隠居たるもの、肩身を寄せて隣に座る。2022年12月24日土曜日、長野駅東口13時発白馬乗鞍行きバス、私たちはこれまでと変わらず発車10分前には乗り込み、通路をはさんでそれぞれ悠長にふた席ずつを占めていた。各々が窓際の席に座り、通路側の座席に荷物を置き、道中に読む文庫本を取り出して。2列後ろとなる最後列の席で、小学校低学年くらいの少女とその両親が、ゆったり間隔をとり他愛もない話に興じている。ウィンターシーズンに入ったというのにガラガラの高速バス、白馬に通い始めてから2年ほどの、いつもと変わらぬ見慣れた光景だ。それが発車まで5分を切ったあたりから状況が一変する。オーストラリアや東南アジアからと思しき観光客が、大きな荷物を転がしながら「To Hakuba?」と何組も押し寄せてくる。バス会社のスタッフがたどたどしく応対する。私はつれあいを促し、慌てて荷物を棚に上げて隣に並んで座る。あっという間にバスは満席、日本語を話す乗客は私たち夫婦と2列後ろの親子だけだった。
エコーランドでスキーを担いで歩いている人を見るのは3年ぶりのこと
「あ!スキーを担いで歩いているオーストラリアの方々がいる!エコーランドでこんな光景を見るのどれくらいぶり?もう3年になる?」いつもと変わらず白馬に着くなりスーパーで買い物をし、1時間も待たされたタクシーで散種荘に登る道すがらのこと。エコーランドというのはいわゆる飲食店通り(といっても田舎なので当然のこと牧歌的である)で、その周辺にはホテルやペンション、貸しコテージなど観光で訪れたお客さんの寝床が集積しており、スキー場に拡散するバスターミナル 白馬ベースキャンプといった拠点施設も設けられている。新型コロナ禍以前、外国からのお客さんでそれはそれは華やいだものだ。それがこの2シーズン、無残なほどに閑散としていた。雪が降り続く夕刻の悪路を運転しながら「なんとか戻ってきてくれました」と運転手さんの返答は朗らかだ。JR大糸線が運転を見合わせるほどの大雪、なのに続々と白馬入りする外国人観光客、タクシーはここ数日来、出ずっぱりだったに違いない。
とりあえずはスノーシューをはいて
それでは私たちも翌日から早々すぐにスキー場に足を運んだのかというと、まだ雪は降ったりやんだりで風が強く、スノーボード日和という天候にはほど遠い。うちも含めてあたり一帯の屋根雪がどっさどっさと落ちてくる。秋に私たちの目を楽しませてくれる隣地のカエデが、雪の重みにたわんでうちの庭でうちひしがれている。まだ雪が軽いうち、根雪ができていない今のうちなら救出できる。前回の滞在時にせっかく買いそろえたにも関わらず、姪孫たちへのクリスマスプレゼントをここ散種荘に置き忘れてもいて、「君たちへのクリスマスプレゼントは、君たちに届かずなぜかここにある」という言い訳クリスマスメッセージ動画も撮影しなければならない(ときには嘘だって方便、大叔父は「そそっかしいサンタクロースが私たち夫婦の頼みを聞き違えて、散種荘の煙突づたいにこちらに届けてしまった」と「人のせい」にすることにした)。そしてそれぞれ代わりばんこにスノーシューをはいて取り組んだ。なんだか私の腰の調子がおもわしくない。東京に戻るまでに、引き受けている「書き物」も仕上げておきたい。そんなこんなでクリスマスからの2日間は我が家でヌクヌク過ごしていた。
シャトルバスは一族郎党に占められる
天候がうって変わった27日からの2日間、満を持してゲレンデに足を運ぶ。朝9時を過ぎたあたりに、近くの停留所で五竜スキー場行きのシャトルバスに乗る。乗客は私たちだけなので最後列でゆったりと身体を伸ばした。「年末どん詰まりの平日だし、まあこんなもんかな」とタカをくくった夫婦は、結局のところ長野駅発白馬行き高速バス同様、慌ててピッタリ隣同士に座ることになる。次の停留所でチャイニーズの方々(中国本土からなのか、それとも香港や台湾、はたまたシンガポールからなのか判別がつかない。私にわかるのは「にぎにぎしく話されているのが中国語だ」ということだけだ)がごっそりと乗り込んできた。チャイニーズの方々は一族郎党、しかもふたグループくらいでまとまっていらっしゃる傾向がある。高価で機能の高そうなマスクをつけた彼らだけで、補助席を倒すまでにシャトルバスは満員となり、運転手さんは本部に追加でもう一台バスを出すよう要請していた。
そこそこに人がいたスキー場で飛び交うのは英語や中国語だけではない。リフト待ちすぐ後ろにいたカップルは楽しそうにフランス語ではしゃいでいたし、マレーシアからいらしたのか、髪をおおったイスラムの女性もお見受けした。日本語を使う人の比率はどうだろう、体感にして全体の20%っていうところだろうか。それはそれでなんだか楽しい。
寒い夜は鍋物にかぎる
「英語をしばらく使ってなかったから、なんか新鮮な気分なんじゃない?」馴染みの飲食店、八方尾根 名木山ゲレンデ近くの一成で、これまた冬の恒例、鴨しゃぶに舌鼓をうちながら店主夫婦と話した三日月が美しい夜のこと。満席となっていたお客さんのうち、日本語を話すのは私たち夫婦だけだった。トンカツ鍋と鴨汁つけそばを食していた若いオーストラリアのカップルは英語だし、この冬からメニューに加えたという鴨すき焼きをつついていた家族連れのチャイニーズはもちろん中国語(店主夫婦に語りかけるときは英語)。「いやあ、英語どころか日本語だって怪しいのに…」と照れる、どこから見てもいい人そうな店主の返答は朗らかだ。ずいぶん先まで予約が埋まっているようだ。顔見知りがすがすがしくにこやかなのを見ると、こちらも晴れやかな心持ちになる。
一方でこんな話も聞く。新型コロナ禍、閉めた飲食店もたくさんあったし、従業員を減らしてなんとか乗り切った店もあった。つまり、白馬から飲食店で働く人が大幅に減ってしまった。外国からの観光客が戻り始めても、働く人が戻ってこないのだという(それはそうだ、なんとか他で仕事を見つけてがんばっているのだろうし)。そういえば12月半ばにこちらにきた際、急遽リゾートバイトとして来日したと思しきオーストラリアの方々をあちらこちらで見かけたっけ。どちらにしろこのミスマッチは容易なことではない。それを見越してか、別荘地管理会社が「みそら野キッチン」なる地域限定デリバリーサービスを始めた。2人前4200円也の寄せ鍋を注文してみた。これがどうしてどうして、大変に美味しいのである。久方ぶりに数カ国語に取り囲まれる日常を取り戻しつつある白馬、なんだか活気づいている。もちろん新型コロナに罹患しないよう周囲を見渡して用心はするが、肩身を寄せるのも悪くない。ああ、もうすぐ隠居の身。今年はこんなところで。それではみなさま、良いお年を。