隠居たるもの、夕陽を眺めて日を終える。「今日もご苦労さん」とはっきり区切りをつける必要からも、夕刻に散歩やウォーキングに出かけるのが日々の慣いになった。在宅勤務になってから3週間が経つ。気温が低かったり風が強かったり、このところの東京は絶好の日和というわけにはいかなかったけれども、例年であれば陽も長く気持ちのいい頃合いだ。シャツ1枚で過ごせるほどに暖かく、それでいて湿気が少ない今から梅雨に入る前の5月まで、すなわち春の終わりから初夏にかけて、私はここが1年で最もビールが美味しい季節だと考えている。外出もままならない世情の中、せめてベランダに出て夕焼けを眺めながらビールでも飲んでみよう。

ベランダに出てみて考えること

築30年をとうに過ぎた中古マンションのベランダから、小名木川をはさんで南側を望む。近くにだって数本、遠く中央区の月島そして勝どきから江東区に戻った豊洲あたりには数えきれないほどの超高層マンションが建つ。ここいら辺は海も近く、眺望を含めてそこに住まうことをステイタスと捉える人もいる。ベランダから見上げるから、ベランダについて考える。一応は各戸についているようだが、上層階にいたっては風が強くてそうそうベランダに出ることも、晴れた日に洗濯物を干すこともままならないのではないかと想像する。だから室内の換気も難しかろう。一棟あたりの戸数も多ければ居住者も多い。普段、閉ざされたエレベーターの中ににどれくらいの時間、どれくらいの人数で乗り合わせているのだろうか。人口がここまで増えることを想定して作られていない、最寄りの小さな地下鉄の駅にあふれかえり、ギュウギュウと電車に乗りこんで、壁を覆う窓がそもそも開かない、空調が行き届いているけれど換気ができない「新しい」ビルに出勤する。いまだ隠居にたどり着いていない我が身、普段なら通っているはずの勤務先の建物もご多聞にもれずだ。慌てふためくばかりでなく、新型コロナ禍にあってこそ一歩ひいたところで再考してみたい。「トレンディー」なイメージの刷り込みとともに、私たちは3密に飼いならされてきた。これは自然なことだろうか?

東京オリンピック2020に考えること

「オリンピック秘史 120年の覇権と利権」(https://www.amazon.co.jp/オリンピック秘史-120年の覇権と利権-早川書房-ジュールズ-ボイコフ-ebook/dp/B0798Q1PLD)という本を先日に読み終えた。バルセロナオリンピックに米国サッカー代表として出場した経歴を持つ異色の政治学者 ジュールズ・ボイコフ氏の労作である。東京オリンピックを巡って巻き起こったドタバタがウンザリするほどに見苦しく滑稽で、「そもそもオリンピックってどんなもんなんだ?」と取り寄せて読んでみることにしたのだ。これはひどい…。IOCは祝賀資本主義をデッチ上げる国際詐欺集団だ。「オリンピック」という大イベントを旗印にしてすべてをケムに巻き、開催が決まってから大会が終わるまでスポンサーや開催都市の為政者および組織委員会と環境破壊を含めてやりたい放題。東京はどうだろうか?「世界一コンパクトなオリンピック」を目指すとした招致活動時の開催費用見積もりは7000億円。それが、いつのまにか増え続け、延期なんてこれっぽっちも頭になかった2018年暮れですでに3兆円になっている。これからどれだけ増え続けるのだろうか。そのツケを払い続けるのは、必要もない数々の立派な競技施設を抱えさせられる私たちだ。当初の綺麗事はほぼすべて幻。開催に立候補する都市がなくなるのも当然である。

「開催1年前!」と昨年7月に突如と日本橋に現れたオブジェ。

これは、この著者の妄想なのだろうか?たった3週間と少し前まで、新型コロナ禍にあるその最中に、IOCのトーマス・バッハ会長や東京オリンピック組織委員会の森喜朗委員長を始めとする登場人物みなが「予定通りに開催する」と言い放っていたことを鑑みるとき、「あながち間違ってはいない。むしろこちらが真実であろう。」と感じるのは至極当然なことと思う。今までと同じ目でオリンピックを楽しむことは、もはやできそうにない。もちろん、アスリートに対する敬意とは別の問題だ。そして、これはオリンピックに限ったことでもなかろう。リニアモーターカーが必要だと思ったことが、私は一度たりともない。

日々、家に暮らして考えること

この新型コロナ禍でこんな声を聞いた。「そんなに会社に行かなくても、会議なんかしなくても仕事できるじゃん。」とか、「たくさんの人がテレワークになったらインターネットが凄く遅い。この国のインフラ、実は大したことない。」とか、「こんな状況なのにハンコ押すために満員電車に乗って私は会社に行く。電子サインとかにできるはずなのに、なんでいつまでもハンコなんだ…」とか。

ハートランドビールが美味しい。スーパーの売り場で見つけて、「爽やかな感じ?」が思い起こされ買ってみた。そもそも美味しいんだけど、つれあいが言うには「あらためて飲んでみると、“瓶”というのがいいのかもしれない。缶ビールは金属の味がするからイヤっていう人がいるもんね。」確かにそうだ。

もしかしたら今は「思い込み」や「刷り込み」から脱却するまたとない好機なのかもしれない。私も気づいた。前のめりに日々の細かいことを真剣に「選択」するだけで、充分に暮らしは彩られる。Live day by day。日々を生きるのだ。BGMはTHE BLUE HEARTSの「夜の盗賊団」だ。ああ、もうすぐ隠居の身。5月の風のビールを飲みに行こう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

Live day by day/ 日々を生きる件のコメント

  1. 価値観?
    存在観?
    人生観?
    「在り方」の確認期間かもしれないですね。

    髙橋秀年

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です