隠居たるもの、へべれけに酔っぱらいたくなる宵がある。少し前に話題になっていた「東京 貧困 女子。」を読み終えた。東洋経済オンラインの人気連載「貧困に喘ぐ女性の現実」を書籍化したものだ。21世紀に入って巧妙に形作られた「搾取構造」に痛い思いを抱くとともに、彼女たちのインタビューに寄せられる誹謗中傷を知るにつけ、やりきれない気持ちを抑えがたい。
もはや「あの時代」ではないのだ
5年ほど前、就職したばかりのとても優秀な若者が、我が庵に遊びに来てくれたことがある。奨学金を借りていたというから、残高がいくらか聞いてみた。彼は「600万円」と答えた。
「レジャーランド」と言われた時代、入ってしまえば大学なんかどうとでもなった。ろくすっぽ授業にも出なかった。バイトばかりしていて羽振りのいい奴だっていた。それは、好景気が続き一般的には就職に困らないあの時代だったからである。大学ひとつ見ただけで、現在はあの頃とまるでかけ離れていることに気づく。私が大学生だった1980年代中頃と比べると、国からの資金提供がやせ細った現在の大学の授業料はほぼ倍だ。それに反比例して親の平均所得は下がっている。でも高卒では職がないから、子供たちは国が後ろ盾の有利子(⁉︎)の奨学金(⁉︎)を借りて進学する。かつてと違い、出席を厳しくとるからアルバイトに明け暮れれば留年・除籍。そして、国が後ろ盾の奨学金はサラ金なみに取立てが厳しくて、就職した先がブラックだったと気づいても身動きが取れない。真面目な若者ほど追い込まれる。この国のことだ、女子の環境がより過酷であろうことは容易に想像できる。
セメント樽の中の手紙
葉山嘉樹の短編作品である。あの頃の高校の国語の教科書に掲載されていた。1926年発表のプロレタリア文学初期の名作だ。美術の授業で、「文学作品を題材に絵を描く」という課題があった。他をあたるのが面倒くさかった同級生のMが、同時期に国語で扱っていたこの短編を描いた。事情があって高評価が欲しかった彼は、画才はないもののそれはそれは丹念に絵の具を塗りつけた。ところが、みなに「おお、いいじゃん」などと声をかけられて調子に乗ってしまう。最後の最後に、愚かにも作品の決めゼリフ、やりきれなさのあまりの「へべれけに酔っ払いてえなあ」を、ふきだしにして描き加えて提出してしまったのだ。それが原因で、最高評価はもらえなかった。同級生が集まると、今でも語られるエピソードのひとつである。この作品は青空文庫に全文掲載されている。原稿用紙にして6枚半くらいの小品なので、よろしければお目通し願いたい。
「セメント樽の中の手紙」葉山嘉樹著 https://www.aozora.gr.jp/cards/000031/files/228_21664.html
荒れ果てるコメント欄
インタビュー掲載直後から、目を覆いたくなるコメントが溢れかえるそうだ。そのほとんどが中高年だという。それが恐ろしい。彼女たちが佇む絶望と孤立の淵に思いをいたすこともなく、なぜ彼女たちがここまで追い込まれたのかに目を向けることもなく、時代背景が異なることに気づこうともせず、気分に任せて誹謗中傷を浴びせる。さらに追い詰めて気持ちよくなっているのだろうか。情け容赦のない風潮がいたたまれない。トランプ大統領に購入の約束をした戦闘機を、ほんの何機かキャンセルしただけで、差し伸べられる救いの手もあるのでないだろうか。
ヤサグレていそうなエレカシは実はヤサグレていない
エレファント カシマシが初めて一般的に売れたのは、ドラマの主題歌にもなった「今宵の月のように」だ。その出だしが「くだらねえと呟いて 醒めたつらして歩く」である。ヤサグレ感が満載だ。ヤサグレとは、隠語で「宿無し」とかそんな意味である。しかし、私と同じ東東京出身で、同年代の宮本がつむぐストーリーは実はヤサグレていない。糸が切れてしまいそうな自分が、「帰る場所」を探し求める物語なのである、いつも。バンドメンバーは、高校時代に組んだ友人たちのままだ。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。」このところやたらとエレカシが心に沁みる。ああ、もうすぐ隠居の身。願わくば、彼女たちに「帰る場所」ができることを。