隠居たるもの、8時だョ!全員集合。短い東京帰還を経て、私たちが再び白馬にやって来たのは2021年8月6日夕方のことだった。この日から職人たちが庭づくりに入るとあらかじめ聞いていた。散種荘に着いてみると奥に重機が。「ふふ、予定通りに着手したようだな」、そそくさと家内に荷物を下ろし、ソーラーライトを持ち出して1日目の進捗状況を確かめる。ううむ、どうも腑に落ちない。立派な石垣がすでにでき上がっている…。たった1日でここまで進むとは思えない。さては「前の仕事も早くやっつけられたし、こっちもさっさと終わらせちまおうぜ」と何日か前からこっそり仕事にとりかかっていたと推察する。なんとも微笑ましい。あの社長ならやりかねない。

8時になると朝礼が始まる

翌8月7日土曜日、半袖では少し寒いくらいの爽やかな朝。ゆっくり起きて朝食をとり、コーヒーを飲みながら「庭」に掘られた大きな穴の位置についてつれあいと意見を交わす。8時になろうかという時分、表がにわかに騒がしい。職人たちが集合したようだ。窓からのぞくと、缶コーヒーを片手にヘルメットをかぶった3人が、タバコを吸いながら小さな輪を作っている。太田社長は相変わらず元気で声が大きい。そしてほとんど一人で喋っている。いわゆる「朝礼」だ。終わるころを見計らって挨拶をしに外に出た。

「オはよッス(そう聞こえる)!今日はダンプが来るからさ、これは閉めておいて(出窓のようにできている窓が外に開いていた)。そいじゃ、よろしく!」社長はダミ声をひときわ大きく発して、日に焼けたいささか面長な顔をニカッとほころばせた。職人たちは社長のことを「親方」と呼んでいる。なるほど「社長」より「親方」が相応しい。すると閃いた。それを一刻も早く共有したく急いでつれあいに持ちかける。「『誰かに似てるなぁ』と思ってたんだけど、今になってわかったよ。社長ってさ…」つれあいは最後まで言わせてくれなかった。「いかりや長介でしょ」そうなのだ。揃いのヘルメットを被って、親方の大きなダミ声にリードされ、メンバーが周囲でチョコチョコ仕事を始める。まさしく「8時だョ!全員集合」のコントの風景なのである。メガネをかけた真面目そうな職人さんも、どことなくザ・ドリフターズの仲本工事を彷彿とさせた。

「8時だョ!全員集合」

アドバイスを受けながら、私たちが依頼した仕事は主に三つ。まずひとつは、敷地から掘り出されたまま放置されている沢山のそこそこに大きな石を使って石垣を作ること。この土地が「原野」だった時代、水の「通り道」があったのか小さな谷が西から東に土地のど真ん中を貫いていた。上に箱を建てるためにもちろん整地してあるのだが、その名残は敷地の端っこに残存し、いまだにえぐれた「小さな崖」となっていた。「庭の東側の崖を石で埋めてさ、敷地いっぱいきれいにならしたらカッコがつくよ」と石樹苑の太田社長は当初から強く勧めてくださった。この仕事を「8月6日から始める」と聞いていたのだ。だのに8月6日に到着してみたら、どういうことかこの仕事はすっかり終わっている。

二つ目は、南の庭にモニュメントとなる株立の紅葉を植え、東側の石垣ギリギリに隣家との緩やかな遮蔽とすべくやはり小ぶりな紅葉を3本植え、さらに通りにも目印となるような1本(最終的にこれも親方は紅葉を選んだ)を植えること。朝につれあいと話していた「『庭』に掘られた大きな穴」とは、モニュメントの植樹位置として掘られた穴のことだ。「重機があるうちは好きなところにずらせるからね、言ってくれよ」親方はそうおっしゃっていた。さして最後の3つ目は、庭全体に養分のある土を入れて芝生の種を蒔く。この日8月7日の仕事は、植樹の位置を決め、そしてダンプで持ってきた土を庭全体に行き渡らせることだった。ダミ声が快く響き渡った1日の最後、「明日は休みで、9日の月曜日に木を植えるから。もしかしたら火曜日にも少し来るかもしれないけどね。芝生の種を撒くのは涼しくなって9月の方がいいから、雨が降った日に来て蒔いとくよ。それじゃ明後日!」と一方的に工程を告げて、親方は「オイッス!」のポーズで帰っていった。それにしても、(そもそも何日からとも知らされていない)お盆休みまでに終わらせると聞いていた工程がこの日までに済んでいる。植樹だってお盆休みを挟んだ後の予定だったのだ。恐るべきは「いかりや長介」である。

「8時だョ!全員集合」は不意をつく

翌8月8日、8時になろうかという時分にまたしても表で音がする。「今日は休みのはずだが?」と訝しんで外に出ると、仲本工事を彷彿とさせる職人が「いやあ、親方が樹を取ってきちゃったもんだから…」と苦笑いを浮かべていた。内心「まったくせっかちなんだから」と思っているのかどうかはいざ知らず、当の親方は少し遅れて相変わらず元気なダミ声で登場、「オイッス!(もはや私たちにはそうとしか聞こえない)今日は樹を持ってきただけだから。すぐ帰る。植えるのは明日ね!」と重機で樹を置いて、本当にさっさと帰っていった。いくらか呆気に取られつつも、やはりつい微笑んでしまう。私たちはすっかり「いかりや長介」のファンとなった。

雨が降っても「8時だョ!全員集合」

8月9日月曜日、台風10号の影響で白馬は朝からずっと雨、薄い上着を羽織りたいほどの気温。「どうするんだろうねえ」などと夫婦が語り合っていたのも束の間、私たちの「ドリフ」はそろって8時にやって来た。打ち合わせていた地点にモニュメントを植える穴を掘り直し、親方が窓越しに「ここでいいか?」とアイコンタクトを送る。こちらも頭上に大きなオーケーサインを作って送り返す。親方がこれまた「いかりや長介」そっくりに大きく頷く。とうとう我が庭に株立の紅葉がスッと立ちあがった。続いて重機が大きな石を拾い上げる。つれあいがモニュメントの側に置いて欲しいとリクエストしていた例の石だ。「ここでいいか?」「もう少しだけ手前の右」とやり取りが続けられる。それに呼応して親方が、重機を操るニヒルなカトちゃんのような職人に右手の人差し指で微妙な指示を伝える。無事、この石も落ち着くべきところに落ち着いた。

残されたいくつかの道具

結局、予定より10日ほど早く、あれよあれよという間に庭の原型ができあがった。彼らはその分だけお盆休みを長く取るのだろうか。雨の中の作業がしんどかったからか、火曜日には来なかった。散種荘には彼らの道具がいくつか残されたまま置かれている。気が向いた日の朝8時にフラリと現れて、回収していくに違いない。芝生の種が蒔かれるのが9月になってからだとしても、ここからは私たちの番だ。つれあいはさっそく残された石の配置を思うままにすべく格闘を始めた。そういえば、私が生まれて初めて買ったレコードは「ドリフのズンドコ節」だったのだ。私たちの世代は、いかりや長介の「オイッス!」には無条件で反応する。ああ、もうすぐ隠居の身。とりあえずは「8時だョ!全員集合」なのである。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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