隠居たるもの、機械にいつも振り回される。恐る恐るパソコンを使い始めたのはいつのことだったろうか。アップルがヒット作 AppleⅡを発表したのは1977年のこと。マイクロコンピューターなんて呼んでた時代である。その道に進んだ同級には興奮していた者もいたのかもしれないが、中2病まっただ中にあるこちとらにはまったくもって関係ないことだった。なんでこんなことを想い起こしているかというと、ただ今パソコンの更新作業にからめとられている最中だからである。
初めてのパソコンは マッキントッシュ LC 575
大学生だった35年前だって、パソコンは一般的には普及していなかった。リボン式のワープロを持つ人が出始めたくらいだった。考えてみれば、VHSビデオデッキがようやく隅から隅まで一人暮らしの部屋にまで行き渡ったのはこの頃、1980年代後半のことだった。しかし、レコードがCDに取って代わられたように、水面下ではひたひたと世界デジタル化計画は進んでいた。
今までパソコン通信と呼ばれていたものが、電子メールやらインターネットやらとその名を変えたあたりだろうか、世の趨勢は決まった。私が初めて携帯電話を持った30歳、1990年代半ばのことだったと記憶する。仕事や趣味ですでにパソコンを使いこなしていた方もいらした一方で、私なんぞは使わなくても生活になんら不便を感じていなかった。そんなところに「そろそろパソコン使えないとやばくなる」という空気が漂い始める。独り身で暇だったこともあって、少しも安くない箱のような大きな機械を思い切って購入した。“わかってる人”はAppleつまりマッキントッシュだというから、マックのLC 575という機種を選んだ。
なんというべきか、Appleとの腐れ縁
当時、パイオニアであるAppleはWindowsに完全にやられていた。スティーブ・ジョブスも追放されていた。生来のあまのじゃくかつ判官贔屓の私は、Appleの哲学に入れ込んだ。投資などしたことないのに、応援するため株を買いたいと証券会社に勤める友人に相談したほどだ。「じきに倒産するからやめておけ」と諌められた。それくらい風前の灯だったのだ。今も想い出す。あの時に購入していたら、今ごろ億万長者だったのに…。スティーブ・ジョブス復帰後にデザインは洗練され、みなさんご存知のように、Appleは復活し快進撃を続けて世界を支配する企業のひとつとなる。25年を超えた今、もはや判官贔屓の対象ではない。にも関わらず、先進のイメージ消えやらず、取り込まれているとはわかっていても、私はついついApple製品に手を出してしまう。
パソコンにこんがらがって
使いこなしたいと思う。だけど、いつも新機能に追い立てられるばかりで、使いこなせていたことなんて一度だってなかったんじゃなかろうか。便利になったと思うこともあれば、ただせわしなくなっただけじゃないかと辟易することもある。それでも性懲りもなくうっかり挑んでしまう。山の家プロジェクトの一環でパソコンを一台増やすことにした。(といっても、つれあいの仕事のパソコンを新調し、お下がりを山の家用にしようということなのだけれども。)これを機会に、ただ増やすだけでなく、Cloudも含めたPC環境を考え直し整理している、その最中なのだ。溜まった澱を落とすように、削ぎ落としながら更新しているのだ。SNSについていろいろ教えてもらっている、事務代行サービスのタスカル代表 角前壽一さん (https://color-s.net/taskar) に図々しく甘えてお力添えいただいている。隠居たるもの、若い友人を持たなくてはいけない。
先達からの年賀状
ある先達からいただいた年賀状にこう記されていた。「むしろアナログな生活を取り入れ、一人で楽しんでいます。知恵が必要になり頭の体操です。」カッコいい。パソコンやモバイル端末がない暮らしを想像することはちょっと難しいけれど、振り回されない「いい加減」を探したいものだ。ああ、もうすぐ隠居の身。いつまでもこんがらがっている場合ではない。