隠居たるもの、視界は常に良好だ。久方ぶりに眼鏡を新調した。この7月に18年を超えて通った勤め先を辞する。それすなわち “隠居” かといえば、それほどに修行の道は甘くない。まだまだ “もうすぐ隠居” として探究に勤しむ日々が続くだろう。本質的問題はなんら解決していない世情もどうにも重々しくまとわりつく。いかつい顔をついつい難しくしてしまいがちになる。だからこそだ、心持ちはいくらかなりとも入れ替えたい。このところかけ分けているふたつは、今のそんな心がけからすれば四角ばっていたり、もしくはわかりやすくだらしなくなっていたりする。「軽やかさ」が欲しい。そんなこんなを考えた末、久方ぶりに眼鏡を新調することにした。
2007年10月29日、私は生まれて初めて眼鏡を買った。
眼鏡とは無縁の生活を送ってきた。左右ともに2.0と視力が著しく良かった。ただ、顕著に遠視だった。遠視とは、目の水晶体の屈折力が弱すぎて網膜より後ろに焦点が合ってしまう状態のことをいう。若い頃は「筋肉」が焦点を網膜上に無理矢理に移動させるから、それほどに問題とはならないものの、まずは人より早めの「老眼」として綻びが現れる。40を過ぎた頃から怪しくなり始め、この時は43歳、すでに抵抗が虚しくなり始めていた。とはいえ、「老眼」である、グズグスしながらすすんで踏ん切りをつけたりはしない。背中を押してくれるなにかを私は必要としていた。それがニューヨークであった。そう、私は生まれて初めての眼鏡を、ニューヨークのソーホーで購入したのである。
「何か買ってあげて」と友だちがFACIAL INDEXで言ったから
2007年秋、当時ニューヨークで暮らしていた友だち夫婦がいて、私とつれあいは彼らを頼りに旅に出た。(この旅についてはここでも触れている:参照「グリニッジ・ヴィレッジのハロウィンパレード」https://inkyo-soon.com/halloween-what/)つれあいと35年を超えて友だちの彼女は絵を描いていて、その時ソーホーに在するFACIAL INDEXという眼鏡屋さんの壁に大判の4枚を展示させてもらっていた。もちろん足を運ぶ。店に入って彼女がこっそりと言った。「好意で展示してくれてるのよ。入用のものがあるんだったら、何か買ってあげて。」丸ビルが建て替えられ2002年に新装オープンし、それに合わせて再開発されつつあった丸の内にこの店が支店を出したのを知っていたから、「よし!ニューヨーク訪問の記念に老眼鏡のフレームをここで買って帰ろう。レンズは検眼してもらった上で丸の内の支店で入れる。人生初の眼鏡がニューヨークのものなんてなんともカッコいいじゃないか」と私は見得を切る。接客をしてくれたのはきれいな日本のお姉さんで意思疎通にも問題ない。というか意思を疎通させた記憶はないから、鼻の下を伸ばしながら、お姉さんのおススメをほぼそのままに購入したというのが実態だろう。とはいえ、背中を押されて「とうとう踏ん切りをつけた」と興奮しつつ意気揚々と東京に持って帰って来て、高揚した心持ちに浸ったまま、庵でニヤニヤと件(くだん)のニューヨーク土産を舐めるように見る。すると、右耳にかかる先っちょに老眼鏡をかけなければ判別できないほどに小さく書かれた文字があるではないか。「Made in Japan」…。鯖江発ニューヨーク経由だろうか、おかげで視界は良好となった。
今となっては眼鏡が必需品、999.9 銀座店であつらえる
最初のあの眼鏡はさすがに壊れてもう手元にはない。あれ以来、歳月とともに老眼はあっという間に進み、焦点を無理矢理に移動させる「筋肉」も衰えて遠視を制御することも難しくなった。視力は裸眼で左0.8 右1.0に落ちた。今や遠視と老眼の双方をそこそこに解決する少々複雑な遠近両用眼鏡を常日頃にかけている。それに加えて、本を読むときは単焦点の老眼鏡にかけ替えることも勧められていて、仕方なく数本を持つ羽目になっている。スーツを着てネクタイを締めていた頃は、「仕事ができそう」に見えるカチッとしたものをこけおどしにつけていたりもしたのだが、写真で見かけた「丸眼鏡にソフト帽」という当時70代半ばのデザイナー菊池武夫の姿があまりにも洒脱で、「軽やかにいきたいものだねえ」とそれを真似て今に至る。999.9(フォーナインズ)銀座店で、熱意あるお兄さんに勧められて新調した眼鏡は今までの中でもっとも「軽み」がある。専用のサングラスアダプターもあって、それをつけるとすると、陽射しが強い季節に何本も眼鏡をかさばらせて持ち歩く憂鬱から解放される。疲労を軽減するため少し遠視の度を落として遠近の落差をゆるくしたこの新しい眼鏡に慣れたら、ぜひに試してみようと思っている。そういえば、999.9 銀座店のお兄さんは「銀座の人出も戻っていますので、できたら平日にいらしてください」と言っていた。かけ始めてせいぜい13年ではあるが、私は眼鏡がそれほど嫌いではない。よっぽどのことがなければ、「軽み」を託したこの眼鏡で私は還暦をまたぐ。ああ、もうすぐ隠居の身。メガネは顔の一部です、だかっら…、なのである。