“ 隠居たるもの、徒然なるまま思索を巡らす夢を見る。喧騒から離れた静謐な環境ならなおのこと望ましい。” この書き出し、7月に記した「遥かなる山の呼び声」という省察の冒頭をそのまま引用している。そもそも、タイトル自体も1980年公開、高倉健・倍賞千恵子主演の山田洋次作品から拝借したものだ。この1年というもの、「山の家」をどうやって実際に作るかに神経を注いできた。それを「山の家プロジェクト」と呼んで、普請道楽にトドメをさすべく“ああでもないこうでもない”と実のところ楽しくやってきた。

数々のフライング

「山の家に持っていくから」とこじつけて、数々のフライングがまかり通った。例えば、Technicsのレコードプレーヤー。ついでにレコード。ついこの間もマディ・ウォーターズのアルバムを買ってしまった。また、「これがいい」と目論んでいたダイニングチェアがあって、昨年の11月にメーカーが「3脚注文すると1脚サービスでおまけ」なんてキャンペーンをやるものだから、それも発注してしまった。「もうこちらの倉庫に置いとけません」と家具屋からすでに配送もされている。アオゾラカグシキ會社にオーダー家具の図面を引いてもらったりしているのも似たようなものだ。我が庵に少しずつモノが増えいている。いずれにしても、マディの声がとってもデカい。

本丸はどうなっているんだ?

こうして妄想は膨らみ、「山の家」を彩るものは着々とそろっている。では、肝心かなめの「家」自体はどうだ?もちろん、抜かりはないさ。いくら今年は少ないとはいえ、雪が降る間に工事は始められないから、“山の遅い春とともに着工”を目指して打合せを積み重ねてきている。それもいよいよ佳境。最終的なプランが立てられ、あとは「GO!」と声をかけるのみ。そんな風に考えて意気揚々と迎えた昨日の打合せ、和やかに進んでいざ見積り…。「はは」と上っ面だけ笑い合いながら、みんな誰もが伏し目がち…。そりゃあそうだ、そうは問屋が卸さない。だからといって、ここまでスピードがついちゃったら止まることはもう無理だし、どうにかこの窮地を脱しなければならない。

賽の目に合わせて

今年のテーマは「TUMBLING DICE」。「えいや!」とダイスを転がすのである。さすれば、景色も賽の目に合わせて違って見えるだろう。どうするかはそれを眺めてあらためて考える。そして、テーマに合わせてもうひとつ決めたことがある。いまだ隠居にたどり着いていない我が身、例えば勤務先で、「目標未達の反省点」を開陳し文章化することを求められたりもする。自分がやらせていたこともある。「心底から思ってもいない」それらしい「反省」をひねり出そうと誰もがしおらしい顔をするのが滑稽だし、そもそもそれに拘(かかずら)う時間とメンタルの消耗が無駄だ。人は結局のところ「やりたいことをやれるようにしかやらない」。とはいえ、無い袖はふれないから…。思案のしどころである。どうやったらダイスが転がり出るだろうか。

“アウフベーベン”は弁証法的止揚と訳す

ヘーゲルの哲学用語である。矛盾する諸要素が対立の過程を通じて発展的に統一することを意味する。今、「山の家プロジェクト」はアウフヘーベンの最終段階だ。「そんなお金はない」と「こんな風にしたい」が対立しながら発展的に落ち着く最後のヤマ場を迎えている。それもまた楽しからずや。「徒然なるままに思索を巡らせ、夏は涼しく植物を愛で、冬はウォーキングに行くがごとくゲレンデに足を運び、そして薪をくべながら友人たちと語らう」弁証法的止揚の結果、そんな山の家が夏にはお目見えするだろう。楽しみでしょ?ああ、もうすぐ隠居の身。マディのデカい声を聴きに来てほしい。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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