隠居たるもの、あずかり知らない騒ぎには加わらない。ハロウィンってなんなんだ?いつの頃から「恒例の年中行事」になったんだ?小さな子供も周囲にいなかったし、もちろん渋谷にお呼びがかかるわけもないから、無縁な場所で少しばかり眉をひそめている。だけれども、予期せず一度だけハロウィンと交錯したことがある。2007年10月31日、ニューヨークグリニッジ・ヴィレッジでのことだ。

ブラザーからの洗礼、「マーアッン?」

当時、NYで暮らしている友人夫婦がいたので、彼らを頼りに旅に出た。ジョン・F・ケネディ国際空港に半日かかって到着し、予約した宿に向かうべくタクシー乗り場にたどり着く。でっかいブラザーが係で、面倒くさそうに「マーアッン?」と語尾を上げる。何を問いかけているかさっぱりわからず2度聞き返す。彼はさらに面倒くさそうに合計3回繰り返す。やっと理解でき「イェス、マンハッタン」と答えた。彼は「マンハッタン方面に行くのか?」と聞いていたのだ。親指だけ立てた拳を右肩のあたりに振り上げてひねり、そっちのタクシーに乗れと指示される。NYのブラザーと、なんとかやり取りできたことにいたく感動したものだ。

グリニッジ・ヴィレッジのハロウィンパレード

友人が「31日の夜はグリニッジ・ヴィレッジのBlue Noteに音楽を聴きに行こう。ついでにハロウィンパレードも見れるし」と言う。なんかNYっぽくてカッコいいじゃないか…。ウィキペディアによると、ハロウィンとは「毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭のこと。もともとは秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事であったが、現代では特にアメリカ合衆国で民間行事として定着し、祝祭本来の宗教的意味合いはほとんどなくなっている。」のだそうだ。これっぽっちも関心がなかったから、旅程を組むときに気づくことすらなかった。そう、たまたま居合わせたということなのだ。

先頭きるのはLGBT

かつてグリニッジ・ヴィレッジは、ビート・ジェネレーションやカウンターカルチャーの中心地であった。現在は「高級化」してしまって、そのままの面影はない。でも歴史はキチンと刻まれている。本当にパレードをするかの地のハロウィンパレード、先頭をきるのはLGBTの方々だ。それは、この地が同性愛者運動の発祥の地でもあるからだ。日が暮れる頃からざわついていた街が、パレードの開始とともに集約されるべき中心を見出して一体化する。その様子は、「人間性を解放するための祝祭空間」と呼ぶべき類のもので、少なくとも「はけ口としての乱痴気騒ぎ」では決してなかった。Blue Noteに移動するまで、ワクワクしながら最前列にかぶりついて眺めていた。

「グッド・トレイン!」女子中学生は喝采する

外に出るとパレードは終わっていて、誰もが名残惜しそうにそぞろ歩きしている。これまた友人に案内されて 、Joe’s PIZZAで具のない「かけピザ」を注文した。夜の広場の階段に座って食べる。知らない街で感じていたのは緊張感ではなく、穏やかな「自由」だった。

さて、地下鉄に乗って投宿先のホテルに帰る。NYのインフラは思いの外に古くて驚く。地下鉄の自動改札もとっても原始的、一律料金でチケットであるカードを乗車駅のみでガッチャンと通す。あまりに多くの人が利用したため、私たちが乗車しようとした駅の自動改札機が壊れた。駅員は誰かの判断を仰ぐこともなく、少しだけ思案し「Free!」と宣言した。待たされていた女子中学生の一団が「Good Train!」と叫んでホームで飛び跳ねる。冠水した自動改札機が使えないといって、長蛇の列を作らせる何処ぞの街とは違う…。とっても人間的だった。

今年はどうなることやら…。ああ、もうすぐ隠居の身。度を越した履き違えは、罪ですらある。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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