隠居たるもの、とうとう「この日」が訪れる。2021年8月24日、ローリング・ストーンズのドラマー チャーリー・ワッツが逝った、享年80歳。いつもと変わらない朝、スマホを開けたつれあいが「えっ…」と言ったきり絶句する。ただならぬ気配が漂うも、どんな一報に接したのか判然とせず「どうした?何かあったか?」とウロウロする私…。彼女がようやく口を開く。「チャーリー・ワッツが死んだって…」いつかこの日がやって来るのはわかっていたが、とうとう訪れたのだ。みなさんお察しのことと思うけれど、私はローリング・ストーンズがとても好きだ。すごく怖かった親父にひたすら頭を下げて人生初めてのステレオセットを買ってもらった中学2年の春以来、あれから43年間ずっと、プリミティブな音を鳴らすこのバンドが好きだった。

「GET YER YA-YA’S OUT !」

1970年にリリースされたストーンズ初の公式ライブアルバムである。珍しくはしゃいだチャーリーがジャケットだ。コレクターズ仕様の物品をあまり欲しがらない私が、B・B・キングとティナ・ターナーの前座ステージも収録されていたこの40周年記念デラックスエディションは迷わず購入した。のちにレコード(こちらはオリジナル盤)も中古で見つけて白馬 散種荘に置いてある。歴史も含めどんなバンドだったのか、それを語るのは私の任ではないが、しかし私が生まれる2年前に結成され今も続くこのバンド、実のところ丹精なリズムを後ろでキープする物静かなチャーリーこそが屋台骨だと思っていたから、ミック・ジャガーやキース・リチャーズよりふたつ年長の彼が逝った時(なぜか彼が先に鬼籍に入ると確信していた)に「ストーンズは終わる」と私は常から口にしてきた。大袈裟に言えば「生まれた時から当たり前にあったもの」がなくなる、その日がとうとう訪れたのだ。

「BLUE & LONESOME」

虫が知らせたんだろうか、チャーリーが亡くなる前日の8月23日、ディスクユニオンで中古レコードを物色していて「BLUE & LONESOME」を見つけオンラインで注文していた。当初のお目当てだけでは5,000円に届かず送料無料にならないから、不足分を埋めるために(だからといっておざなりなものは欲しくないので)必死に探した結果だった。実はこれ、2016年に発表されたストーンズ最後のスタジオ録音アルバム(つまりチャーリー最後のアルバムレコーディング)で、しかも若かった(60年以上前の)彼らが憧れた主にシカゴブルースのカバー12曲で構成されている。発売直後に買い求めたCDが恐ろしくカッコ良かったので、ぜひレコードでも聴きたかった。あらためて聴いてみると「最後の最後がカバーアルバム」というのがいかにもストーンズらしい。

「The Rolling Stones」

デビュー作もすべて米国のブルースやロックンロールのクールなカバーだった。そのうちオリジナル曲を作り始めキース・リチャーズが「ローリング・ストーンズの音」を発明し、死んじゃったブライアンの代わりにミック・テイラーをギタリストに迎えて金字塔のようなアルバム数枚を発表して怪物バンドになり、さらにギタリストがロン・ウッドに交代してスタジアムツアーの先鞭をつけ、すると7つ年長のビル・ワイマンが(「若い加藤の動きについていけない」とドリフターズを脱退した荒井注のように)「ツアーがきつい」と脱退しても(実際にミック・ジャガーとキース・リチャーズの幼馴染コンビと加藤茶は同い年)、なんとローリング・ストーンズは59年も続いたのだ。私が思うに、その最大の要因は「若い頃に聴いたアメリカのディープなルーツミュージック」に対する憧憬と敬愛を常に忘れず抱いていたこと、ここにつきる。いざというときの「帰るべき場所」が彼らにはある。その証拠に、先達の曲をカバーする彼らの演奏は常に秀逸だ。だから「70歳を過ぎてこれみよがしに嬉々と作ったカッコいいカバーアルバム」が最後というのが「いかにもストーンズ」らしく小気味いい。まさしく彼らにしかできない芸当だ。

「SOME GIRLS」

リアルタイムで聴いたのは1978年発表の「SOME GIRLS」からになる。ふた月ほど前のことであろうか、深川の庵でこのCDをかけていて1曲目の「MISS YOU」が終わりかけるころ、唐突にメロン坊やが振り向き「これはなに?」と私に質問する。「ローリング・ストーンズだ」と答えると「ふうん」って顔をする。「こやつはストーンズが好きになったに違いない」と勘ぐった私は、9月の彼の誕生日プレゼントに、つい先ほどキッズサイズのストーンズTシャツ(白地に赤いベロ)を注文した(もちろんお揃いで私の分も)。チャーリーの訃報を受けてから買い足した中古レコードはこの「SOME GIRLS」に続く2枚だ。26日から散種荘に移動し、ストーンズのレコードをひたすら聴いている。そのうちに手に入れたいと思っていたあと4枚もオンラインで見つけ、この際とばかり注文しておいた。「Sticky Fingers」なんかはリマスターされたリイシュー盤で待っているが、ストーンズに限ってはオリジナル録音の安い中古レコードが一番いい。

「LET IT BLEED」

1990年2月、ストーンズは初来日を果たす。私は25歳で、世はバブルの真っ只中、まだインターネットなんかない。チケットを手に入れるのは至難と予想された。土曜日だったと記憶する。たまたま大学の後輩である現役学生が遊びに来ていて深夜まで一緒に酒を飲んでいた。寝てしまった彼をよそに、届いたばかりの朝刊を徒然なるまま惰性で酒を啜りながらパラパラやっていた。中程の一面全てを使った新聞広告に「ローリング・ストーンズ来日決定!今日から整理券配布!」とあった。後輩を叩き起こし「すぐに出立し整理券取得の列に並ぶのだ」とタイミングよく争奪戦に送り込む。手に入れた2枚のチケット、当時に交際していた女性と行くつもりであった。(何が原因だったのか今となっては思い出せないが、おそらく私が至らなかったのだろう)彼女は来ないことになり、そしてそれっきりになった。結局、整理券を手に入れるため早朝の寒空で風邪をひいた後輩が「オレでいいんすか」とか言いながら、私の隣で調子っぱずれな「Jumpin Jack Flash」を歌っていた。つれあいと東京ドームで連れだって観たのは21世紀になってからのことだ。

チャーリー・ワッツに手向けの花を

ミック・ジャガーとキース・リチャーズはストーンズを継続するかもしれない。彼らのバンドだから、それはそれでかまわない。でもチャーリーはもうそこにいない。友人たちよ、許される日が来たら、私たちと似たような年の中古レコードでストーンズを一緒に聴こうじゃないか。もう少しで2歳になる姪孫よ、お揃いのTシャツを着てやはりストーンズを聴こうじゃないか。ああ、もうすぐ隠居の身。私たちにはローリング・ストーンズという「帰るべき場所」がある。

その他、散種荘で聴けるローリング・ストーンズのレコード

到着待ちの4枚
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

2件のコメント

  1. ご冥福をお祈りします。
    良いバンドには必ず良いドラマーがおりました。

    髙橋秀年
    1. さっきまで観てたライブビデオ(2013年ハイドパーク「SWEET SUMMER SUN」)で、ロン・ウッドがこう言っていた。「チャーリーにドラムを叩いてもらえることがとても嬉しいんだ」素敵な人だった。

      sanshu

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