隠居たるもの、我が家の位置を指し示す。2022年1月24日月曜日の朝、チラホラと舞う乾いた細かい雪がウッドデッキをうっすら白くしていた。一週間に一度、月曜日朝9時過ぎに別荘地管理事務所の車が巡回してゴミを回収してくれる。だからゲレンデに出るにしても月曜日となるとそれを待ちたい。加えて「朝方は曇りだけれども10時になろうものなら晴れるてくる」という天気予報だ。白馬五竜&47スキー場から迎えに来てくれるシャトルバスには、朝ゆっくり目10時台発の便がある。至れり尽くせり、まさしく渡りに船だ。
このゲレンデで味わうたっぷりの雪
昨シーズンはこのスキー場に一度きりしか来なかった。しかも3月5日。当時の省察「『もう春ボードか』3月8日に白馬のスキー場で雲の中を滑る」中で取り上げてもいるが、すでに雪はメタメタ、たっぷり質のいい雪に覆われたこの五竜&47スキー場を滑るのははたして何年ぶりになろうか。そもそもここは、同じ山のおおむね東斜面で営業する五竜スキー場と、同じく北斜面で展開する47スキー場が、頂上を介して手を結んだ広域スキー場だ。この日、私たちは五竜に向かうシャトルバスに乗った。予報通り、時間と共に下から雲も晴れてくる。初夏から初秋にかけて、ここは白馬五竜高山植物園となる。そこに何度も足を運んでいるとはいえ、花咲く野山とスキー場は同じものではない。斜面を爽快に滑降し「そうそう、こういうコースだった!」などと記憶をたどる。高いところからはるか先を見渡すと、太陽に照らされ白馬のおおよそがキラキラと輝いていた。
ほら、あれが「大きな森の小さなお家」散種荘さ
ここからあらためて白馬を眺めると、雪に覆われているがゆえにそれぞれの領域が判然とする。せっかくだから上の写真に合わせてご案内したい。まず手前に広がるただただ真っ白の一帯、田んぼだ。初夏や秋に私が自転車で通り抜けていた田園地帯である。雪に覆われていてわかりづらいが「平ら」なわけではない。山に向かって少しずつ標高が上がっていて、緩やかな棚田のようになっている。写真においてはその上に、木々が左からやや斜め右にまっすぐふた筋流れている一帯がある。ここは住宅・ペンション・貸しコテージ・別荘の領域だ。「大きな森の小さなお家」散種荘は細く白い線を挟んだ上の筋、木々がよりこんもりしているところに位置する。それでは間に挟まったこの細く白い線はなんであろう、私たちが夏に憩うていた平川である。冬の間、この川は雪に閉ざされる。これらの筋が途切れるあたり、右から緩やか左斜め上に国道148号線と、それに平行して特急あずさも走るJR大糸線が通る。その先、山を背景に建物が密集しているあたり、それが白馬駅周辺だ。白馬三山を含む北アルプスは、上の写真には入らず左側に屹立している。
帰りのシャトルバスは47から
頂上付近の雲が晴れないというから、ずっと五竜スキー場の下の方で遊んでいた。しかし、せっかくなのだから帰りは47スキー場を頂上から一気に滑り降りようと決めていた。寄る年波で脚にくるから何本もできないのだけれど、47を一気に降りるルート1というコースが結構スリリングでたまらない。そして47のふもとから15時に出るシャトルバスに乗って帰る。五竜スキー場のほぼいちばん下から乗ったゴンドラを頂上で下りると確かにガスっていた。だからといって気にすることもない。案の定、いくらか滑れば雲はすぐに晴れた。同じ山でも斜面が違えば景色も変わる。散種荘を真下に見下ろし、そのすぐ左手に八方尾根の1998年長野オリンピック ジャンプ台を垣間見て、いつもと変わらず当時のジャンプ原田雅彦(現2022年北京冬季オリンピック日本選手団総監督)の泣きべそかきながらの「ふなきぃ〜」をモノマネし、そして初老にさしかかった割の会心の一本をキメた。
実は「渡りに船」がない
ふもとに降り立つとシャトルバスの発車までまだたっぷりと時間がある。しかしながら、もう欲張る年でもないから今日はこれで終わり。そしてつれあいとあたりを探索する。47スキー場の入口は雪に覆われた平川に接している。一面に雪を被った平川、表面に水が流れていない。渡れそうなんだけど、どうなんだろう、脚がズボッとはまってしまって危険なんだろうか…。そんなこんなを考えていると、向こう岸からスキーヤー数人が颯爽と川を渡ってくるではないか。そっちは自由に動く両足に雪に埋もれない板をはいて、さらに両腕も効果的に使えるものなあ、スノーボードはそうはいかない…。うらやましい。なぜなら目の前の平川を渡ることさえできれば、シャトルバスの発車を待つことなく、10分も歩かないうちに散種荘に帰り着く。まあいいさ、もはや「時は金なり」と浅ましくがっつく身分でもない。文庫本を読みながら発車を待ち、橋を渡るためぐるっと遠回りして送り届けてもらおうじゃないか。ああ、もうすぐ隠居の身。「急がば回れ」実は「渡りに船」などない。