隠居たるもの、在りし日の先達の言葉を想い出す。これからという若い者と楽しく歓談すると、自身にも似たような年頃があったことが頭に浮かび、ついつい聞かれてもいないのに「あん時はさ」などと話し出す。自身の出身校に通っていて、同じラーメン屋で今にあのラーメンを食べている現役の若者を前にすると、それは尚更のこと顕著になる。10日ほど前の金曜日、「先輩からもらい受けたゴルフセットを後輩に譲る」(https://inkyo-soon.com/hand-over-golf-set/)で省察したあの晩もそうだった。聞かれてもいないのに「留年しちゃってさ、俺は大学5年まで行ったんだよ。そのときさ、卒業するために一年で49単位も取ったんだぜ」なんて披露して、案の定、後輩を驚かせたりしていた。

地獄の火曜日

私が大学に通っていた1983年から87年、今と違って一般的に大学というものはろくすっぽ出席しなくても良いものだった。私が在籍した文学部もご多分にもれずで、学部の外のことに熱中し、いい加減にしか(というか、全然)授業には出なかった。私が2年生だった84年、学費を値上げするという方針を大学が明らかにし、学生は「学費値上げ反対試験ボイコット」で応じる。その結果、いつもは期末の試験だけで評価する先生も「出席」を成績の基準にせざるを得なくなり、私はその時点で単位がもらえず留年することが決定してしまう。ボイコットに賛成したのだから致し方なく、4年の秋あたりまで隠した末に今は亡き親父におずおずと申し出た。親父は少しも怒らずこう言った。「大学4年までが親の責任。どうするにしろ好きにしたらいい。この先も大学に行くなら学費は自分で工面しろ」と。私は山ほど残っている単位を抱え、真剣にアルバイトしながら留年することにした。特に火曜日はキツかった。

パルメニデスは言ったんだ「あるものはあり、ないものはない」

爽やかな朝は「絶望」から始まる。火曜日の1限は3年生の時に履修することが推奨されていた「哲学演習」で、「死にいたる病」を中心に、実存主義の祖キルケゴールの「絶望」について考察する。すでにぐったりしつつ、2限は1年の時から単位がもらえないまま懲りずに受講し続けている一般教養の哲学史「哲学B」(友人には「意地のレジスタンス」と呼ばれていた)、昼休みは西武新宿線に乗ってグラウンドに移動、3限目に1・2年生時に履修しておかなければならない体育の「サッカー」をする。

朝っぱらから「絶望」についてうつむきがちに語り合うのもしんどかったが、しっかりと昼飯も食わずに元気溌剌な後輩たちに混じり、安易に「これならやれるだろう」と選択した「サッカー」に加わるのも身体的に辛かった。それにしても、2限目の「哲学B」である。ハイデガーのもとに留学したという経歴を持つ名物教授の人気授業。37年前の大学1年の5月、この授業で先生は私たち学生にこう語りかけた。「パルメニデスは言ったんだ『あるものはあり、ないものはない』こりゃあ凄いねえ」もうそろそろ19歳になる私は啓示を受けたが如く「なんだかこりゃあ凄い」と襟を正す。以来、「あるものはあり、ないものはない」は要所要所で発せられる私の口癖となった。

熊本豪雨の今日にも思う「あるものはあり、ないものはない」

パルメニデスは紀元前450年くらいのギリシャの哲学者で、超越的な「本質存在」を提唱し、プラトンを始め後の西洋的形而上学に多大な影響を及ぼした。「あるものはあり」というのは大雑把にいって「見えなくてもあるものはあり」ということで、「ないものはない」というのは「本質存在に紐づかないものは、あるように見えても実は『ない』」ということだ。もちろん、私がハッとしたのはその神秘的超越論にではない。まさに字義通り「『ある』か『ない』かは、思考を経てから虚心坦懐に判断するべきものだ」ということ、そこにこそだった。例えば、「気候変動などない」とうそぶく「偉い」人がいる…。

熊本県南部を豪雨が襲った。多数の方々が亡くなる甚大な被害をもたらしている。熊本で暮らす義理の両親の在所は市内だから避難をするまでには至っていないが、縁ある土地の甚大な被災に胸が痛む。2011年の東日本大震災以来、この国で避難所・仮設住宅に暮らす人が「ゼロ」になった日はあるのだろうか?毎年どこかに「今までに経験したことのない」豪雨がやってきて、多くの人が命を落とす。「偉い」人たちは、どれだけの証拠が積み重なると「あるものはある」と認めるのだろうか。どうしてまわりくどく「ない」と言い張るのだろうか。判断に必要な材料はもう充分に揃っていると思うが…。

愛する「メルシー」は今も「ある」

「自民党もひどいが、だからといって揚げ足取りばかりの野党も相変わらずだらしない」と多くの人がいう。果たしてそうだろうか?例えば、新型コロナウィルスによる自粛が要請された当初から、国民民主党は「一人当たり10万円の一律給付」を提案していた。すったもんだの末にそう決定されるまでに自民党が検討していたのは「牛肉券」や「お魚券」であるし、実行に移したのは「布製マスク2枚配布」である。目論見をもって大きな声で「あるもの」を「ない」と、「ないもの」を「ある」という人たちがいる。思考を巡らすこともなく、言われるままそうと思い込み再生産する人たちがいる。このところ売り出し中の西村康稔経済再生担当大臣は、いまだ傷跡が残る2018年西日本豪雨のその時まさに雨が降りしきっている最中に(当時、彼は官房副長官)、「『赤坂自民亭」首相を中心に今みんなで楽しくお酒を飲んでまーす!」とTwitterに写真を投稿した人だ。というか、「よくもそんなこと」ができる人だ。こちとらすれっからし、テレビに出てくる回数でなんとなく言われるまま「この人頑張ってるね」などと評価したりはしない。37年前のあの先生の言葉「パルメニデスは言ったんだ『あるものはあり、ないものはない』こりゃあ凄いねえ」は今も私の身に染みついている。思考し判断するのは私だ。私たちのソウルフード、大学近く「メルシー」のラーメンはいまだに一杯400円。誰がなんと言おうとメルシーが今も「ある」のと同じようにだ。

「コロナの時代の僕ら」

評判になっているパオロ・ジョルダーノ「コロナの時代の僕ら」(https://www.hayakawabooks.com/n/nb705adaa4e43)、素粒子物理学者のイタリア人小説家が著した新型コロナをめぐるエッセー集を心地よくうなづき共感し読了した。もちろん科学的判断ができる学者の彼が、材料を集めてひとつひとつ思考し、誰かの「目論見」に同調することなく、小説家の文章力で現時点での「ある」と「ない」を明確にしてくれる。そこが心地よく納得できる。こんな風にこんなことやらを考え出したのも、今日が東京都知事選挙だからだろう。誰が都知事になろうと、どちらにしろ…。ああ、もうすぐ隠居の身。あるものはあり、ないものはない。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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