隠居たるもの、身過ぎの節目を脳裏に刻む。一昨日の2020年7月31日、私は予定通り、18年と4ヶ月の長きにわたって勤めた先を「定年」で退社した。この個人的な日々の省察を読んでくださる皆様には一向に関係ないこととは重々承知しながらも、私にとって一大事であることには違いなく、徒然なるままに日暮らしているとそこはかとなくそのことが度々心にうつりゆくわけで、だからこそ日が近づくにつれてしつこいほどにここで取り上げてきた。そして迎えたまさにその日たる7月31日からほんの2日ほどのことを、私はこれからも忘れることはないだろう。新型コロナウィルス、集中豪雨、Go To、そして私の定年退職、そんなこんながブルーにこんがらがった2020年7月から8月のことを。

慰労会は馴染みの魚処「若松」のカウンターだった。

満56歳を過ぎれば「自己都合であろうとなんだろうと定年退職として扱う」という規定にのっとり、7月31日午後に引き継ぎと荷物の整理と退職手続き、それらすべてを済ませて、新型コロナ禍で抑制された出勤体制の勤め先を後にし「定年退職」を果たした。お世話になった皆々様、本当にありがとうございました。

本来であれば「送別会」もしくは「慰労会」なるものが開催されるところなのであろうが、この情勢下である、もちろん催されるわけもない。気の毒と思ってくれたのだろう、つれあいが近所の馴染みの魚処「若松」で「慰労会」を執り行ってくれるという。「今日ばかりは勘定のことは気にせず、大盤振舞いでいく」とのこと。6時過ぎに店に入ると、花束が置かれたカウンターの向こうとこっち、つれあいと大将夫婦の3人が私を待っていた。予期せず花束を手渡され解放感がしみじみと湧き起こる。

それに、さすが愛する「若松」(https://tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13120551/)である。刺身、真鯛の竜田揚げ、金華さばの塩焼き、相変わらずどれも美味しい。たたみいわしだって「魚屋さんのシーフードピザ」だって言葉を失う。魚を熟知する大将は本当に料理が上手だ。(ここだけは「隠れ家」のままであってほしいから故意に避けてきたのだけれど、いつの日かあらためて「特集」します。)カウンターで横に並んだあえてふたりの「慰労会」、久しぶりの日本酒 山形は酒田の「上喜元」をいただいて、知らず知らずに身にまとわりついていたものが、ひとつひとつ剥がれ落ちていくように日が暮れた。

メロン坊やが「大叔父、おめでとうございます」と仁義をきる

「アイム・フリー」とニンマリ呟きつつ目をさました8月1日土曜日、報告をかねて両親の墓参におもむく。朝のニュースはいまだ各地の水害を報じていた。雲の動きが早いとはいえ東京の空は久しぶりに晴れ、経験的に「梅雨が明けたな、これは」と思えるような陽の力が届く。昨晩の花束を墓参用・仏壇用・記念のディスプレイ用の3つに分けて、過半を両親のもとに持参する。どうです?いつになく華やかでしょ?

墓参を終えて、これまた心から愛する清州橋通り「香取鮨」(https://retty.me/area/PRE13/ARE10/SUB1003/100000856653/)に足を運ぶ。近所で暮らすサッカー部後輩と姪の夫婦、そして姪孫(てっそん)を交えて「慰労会」第二弾だそうだ。緊急事態宣言中は休業されていたから、この店に再訪できて本当に嬉しい。用意してくださった、人数からしたらゆったりと広い座敷で、親族一同からとまたしても立派な花束をもらう。私が「メロン坊や」と呼ぶ、もう少しで満1歳の姪孫が仁義をきる。(参照:「メロン坊や、焼肉は君にはまだいけないな。」https://inkyo-soon.com/melon-boy/

「大将おまかせ10貫」(といっておきながら12貫出てくることが多い)が運ばれてくる。1人前4500円とこのあたりの相場からしたら高価なのだけれども、とにかく絶品の江戸前で、川を渡って中央区だったら3倍の値段になるものと思う。大将の小肌にかける執念にはいつも脱帽する。年に4回から5回くらい、なにかしらがある日に、この「大将おまかせ10貫」をいただく。鮨を口にするのは大体それだけだ。その他にはどなたかのお通夜に参列したときくらいのこと…。いつしかそうなった。せっかくなら本物を、身の丈に見合った頻度で食べられればいい。産地を含めたネタの解説を終えた後、「お口に合うとよろしいんですが」という大将の決めゼリフが憎い。

いつ何時、誰の挑戦でも受ける!

今日8月2日の午前中、暑くなる前にと小名木川沿いを散歩した。一昨日に勤め先から地下鉄で帰ってきてからというもの、移動はすべて「徒歩」。梅雨はすっかり明けている。私の人生の節目と季節の変わり目が重なり、なんとも晴れやかな心持ちだ。私には子供がいないんだけれど、君たちみんながともに遊んでくれるから、それを「寂しい」と思ったことは実のところ一度もない。これからは人間一匹、「フリー」でやっていく。だからといってこの歳だ、性根が変わるわけもない。「東京の新型コロナ新規感染者数は、一昨日463人、昨日472人、今日292人。相変わらず『夜の街』関連が○人って発表するけど、だったら一方で『昼の街』関連の人数もはっきり発表しないと片手落ちじゃないか」などと考えたりする。「フリー」になって自堕落にならないように、と心配してくださる方がいらっしゃる。「この歳」のいいところは、もうたっぷりはお酒を飲めないことと、ほっといたって朝早く起きてしまうことだ。何かしら身体を動かしていないとどうにも時間が潰せない。7月31日、日本橋ですべきことを終え庵に帰る道すがら、私の頭に浮かんだ言葉は、なぜか「いつ何時、誰の挑戦でも受ける!1、2、3、ダーッ!」だった。しばらくの間、我が庵では花が香る。ああ、もうすぐ隠居の身。これからこそが楽しいだろう。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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