隠居たるもの、匠の技に我が意を得たり。9月1日、「山の家」をこしらえている住宅メーカーの担当者らと示し合わせて建設現場を訪れた。この前に足を運んだのは8月21日のことであったから、10日やそこらでの再訪となる。月が変わって唐突に涼しくなり、電車で長い時間ゆられて標高の高いところに向かうわけであるから、つれあいに促され渋々ひと月ぶりに長ズボンをはく。山に行くのだけれど登るわけでもないし、そうなると「とにかく機能性重視」という気分でもなくなって、これまた久しぶりにポロシャツを、フレッドペリーのポール・ウェラーモデルを引っ張り出した。乗るのは白馬まで直通 8時ちょうどの新宿発「あずさ5号」、単身にて日帰りの視察旅行だ。階段もついたし、ずいぶんとカッコがついたと聞いている。

「大きな森の小さなお家(うち)」を建てているのは大和ハウス工業(株)である

曇天の白馬駅、ダイワハウスの設計と営業それぞれの担当が2人で乗ってきた自動車にピックアップしてもらう。みなさんから「山小屋いいねえ、ログハウス?」と問われると、「いや、ダイワハウスで建てている」と当然のこと答える。すると大概はビックリされる。「ダイワハウスで山小屋を建てる人なんて初めて聞いた」と言われたことさえある。発注するにあたっては当然のこと理由があった。「あの別荘はなんだかカッコいいねえ」と感嘆する建物は、建築家の設計事務所を通して建てられたものに違いなく値が張りそうだ。まずはそんな資金がない。それに意匠的にも奇抜だから、どこかに無理がしわ寄せて、頻繁に同じところに支障が起きそうだ。白馬は雪がたくさん降る土地柄である。メンテナンスにかかる労力も馬鹿にできないだろう。崩れたままの一画を持つ木造の建物を現地でたくさん目にした。わかっておらず、その上にそれだけの根気も持たないくせに、雰囲気ばかりを重視すると必ずやしっぺ返しを受ける。それらの直感を集めて判断し、ごく近い身内がそこに勤めていることも重要なことと考慮して、結局のところ質実剛健 鉄骨住宅のダイワハウスを選んだのだ。普請道楽の私たち夫婦のとめどない要望につきあって、担当の方々それぞれ2年近く一緒になって頭をひねってくれた。新型コロナ禍を乗り越えて、ゴールまであと少しである。

なんということでしょう、薪ストーブが!

昼過ぎに私たちが現場に着いたとき、職人さんたちは一段落という風情であった。私はこの日にどんな工事が入っているか聞いていなかったのだが、後片付けを始めていた職人の方々は、私が暮らす江東区のお隣、墨田区からはるばるやって来たファイヤーワールド永和さんであった。(参照:「東武亀戸線に乗って薪ストーブを物色する」https://inkyo-soon.com/wood-burning-stove/)なんということだろう、とうとう薪ストーブが取り付けられるに至ったのだ。前回と打って変わって、「小さなお家」の中はすっかり片づいていて狭く感じることもない。感無量である。

なんということでしょう、キッチンが素敵だ!

可能か不可能か、どれが選択の対象になるのか、いくらかかるのか、どうやったら安くできるのか、そんなアドバイスをダイワハウスの担当の方々からもらいながら、胸ぐら掴み合わんばかりに喧々諤々と「絵」を描いたのは私たちだ。中でもキッチンはつれあいの力作である。近くにフローリング施工会社を営む若い友人が住んでいる。余ってしまったからと彼から安価に譲り受けたオークの高級フローリング材、「キッチンの壁は壁紙ではなく天然木の板張りにしたい」というつれあいの望みを受けて「壁材」にも援用された。なんということだろう、あまりにも素敵だ。すっかり「形」にしてくれた。

なんということでしょう、いささかなりとも書斎スペースがある!

2階にのぼる階段スペースの下は、私の書斎スペースだ。格子状のついたての向こうが小さな机。真ん中の棚に「INKYOシネマズ」の映写機であるプロジェクターがのる。その下がレコードやいくらか持って行く本をやりくりしながら置くスペースだ。前回の視察時、あまりに雑然とごった返していたがゆえに悲しく諦めてもいたのだ。それがだ、なんということだろう、なんということだろう。本当に安堵した。この小さなスペースがあってこその「山の家」だ。

家中あちこち正確な採寸ができて、これで最終的な構想を固め進めることができる。「おそらく人生最後のなけなしの大散財」(参照:https://inkyo-soon.com/the-great-shopping/)もラストスパートに入る。引き渡しを受け、様々荷物を搬入するのは4週間後に迫っている。

「星に仄めかされて」

単身日帰り白馬視察出張に際し、多和田葉子の最新作「星に仄(ほの)めかされて」を持参し車中で読んでいた。彼女はドイツ在住で「言葉」や「言語」に鋭敏な素晴らしい小説家だ。それだからどうしたというわけでもないが、世界各国の文学賞を軒並み受賞している。今作は沈没してしまって今はない日本らしき国の「言葉」や「言語」を探し求めるそれぞれに多様な若者たちの物語、「地球にちりばめれて」の続編である。9月1日、この日は関東大震災から97年の「防災の日」である。世情は何かと賑々(にぎにぎ)しいが、「言葉」に重みが伴わなければならない人々が語る重々しい「言葉」がどうにも軽い。はなから「真実」を語るつもりがないからだろう。多和田葉子の仕事は軽やかだけどずっしりとくる。山の家がもうすぐでき上がる。ああ、もうすぐ隠居の身。そんなことを思いながら帰路についた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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