隠居たるもの、予期せぬ邂逅に喜びを得る。2025年3月26日、未明より黄砂まじりの強風が吹き荒れる。晴天には違いないが空の色はうっすら黄ばんでおり、ごおおっと鳴り渡る風の音とともにただならぬ様相を醸し出す。これだけの風が吹けばスキー場のゴンドラやリフトは動かない。ここは大人しく家で過ごすのが得策とゆっくり朝食を取りぼちぼちと洗濯なぞ家事に勤しむ。洗い上がったものをそろそろ外干しにしようかと考える時節ではあるが、なにしろ黄砂とこの風だ、いやがおうにも春を感得するその機会は先の楽しみとして取っておく。この冬の豪雪によって折れそのまま埋もれていた木々の枝々が、雪解けとともに姿をあらわにして風に煽られる。庭で愛でていたうちの紅葉たちも可哀想なこと多大な災難に遭ったし、近隣の道端には蕾をつけたまま転がる大ぶりな山桜の枝もある。そのまま打ち捨てておくのはしのびない。

「びっくりしたなぁ、もう」

だから拾い集めてはウッドデッキで「挿して」いる。そうしておけば桜は花を咲かせるだろうし、紅葉もなんとか葉を出し次の冬まで私たちの目を楽しませてくれるだろう。そんな絵面を想像するとなんとも乙、興が乗ってつれあいと「この子たちを挿す手頃な水甕でも探そうか」そんなことを語らっているところに、友だちからLINEが届く。黄砂の盛りは過ぎたようで、空に青みが戻ってはきたものの、いかんせん風はいまだ吹きすさぶ。「本日は強風でリフトが止まったので、レッスンは中止。このまま帰ります。また、会いましょう。」そう、2日前となる3月24日の昼のこと、古くからの友だち夫婦に47スキー場でばったりと出くわしたのだった。まったく想像もしていなかったから驚いたのなんのって、思わずてんぷくトリオの三波信介ばりに「びっくりしたなぁ、もう」と独りごちる。彼らは「還暦も過ぎたことだし試しに」と参加した関西からのシニアスキースクールツアーで白馬に来ているのだという。

「あ、見つかってしもた!」

いつもと変わらず午前9時少しに散種荘近くの停留所で五竜スキー場エスカルプラザ行きシャトルバスに乗り、五竜スキー場の最上部グランプリコースから責め、山頂で接する47スキー場に下り、春の風物詩たる学生スノーボード初心者軍団の脇を大人気なくこれみよがしに颯爽と滑降し、「今日はコンディションがいい、これほどの雪は今シーズンこれが最後かもしれない」などと夫婦で語り合いながら11時半ごろに天ぷらうどんをすすっておまけのような焼きおにぎりを頬張り、「さて帰るまでにあと2本ばかり」と欲張ってゴンドラでまた上がりルート1を滑って満足し、午後1時発の帰りのシャトルバスに乗り込む前に用を足しておこうとレストハウスAliceに足を踏み入れる。自動ドアをくぐってすぐの下り階段にさしかかると、一人の女性が「取り澄まして」一段一段ゆっくり上がってくる。よく知った顔と認識した私は微動だにせず、「でもどうしてだ?」とゴーグル越しに睨みつける。それを察知した彼女がこちらに顔を向けるなり「あ、見つかってしもた!」と相変わらず元気よく声を上げる。そのまま「ちょっと!ちょっと!」とレストラン内にいるダンナを呼び寄せ、こうして同期の予期せぬ邂逅は果たされた。

ALPS360にて

「あんときたまたまお互いに階段のとこにいたから会えたけど、タイミングが合わなかったら同じスキー場のあんな近くにいるのにまるで韓国ドラマのようにすれ違ったままやったなぁ」とそれぞれのランチを前にして語り合う。3月25日のお昼どき、私たちは五竜スキー場の最上部のレストラン、北アルプスを見渡すALPS360で1時間ほど昼食を共にした。久しぶりの再会に歓喜したとはいえ、スキースクールのレッスン中だった同期の友だち夫婦と前日にそれ以上の時間を共有することはできず、連絡を取り合いあらためてこの日のレッスンの合間に落ち合ったのだ。私たちは日本全国の大学を横断する会に属して知り合い、卒業するまでの数年にわたって苦楽を共にした。似たような雰囲気とされる京都と東京の大学にそれぞれ入学したのは42年前のこと、初めて顔を合わせてからもうそんな月日が経っている。

CAT POWER SINGS DYLAN

「白馬やし、もしかしたらスキー場で会ったりしてと想像はしたんやけどな、ほら、ライブに行ってたやろ?だから今は東京なのかなと思って」と彼女は言う。そう、ジャック・ホワイトに引き続き、私たちは白馬に移動する前日の3月21日にもまた豊洲PITに足を運んでいた。当代きっての歌い手 CAT POWERが、歴史的事件とも言うべきボブ・ディランの 1966年のライブブートレグ「The Royal Albert Hall Concert」を曲順もそのままにカバーするコンサートを催した。そしてその一部始終をライブアルバムとして一昨年に発表した。それをそっくり再現する場が、シンガポールと江東区の豊洲、アジアではこの2か所のみでそれぞれ一夜ずつ設けられた。いくらか都バスに乗るだけの会場で行われたそんな貴重なライブにいたく感動し、私はその日のうちにFacebookにアップした。彼女はそれに「いいね」をつけてくれたのだった。

海賊盤として流通していたボブ・ディランの「The Royal Albert Hall Concert」、たしかに1966年のイギリスツアー中のコンサートには違いないのだが、海賊盤らしく「ハクをつける」ため由緒正しい会場でやったことにしたかったようで、実際の会場はロイヤル・アルバート・ホールではないのだそうだ。それはともかくこの録音が歴史的事件とも呼ばれるのは、弾き語りからエレクトリックバンドへの移行期にあったディランと聴衆の「葛藤や断絶」、それがそのままパッケージされているからに他ならない。一人で弾き語った第一部に対する喝采がまるで嘘であったかのように、エレクトリックバンドを従えた第二部では怒号が渦巻く。新たなフェーズに進もうとするディランを許せない「フォーク原理主義者」が浴びせる「裏切り者!」という野次まではっきり聞き取れる。伝説となりあまりにも売れたこの海賊盤、今ではRoyal Albert Hallにカッコをつけた上で、ディランのディスコグラフィーに正規盤として加わっている。

オールスタンディングで3,100人というジャック・ホワイトのときと異なり、1,200ほどの折り畳み椅子がずらりと並べられた豊洲PITはまるで田舎の大きな納屋のよう、とても親密な雰囲気だった。最小限のライティングの中、年齢層の高い観客が落ち着いて着席したまま耳を傾ける。勘所を心得たバンドの抑え気味な演奏が、それゆえにこそCAT POWERの歌唱力を饒舌に引き立てる。あのダミ声ゆえ気づかない人も多いが、ディランが書く曲は実のところとても美しく、特にこの頃の彼にはそもそも名曲しかない。きちんとアコースティックとエレクトリックに分けられた第一部と第二部にいっさい違和感はなく、むしろ「葛藤や断絶」を乗り越えた先の癒し、そんな感覚すら覚える。「Like A Rolling Stone」でコンサートが終わると当然のこと満場のスタンディング・オベーション。終演後のつれあいの第一声は「はあ、いいものを観させてもらったよ」だった。

五竜岳の四つ菱の下で

素晴らしいコンサートの余韻がなかなか冷めやらず、「こんな素晴らしいものを見届けつつ歳を重ねるのも悪くない」とうそぶいていた矢先にばったり古くからの友だちに会えてとても嬉しかった。「都合があるだろうし突然に連絡するのもどうかとちょっと気を使った」と恥ずかしそうに言っていたが、電話にしろなににしろ連絡ってえのはする側に都合があるのであって、される側の都合を先回りして気にする必要はない。彼らによると「ずっと我流でやってきたからきちんと教えてもらおうと思って」参加したシニアのスキースクールにおいて60歳は最年少のペーペー、「若い若い」ともてはやされるという。だからさ、一線を退いて時間も自由になり始めたことだし、それにまだなんとか身体は動くんだし、機会を作ってもっと一緒に遊ぼう。たった1時間のランチでこんなに楽しいんだからさ。ああ、もうすぐ隠居の身。とにもかくにもこうして冬の掉尾は飾られた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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