隠居たるもの、閉塞した世情に料簡(りょうけん)を解き放つ。世界を恐慌に陥れている新型コロナウィルスである。ここ東京においても緊急事態が延長されたが、いまだ隠居にたどりついていない我が身、幸いなことに在宅での勤務を継続するよう命じられている。普段は見ないワイドショーなどを徒然に眺めながら、「時世や歴史を語るに際して、これからは『戦前・戦後』と同じく『コロナ前・コロナ後』と呼称されることになろう」などと考える。そうした時になぜか頭に浮かんだのが夏目漱石「それから」だった。「結末近くのあの台詞なんだよな、どうだったっけ?」、確かめると「仕様がない。覚悟を極めましょう」、三千代はそう言っていた。

恋したとき、少女。愛したときは、親友の妻だった。

映画化されたときのコピーである。こう続く「あの青春の、決着はついていない。」今作は「三四郎」から続く漱石の前期三部作の第二作(「門」が第三作)だ。手元にある1948年発行 2006年125刷の新潮文庫の裏表紙に記載されたあらましを引用する。「長井代助は三十にもなって定職も持たず、父からの援助で毎日ぶらぶらと暮らしている。実生活に根を持たない思索家の代助は、かつて愛しながらも義侠心から友人平岡に譲った平岡の妻三千代との再会により、妙な運命に巻き込まれていく……。破局を予想しながらもそれにむかわなければいられない愛を通して明治知識人の悲劇を描く」作中で代助は自身のことを「高等遊民」とかいってたし、女性を「譲る」のどうのと今日からすればツッコミどころは満載なのだが、私はどこか情緒が漂うこの作品が好きだった。今は亡き映画監督 森田芳光もそうだったのだろう。数ある漱石作品の中から、彼が映画化すべく選んだのは、「三四郎」でもなければ「こころ」でもなく、この「それから」だった。

※より詳しくはウィキペディアでどうぞ。https://ja.m.wikipedia.org/wiki/それから

藤谷美和子が「仕様がない。覚悟を極めましょう」とつぶやく

松田優作の長井代助もさることながら、藤谷美和子が扮する病弱な平岡三千代がどうにも可憐で他に並ぶものがない。(100円でカルビー ポテトチップスを買っていたあの藤谷美和子がである。)三千代の夫 常次郎を演じた小林薫も良かったし、演出も含め1985年の日本最高傑作だったと信じている。森田芳光監督と松田優作が若くしてこの世を去ったことが本当に惜しい。代助に迫られ平岡と別れてともに暮らす決断を三千代がしっとりとする場面、映画でも小説そのままに「仕様がない。覚悟を極めましょう」と言ったと記憶しているが、なにも夏目漱石「それから」をここで省察するなどと大それたことを目論んでいるわけでもなく、ただ、「『コロナ前・コロナ後』と認識し、社会のあり方そのものを考え直すべきだろう」そんなことを考えたとき、藤谷美和子が静かにそうつぶやく様が脳裏に浮かんで離れなくなったのである。物語は、勘当された代助がふらふらと頼りなく社会へ足を踏み出したところで終わる。そして、電車の中で傍(はた)の人に聞こえるように代助はこう言う。

ああ動く。世の中が動く

スペイン風邪が流行したのは、「それから」が発表されてから9年後の1918年。日本では約39万人の死者を出した。当時の人口は5500万人だから、今の1億3000万人の人口に置き換えてみると約92万人にあたる。確かに100年前のことかもしれないが、新型インフルエンザの脅威にさらされたのだってたった11年前の2009年のこと。コロナを乗り越えたところでいつかまた間違いなく新たなウィルスが登場するに違いないし、一度パンデミックが起きれば、自身が感染しなかったとしても暮らしが成り立たないことも思い知った。それに加えパニックに煽られて嬉々と繰り返される愚行も日々に目にしていて気が滅入る。だからこの際、「新しい生活様式」などという姑息なことではなく、もっと根源的に「覚悟を極めて」社会のあり方に思いを巡らすべきではなかろうか。例えば、すべての危険が網羅された東京一極集中はどうだ?

Think Globally , Act Locally

そう仕向けられているだけで、幸せを感じて一極に集中しているわけではなかろう。日々にこの街で暮らしていて疑問に思う。これから人口が減っていくというのに、なぜに高層ビルを何本も何本も建て続けるのだろうか。ギリギリを超える人口密度から私たちの目をそらすため、ひっきりなしに似たようなイメージが新しく作り直される。そうして肥大化し続けた街は、ウィルスを前に弱味だけしか持ち合わせず、ただ立ちすくむことしかできない。もう口車に乗っていることもあるまい。テレワークの仕方はわかったし、集中を拡散させる方法を考えたらいい。

世界を股にかけることはもはや恥ずかしい。ジェットセッターとおだてて “多忙な選ばれた人” イメージをデッチあげようとする広告代理店の愚かしさを常々忌々しく思っていた。この間、リモート飲み会を何回かやってみて気づいたが、移動を伴わなくても可能なことは今日たくさんある。追われて我を忘れる必要などないのだ。飛行機が飛ばず、車も普段ほど走らないこの2ヶ月、世界中の大気は今までになく澄み渡っているという。

「働き方改革」を真剣に考えてみたらいい。在宅勤務になったこの間、よく耳にする話がある。「仕事に拘束される時間が減った」。人それぞれだから誰しもということではなかろうが、単純に「通勤時間」とか「上司の顔色」とかストレスが減っているという。また、これも人それぞれだろうけれども、「外出しないからお金もかからない。そもそもあんなに働く必要があったのか?」とか。

私が「もうすぐ隠居」を志したのは、これらのことを疑問に思い始めて「いちぬけた」としたかったからなんだけど、若い衆よ、主導して「コロナ後の世界」を新たに構築してくれないか?

今、最も信頼しているのは岡田晴恵先生

一方には「変えまい・変わるまい」と必死な人たちがいる。「コロナ発生の原因があいつらにあるという証拠が多数ある」と息巻きながら証拠を出さないあの人だったり、多くの人が眉をひそめる法律をこの期に及んで平気でゴリ押しする小さな布製マスクをしたあの人だったり…。「敵対」あってこその往生際の悪い人たちだ。先ほど、ご近所さんの高田川部屋の三段目力士 勝武士(28歳)が新型コロナが原因で亡くなったと報道があった。素直にショックを受けている。世界はもう元には戻らない。戻ったように見えたとしても、それはもう同じ世界ではない。そう、「仕様がない。覚悟を極めましょう」なのだ。

ああ、もうすぐ隠居の身。そういうことで今、最も信頼しているのは岡田晴恵先生である。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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