隠居たるもの、送り出す気分は晴れやかだ。昨晩、16年ともに働いた同僚の送別会があった。私より6歳下でまだ40代なのだが、70歳まで働きたいからと、今後を展望しながら「今ここで」会社を辞する決意をしたそうだ。多くの時間を共有してきたから、「さみしくなるなぁ」というところももちろんあるにはあるが、きっぱりと決断したその意気に感心し「あっぱれ」と思う気持ちの方が強い。
不機嫌な労働者
先日、伊豆からの帰り道にささやかなミスをした。PASMO 1枚で東海道線のグリーン券を複数購入することはできるものの、同一便では記録されたそのうちのひとつしか使えない。それを知らず、1枚のカードで夫婦ふたりのグリーン券を購入してしまったのだ。結局、「1人分は駅で払戻し手続きをする」ように案内され、車内で新たに追加購入する羽目になった。言われたとおり、東京駅に着いて改札で払戻しをお願いすると、困った顔をされた上にたらい回し、30分も待たされる。そのあげく、後日にJRのどこでもいいからどこかの駅に出直すよう促された。システムの問題でその日に払戻しはできないのだという。4日後、つれあいが同じPASMOを持参して出先の馬喰町駅で払戻しを願い出る。すると、「みどりの窓口」でないとできない手続きであるから、「窓口」がないこの駅ではできないと宣告される。しかも、その場でプリントした伝票を手渡され、「これが必要」とのたまったそうだ。そこにいたるまでに、どれだけ困った顔や意地悪な顔、不機嫌な顔に接したことか…。まるでカフカの世界だ。まだ払戻しは受けられないでいる。
けたたましい東京駅
近年の駅は大変にやかましい。あっちからもこっちからも乗り入れになったものだから、ダイヤが過密ですぐに支障が起きる。東京駅はその最たるもので、必ずどこかの路線に問題が発生していて、耳が痛いほどに緊急アナウンスがやかましく繰り返される。目がつり上がった駅員は、自分のあずかり知らない遠方のトラブルのために詫びを入れ、わけがわからない外国人観光客の応対もする。全体が把握できず、マニュアルにからめとられ、日々そんな働きぶりで、「やさしく」なれるわけもない…。東京駅のホームで列車を待っていると、次第に不快感に包み込まれてなにかが伝染し、いつしか駅員と同じ顔になってしまう。こんなことなら、少し前の「不便」だった頃の方が良かったのではなかろうか。そもそも「不便」とも思ってなかったんだし…。しかし、これは鉄道会社に限ったことでもあるまい。
私たちが望むものは
私たちは楽しく幸せに暮らしたいのだ。しかし、どこか「方向」が間違い始めてないか?だから、きっぱりと決断した同僚に感心するのである。彼はビビらずに「働き方」を考えたのだ。私たちは、楽しく幸せに暮らすために働いているはずだ。なのに、「働く」ことで「楽しく幸せ」から遠ざかってしまうのは悲しい。みんなで共鳴しあって不幸になることもないだろうに。彼がもしJRの職員だったら、グリーン券の払戻しは一発で完了していただろう。そういう人だからだ。
ゆかりのある同僚たちが駆けつけた送別会は素敵なものとなった。さらに絞られた人数で、季節の割に暖かく、入ったお店の屋外のテーブルで続けられた二次会もどこか密やかで楽しかった。シンジ君、君の人徳だよ。このところ味わっていない親密な心持ちを味わって、私は気分よく帰路についた。家路の運河沿い遊歩道で、エレカシの「今宵の月のように」を口ずさんでいたが、月が出ていたのかどうかは確かめていない。そして今日、彼は退職する。ああ、もうすぐ隠居の身。シンジ君、またすぐに会おうよ。