隠居たるもの、季節の常を待ち望む。秋の日が釣瓶落としとなり、冷たく乾いた風が吹き出すと、「この冬はどのあたりで誰を呼んでやるかね?」などと私だけがソワソワする恒例の行事がある。それは「神茂(かんも)のおでんパーティー」である。日本橋の老舗 神茂のおでんダネを買い込んで、冬の間に必ず催す。インフルエンザが治ってよかった。なぜならば、この冬のその予定が明日だからだ。今日、神茂で買物をするという重大な使命をなんとか無事に果たした。

日本橋の老舗 神茂 なんてったって320年

いまだ隠居にたどりついていない我が身が通う勤務先のすぐ近くに神茂はある。もともと日本橋は江戸の中心であるから、江戸の頃から今に続く老舗が数多く残っていて、例えば日本で初めて仕出し弁当を作った弁松と神茂が、表通りから一本入った道に軒を並べていたりする。それでは神茂はどんな店かというと、創業元禄元年、320年くらい前からはんぺんと蒲鉾を作り、なおかつ昔ながらの原料(はんぺんなら鮫)と製法にこだわり続けている店なのである。はんぺんがとてもわかりやすい。神茂のはんぺんを初めて口にした人はみな目を丸くする。フワフワとしたこの食感に覚えがないのだ。その他のおでんダネも同様で、とにかく人が目を配りながら作っている深みがある。原料を変えていつのまにか違う食べ物にすり替えていたりしないし、あざとい味つけでごまかして素知らぬふりを決め込んだりもしない。神茂のホームページに、320年の伝統を支えてきたという先人の言葉が掲載されている。私が神茂を愛する所以でもある。引用したい。

「商売はあまりおおきくしてはいけないよ。 大きくするとどうしても目が行き届かなくなる。食べ物は一度まずいものを売って評判を落としたら、 二番が続かない。また買いに来ていただけるように、ていねいにいい品を造ることがいちばん大事なんだよ」

日本橋 神茂ホームページ:https://www.hanpen.co.jp/

先の冬は誰と鍋を囲んだんだっけ?

木枯らしが吹き始めた11月のどん詰まりに、姪とその同級生2人がやって来て鍋を囲んだ。彼女たちは地方都市の名門女子高の同級生で、大学入学と同時にそろって東京にやってきた。あれからほぼ10年。あの頃から我が庵に遊びに来ていたのだが、その時は「小娘たち」と親愛をこめて呼んでいたものだ。落語の中では、おなじみのうっかり野郎が、女性の好みを聞かれて「歳のころならニッパチ三十でこぼこ」とうれしそうに答えるやりとりが頻繁に出てくる。あらためて気づくが、彼女たちはもうそういう歳頃だし小娘ではない。会話する様子もすっかり大人で頼もしかった。おじさんはまたひとつ感慨にひたる。

季節の風物詩

東京の交通機関がすべて止まった2月の大雪の夜に催したこともあったっけ。予報はされていたのだが、その時の参加者が歩いて行き来できるところに暮らす者ばかりだったので決行した。かえって親密度が高まり楽しかった記憶がある。ここがポイントなのだ。例えば、「おでんやすだ」なぞでおでんをつつきながら飲むのとは少し違う。それは「おでんを売りにしているお店で、もちろんおでんも頼むが他にもいろいろな酒肴を所望し酒を飲む」という楽しい行為である。ひるがえって庵での「神茂のおでんパーティー」はどうか。鍋がドンと出てしまえば、その後は忙しくない。「神茂のおでんをじっくり堪能し、鍋を囲む者と盃を交わして親密な時を重ねる」、その時間にこそ楽しみがあるのだ。神茂の320年がそうさせるのだろうか。ひと冬に何回も必要ない、一回だけでいい。「ああ、あの年はあの人と神茂のおでんを食べたっけね」という記憶が積み上がるのがなんとも嬉しい。

外では冷たい風が吹く。ああ、もうすぐ隠居の身。明日はおでん日和だろう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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