隠居たるもの、過ぎ去った日々への憧憬を断ちがたい。ついつい立ち戻ってみたくなるものだ。しかしながら、表層的な環境は様変わりしており、そしてそれ以上にこちらの姿形も劇的に変貌しており、にも関わらずその実情が顧みられないとき、しばしば残念なことに私たちは滑稽な姿をさらしてしまう。だから批評眼を保つよう気をつけてはいるものの、ノスタルジーについ耽溺し引っ張られる場面は従前より増えてきた。また、人それぞれにノスタルジーが誘引される土地・施設も異なるものだが、日比谷野外大音楽堂、そこは私にとってまさにそういう場なのだ。

TOUR『NUMBER GIRL』 at 日比谷野外大音楽堂 2019.8.18

世紀が変わるころに博多からやって来て、日本の音楽界を席巻したNUMBER GIRL。今年、17年ぶりにスポットで再結成を果たし、日比谷野外大音楽堂を熱狂させた。WOWOWで放送された当日の模様を観て、大変に素晴らしく感極まった。再結成にはギリギリのタイミングだったのかもしれない。「若い」焦燥を混沌のままたたきつけるあの音は、40代半ばになった彼らの“今”を過ぎたら臨場感をもって鳴らせなかったのではなかろうか。そして、そんなメンバー4人、彼らはカラーは異なるもののそろってコンバースのオールスターを履いていた。

私たちはそこにいた

話題になる再結成を野音でなんて、こりゃ凄いセレクトと感心したものだ。自分たちがどこで演りたいかを優先した結果なのだろうが、メジャーデビューしてからたったの3年、2002年に絶頂期で解散した伝説のバンドだから、彼らを渇望していた人たちすべてを収容できるわけがない。多分、会場内と同じくらい3000人ほどの人が「音漏れ」を拾いに日比谷公園にたむろしていた。チケットが当たらなかった私とつれあいも、「漏れる」音を“聴き”に駆けつけた。壁の向こうはこれっぱかしも見えないのに、歓声も上げれば踊ってもいる若者たち。ここでしか味わえない解放感を前に、ノスタルジーは全開になっていた。初めて野音を訪れてから38年になる。

野音に宿る解放感

1977年7月17日、キャンディーズは「普通の女の子に戻りたい」とここ野音のコンサート中に叫んだ。1980年4月、高校2年になったばかりの春、友人に誘われ「野音開き」と銘打った入場料100円の「100円コンサート」に足を運び、私は野音デビューを果たす。その時の出演者は、ザ・ロッカーズ(陣内孝則がVo)、アナーキー、モッズ(当日キャンセル)、ノーコメンツ、シルバースターズ、ARB(石橋凌がVo)、ルースターズ、ストレイト。「めんたいビート」と呼ばれた、やはり博多からやって来たバンドばかりだった。当時、私はロックンロールの虜だった。野音が大好きになった。

霞が関にほど近い野音は、“音”の問題から土曜・日曜にしか開かない。寒い冬にも閉鎖する。都心の週末に、春から初秋の陽気のいい時に、ビールを飲みながら屋外で(今はどうかわからないが、高校生の時にも咎められたことが一度もない)、好きな音楽を聴いている。辛いのは夏の蚊とたまの荒天くらい。アナーキーは官公庁に向かって、いつだって悪態をついていた。これを解放感といわずして、何を指して解放感というのか。野音で音楽を聴き空を見上げると、過去にここで味わった快感の数々とその頃の想い出が解放され、一気にノスタルジーに押し切られるのだ。1987年4月19日、ラフィンノーズの公演で将棋倒し事故が起き、3人のオーディエンスが亡くなったあの日だって、私はたまたま外で「音漏れ」を拾っていた。

コンバース オールスターに託した思い

NUMBER GIRLの面々の足元を見るにつけ、35年ぶりにオールスターが履きたくなる。しかし、私はスタンスミスが奇跡的に似合わない男(「スタンスミスが奇跡的に似合わない」を参照いただきたい。https://inkyo-soon.com/stansmith/)。横で同じように放送を楽しんでいるつれあいにおずおずとおうかがいをたてる。「黒ならありだね、白はダメ」とお許しが出た。NYパンクの元祖 ラモーンズだってコンバースだ。ロックンロールな生活をする者はオールスターを履きこなさなければいけないのだ。消費税が10%となった10月2日、銀座のABCマートで4780円で購入した。これがだ、驚くほどに似合ってカッコいい。やはりそういうことなのだ。

ジョーイ・ラモーン、ジョニー・ラモーン、ディー・ディー・ラモーン、トミー・ラモーン、ラモーンズのメンバーは血縁関係にあるわけではないのに、皆でファミリーネームのようにラモーンと名乗っていた。もしあなたが、オールスターを履いている私の姿を目にし、「なかなか形になってるじゃないの」と思われるのなら、こう呼んで欲しい。ああ、もうすぐ隠居の身。別名は、“インキョ・ラモーン”だ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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