心暗鬼が渦巻く。帰っていいのかわからない客たちがどうにも落ち着かない様子がなんとも微笑ましい。それを横目に師匠はタバコを指に挟んでスッと外に出る。それを追って私たち夫婦も会場を後にし「師匠、いっしょに写真を撮らせていただいてよろしいですか?」とお伺いを立てる。師匠の答えは「もちろんです」、まったくもって端正でカチッとしていて、しかも融通がきいていた。

鈴座 Lisa cafeを少しいった、横綱 照ノ富士が所属する伊勢ヶ濱部屋がある通りの角あたりで、錦糸町に所用のあるつれあいと別れて私は家に帰る。途中、看板の誘惑に負けてピザを注文でもしているんだか、あまり強そうに思えない相撲取りが自転車にまたがったまま油を売っている。相星で琴櫻と豊昇龍の二大関がヒリヒリと優勝争いを展開する残り二日の九州場所をよそに、この子は墨田区と江東区の境目でいったい何をしているのか。怪我でもしていて本人は大変な葛藤を抱えているのかもしらんが、それはさておきなんというか呑気で微笑ましい光景ではあった。

相撲といえば、宇良という人気力士がいる。もちろんこのとき彼は九州は福岡国際センターの控室で、若隆景との取組を前に気合を入れているところだったろう。つれあいの仕事場の近くにある木瀬部屋に所属していて、私が通うジムで並んで筋力トレーニングをしたこともあるお相撲さんだ。(対戦相手である若隆景とも彼が怪我で休んでいるころにスーパーでいっしょになったことがある。)その木瀬部屋の近くに「どすこい田中」というインバウンドさんに人気の、土俵のあるとんかつ屋があって、遅い午後だというのにこの日も店先はお客さんに溢れていた。これはこれでなんとも微笑ましい光景なのだが、私たち夫婦はこの日の前日、22日になんの気なし久しぶりにうっかり表参道に出かけて「茫然自失」の憂き目にあったのだった。両側に延びるあの幅の広い歩道を埋め尽くすおびただしい人、人、人…。

おのれの領分をわきまえる

熊本への道行きでその寿命を全うしたつれあいのスニーカーを買い替えようと、表参道からキャットストリートに入ったところにあるスイスのスニーカーブランドonの直営店に、無謀にも私たちは向かっていたのだ。人出が多いのは常のこととかねてより認識してはいたが、その大半をインバウンドさんとするここまでの光景を見るのは初めてだった。ほうほうのていで目当ての店にたどり着いたものの、ここも人で溢れかえっており、列の最後についたとしても私たちの順番が回ってくるのは相当に先のよう…。初老の夫婦はゲンナリして「二度と表参道なんかに来るものか」としょんぼり地下鉄に乗って江東区に帰り、あらためて翌日につれあいは分相応な錦糸町にスニーカーを買いに行く。

このところ隣町である江東区は住吉の界隈をうろつくことが多いのは、墨田区は菊川にあるつれあいの仕事場をそちらに移すからだ。お米屋さんがこしらえるお弁当が美味しいのを教えてくれた気のいいご婦人は、引越し先の世話をしてくれた不動産屋の担当者だ。今日11月26日は大安、佳き日に引越しを始めたというアリバイを作るため、買い物のついでに引越し先に寄って、iPadを一つだけ置いてきた。これから来月半ばをめどに少しずつ引越しを進めていく。なぜに引越すのかを含めてことの顛末は後日のネタとしておこう。

遊んでんだか働いてんだかわかんない身からすれば、並んでもせいぜい数人という隅田川のこちら側の方がよっぽど呑気でいられていい。ニカっと笑ってロケット打ち上げてフェイクニュースと金をばら撒く、映画「バットマン」の敵役そのものみたいなのが幅を利かす今日このごろだ、なおさらである。ああ、もうすぐ隠居の身。入船亭扇辰の高座を見た勤労感謝の日にそんなことを思ったりしていた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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