隠居たるもの、旅に病み夢は枯野をかけめぐる。10月になっても暑い日々がしつこく続き、ふとしたときに秋が薫ることもときたまあることにはあるのだが、しみじみと「もののあはれ」に襲われるような機会はまだ訪れていない。大きな台風が去ったこれからなのだろうか。毎年、どんな旅をしようか考える。今年は3年に一度の瀬戸内国際芸術祭の年にあたり、9月の末から秋会期が始まっている。10月6日から昨日の11日まで、6年ぶりに6日にわたって、本島(ほんじま)、高見島(たかみしま)、粟島(あわしま)、大島(おおしま)、女木島(めぎじま)、男木島(おぎじま)、豊島(てしま)、直島(なおしま)、合わせて8島、瀬戸内の島々をフェリーで巡った。
瀬戸内国際芸術祭2019
2010年に始まった瀬戸内国際芸術祭は今回で4回目を迎える。効率一辺倒の近代化から取り残され、そればかりか産業廃棄物の不法投棄や自然環境の破壊などで汚されてきた、美しくかつては豊かだった瀬戸内海。日本初の国立公園であるこの地域の再生をテーマにする瀬戸内国際芸術祭は、均質化の圧力に日々さらされた私たちの「人間性」を回復させる試みとその一方で軌を一にする。本数が少ないフェリーの時刻表に首っぴきになりながら、ままならない移動も楽しむ。便のいい地域では実現し得ない、日本でもっとも素晴らしい芸術祭である。
例えば、秋会期のみの高見島
7日、多度津港から高見島に渡るフェリーに乗った。前夜に宿を取っていた丸亀から多度津まで、発車メロディ「瀬戸の花嫁」にうながされJR予讃線に乗った。高見島はかつて除虫菊の生産地として栄えた島だ。蚊取り線香の原料である。これを使って渦巻型蚊取り線香を開発したのが、金鳥(正式社名は大日本除虫菊株式会社)である。現在、原料は化合物の合成ピレスロイドに置き換えられたため、除虫菊栽培は過去のものとなった。少しずつこの島からも人が離れていった。ボランティアのおじさんが言うには、「今の人口は24人」だそうだ。「男はつらいよ」第46作・「寅次郎の縁談」に出てくるような、立派なお寺 大聖寺を持つこの島がである。
内田晴之さんの「除虫菊の家/静かに過ぎてゆく」は、大聖寺よりさらに登って海を見晴らす、今は人の住んでいない古民家で、ポコっと立ちあがる「おにぎり山」が随所に散りばめられた、除虫菊でこしらえた瀬戸内のパノラマを、実際に燃やし煙を立てるインスタレーションであった。
中島伽倻子さんの「時のふる家」、ガイドブックにあった記載があまりにも的確なので、それを引用する。「壁に貫通したアクリル板が照らす光 カットしたアクリル板を通して光が古家の内部に鋭く入り、室内を照らす。刻々と変化する光は家を暴力的に貫通することで、時代の流れや変化によって翻弄される島の姿を浮かび上がらせる。」
PARANOID ANDERSONSさんの「Long time no see」、空き家を解体し、そこから出る建材やら家財道具やらのすべてを使って制作された彫刻。一緒に居合わせた小さな男の子が両親に「これ、ごみだよね!」と叫んでいたが、使う人のいないガラクタとなったもので集積された作品は、この島の豊かだった生活を垣間見せた。
現地の人たちは「セトゲー」と呼ぶ
4回目ともなると現地の人たちは慣れたもので、私が聞いたことのない略称を使っていた。ボランティアののおじさんやおばさんたちは優しすぎるくらいに優しく、地域の来歴を彼らのテンポで語ってくれた。お遍路さんに対する「お接待」文化の延長なのだろう。私たちは「セトゲーさん」というわけだ。合計で116作品を見て回ったから、確かに「巡礼の旅」と言えなくもない。
欺瞞(ぎまん)ばかりがはびこる今日、自分で見て、知って、感じて、考える、それができなければ、他人に強要されない我が「人生」をどうやって生きていけるというのだろうか。ああ、もうすぐ隠居の身。私は自分の目で確かめたい。