隠居たるもの、幼な子と親しむ二重奏。ほぼひと月前のこと、深川で近所に暮らす姪から相談を受けた。「ダンナの宿直シフトと私の泊まりがけ出張が重なっちゃって、その日ひと晩まるまる預かってくれない?」、つまり保育園にメロン坊やを迎えにいって、そのまま我が庵に連れ帰って、ひと晩いっしょに過ごして、次の朝また保育園に送ってもらえまいか、というのだ。保育園だって近所ではあるし、私たち夫婦からしてやぶさかではないが、とにかくこれは一大事である。深川であれ白馬であれ、年がら年中うちに遊びに来ているとはいえ、3歳9ヶ月のメロン坊やにとって「親がふたりともそばにいない夜と朝」、なにせこれ生まれて初めての局面なのだ。大人の都合を尊重しないからこそ幼な子、案の定キッパリ「いやだ」と口にする。しかし、いつかは乗り越えなければならない「試練」には違いない。「ええいままよ!」、私たちは決然と当日を迎えることにした。

2023年6月29日木曜日 午後5時04分、メロン坊やの「お泊まり保育」が始まる

幼な子はアウェーに弱くホームで戦いたがる。このひと月、頻繁に我が庵に遊びに来させ「アウェー感」の払拭に努めた。その度に両親が「今度、大叔父のこのおうちでお泊まりしてね」と諭した。しかしメロン坊やは「土曜日や日曜日にお父さんやお母さんとここに遊びに来る分には何の異論もない。だけど木曜日に僕がひとりでここに泊まるというのは少し筋が違う。僕にだって曜日感覚というものがあるのだ」と“曜日”に焦点を絞った論を展開し、「いやだ」の一点ばり。議論は平行線をたどった。親だからこそ甘えているのも確かだが、言い募るうちに引っ込みがつかなくなることだってままあるし、私は余計な口をはさまないでいた。そしてそのまま当日を迎える。保育園に迎えに行き午後5時04分に我が家にメロン坊やを連れ帰ったつれあいによると、保育園の廊下のはしで大叔母を見つけた彼は、はたして満面の笑みで駆け寄ってきたのだという。

すべては即興、抜き差しならないジャムセッション

持参した数台のミニカーを隠して遊ぶ「クルマのかくれんぼ」が一段落したあと、備えつけの水色のコップを手にし、メロン坊やが黙ったまま洗面所に立っている。まだちょっと心配なつれあいが「あの子は水を飲みたいの?ペットボトルがあるのに?」とヒソヒソ不審がる。「うがいしようとしてるんじゃないのか?」「帰ってきたときしたばかりなのに、またなんで?」「これからハーモニカを吹こうっていうんだ、おそらく」T師匠から教わったまま、私はメロン坊やに「異物をハーモニカに吹き込まないよう、演奏する前には必ずうがいをすること」と教えた。ほとほと感心するのだが(大叔父馬鹿であることは百も承知の助)、この子はこうしたことをしっかり肝に銘じる律儀な子なのだ。やはり洗面所から出てくるなり、すでに知っている棚に直行、ハーモニカを手に取りパプピポパぺ〜と私にバトルを挑んでくる。私もうがいして真っ向から応じる。基本をまるで知らない2人のジャムセッションは、ジョン・コルトレーンの壮絶なフリージャズのごとき様相を呈し、かいた汗を流すため2人いっしょに風呂に入るまで、キリなく続くのであった。

*あまりに正面からなので、幼な子の顔には手書きで加工を施しています。

「ニダーバード」とはこれいかに

風呂から上がり、大叔父と姪孫は「いい匂いだな」「早く食べたいね」と語り合いながらハンバーグの焼き上がりを待っている。2人はいつになく真剣な面持ちだ。テレビ画面に釘づけなのである。観ているのは「サンダーバード」。我が庵には幼な子が喜ぶようなコンテンツの準備がない。なにかと探してみると、会費を支払っているAmazonプライムPrime Videoの中に「サンダーバード」があった。私が生まれたころに制作された不朽の名作である。これなら私にだってわかるし、必ずや肩を並べて時間を共にできる。そして周到にも一週間前に第一話を観せて興味を持たせた結果、本番であるこの日に「ねえ、サンダーバードが観たい」と言わせることにまんまと成功したのである。しかし彼はときおり、うっかり「ニダーバード」と呼んでしまう。「サンダーバード」の「サン」が「3」に結びついていて、誤ってそこを「2」に置き換えてしまうのだ。どちらにしたってサンダーバードに興味を持ったことに変わりはない。2ヶ月と少し先の4歳の誕生日、子どものころに大叔父も君のお父さんもプレゼントしてもらったサンダーバード2号、探して君にもプレゼントしてやろう。

*メロン坊やが撮影した「今回の救援作戦に必要なマシンを積載する、出動直前のサンダーバード2号」

2023年6月29日木曜日 午後9時20分ごろに雷雨が降りつのる

おいしく夕食を食べ終えたメロン坊やは、見つけたメジャーを持ち出して「測量ごっこ」に忙しい。彼の測量によると、私の身長は15cmだそうだ。それにも飽きたころ、自分で歯を磨いてから「寝床に行く」と私の袖を引く。しまった、絵本なんかで「寝かしつける」ということが頭に浮かばなかった、我が庵にはそういう類のものがない…。そんなとき、遠くからゴロゴロと不穏な音がにわかに湧き起こり、そこにザッと雨音が降りつのり覆いかぶさる。この日34℃に及んだヒートアイランド東京もこれでいくらか冷えるだろうと、エアコンの電源を切って窓を開けてみる。するとメロン坊やが「雨を見たい」という。私たちは3人そろって窓に立ち、雷が光る夏に向かう夜空をしばらく眺めていた。「『あのとき大叔父と大叔母と3人で雨を見たね』なんて憶えていてくれるだろうか」おセンチにもそんな感慨が浮かぶが、私たちが憶えていられるかどうか、考えてみればそっちの方がよっぽど怪しい。

2023年6月30日金曜日 午前8時43分、ロックンロールスターは颯爽と保育園へ!

版画家である知人の、猫を主人公とした絵本のようなものが本棚にあったから、それを読んでみる。短い本編を2回繰り返し、そのまま3回目というのもなんなんで、文章ばかりのあとがきを読み出したところ、私とつれあいにはさまって、メロン坊やはスヤスヤと寝息を立て始めた。「なんだ、なんぞ文章を読めばいいというのなら、次の機会には安部公房か筒井康隆あたりでやってやれ」滅多にないことだから、そんな実験も許されよう。夜中、寝床全体を転がってギックリバッタリ著しく成長する彼に、私たち夫婦は各々3回ずつ蹴られた。

一夜明け、つれあいが「朝ごはんをいっしょに買いに行こう」とメロン坊やを近くのパン屋に連れていく。彼が私のために「えへへ」とチョイスしてくれたのは、サンドウィッチとちょっとヘンテコなチョココロネだった。食事を終え、心配したが一度も泣かず、なんだかたくましくなったメロン坊やが、晴れやかに保育園に登園する。私がここでチョイスしたBGMは、ロックンロールスターの出立にふさわしく、デヴィッド・ボウイの「ジギー・スターダスト」。「もう少しで4歳だな」私がそう問いかけると、彼はこう答えた。「それについてはこんど、お父さんにきいてみる」。ああ、もうすぐ隠居の身。「可愛い子には旅をさせよ」ってことだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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