隠居たるもの、褪せない衝撃が眼を覚ます。4月の中頃、友人がFBで雑誌「Pen」の井上陽水特集号を紹介しているのを目にした。友人がいうように、確かにずっと家にいるから「じっくり読んでみたい」気になってamazonから取り寄せる。音源は古い「氷の世界」と20年以上前のベスト盤「GOLDEN BEST」この2つのCDしか持っていないのだが、こちとらネットワークオーディオプレイヤーを導入したばかり、Apple Musicで探すとベスト盤以外はすべて配信されていた。喜び勇んで1972年のデビューアルバム「断絶」から発表順に聴き始め、ユニットの井上陽水奥田民生を含めて全27枚のうち、今は24枚目の2006年「LOVE COMPLEX」である。今までに3度、井上陽水をライブで観たことがある。とりわけても最初に観たあのステージ、その衝撃は今でも昨日のことのように蘇る。

※参照:「TEACのネットワークオーディオプレイヤー:https://inkyo-soon.com/network-audio-player/

2002年7月27日土曜日17:10 フジロックフェスティバル グリーンステージの井上陽水

フジロックフェスティバルは陽水にとってはアウェイであった。当時のフジロックの主要客層は洋楽好きの若者たち(少しずつ変容していて今はそうとも限らない)、彼らにすればレジェンドっぽいことはなんとなく知っているものの、子供のころ(1988年)に見た日産セフィーロのCM「『みなさん、お元気ですか』のお茶目なおじさん」といったところ。陽水の登場を待つグリーンステージ(フジロックで最もキャパシティが大きいステージで、4万人くらい収容)、私たちが陣取るそばで「『お元気ですか〜』つって出てくるのかな。ちょっと見てからメシ食いに行こうよ」友人同士でそう語り合う細っこい男の子たちがいた。

陽水はアコースティックギターを抱えて、たった一人でニコリともせず挨拶もなしに現れた。そのままたった一人でギターをかき鳴らし、そしてたった一人で「都会では自殺する若者が増えている」と歌い出す。「傘がない」だ。 グリーンステージに2万人後半から3万人近くはいたと思われるのだが、その観衆に陽水はあの声でたった一人で対峙する。鳥肌が立つような緊迫感に会場は静まりかえった。陽水は喧嘩を売っている。1番を歌い終えるころにバンドメンバーが一人ずつ現れ音を重ねていき、最後に現れたリードギタリストが「ギュイーン」と音を出した瞬間、シーンとしていた会場から止むに止まれぬ地鳴りのような歓声が沸き起こる。私たちは陽水の圧倒的な“力”の前にひれ伏したのだ。

まだ存命で毎年フジロックに出演していた仲良しの忌野清志郎に「フジに来る客は君のことをよく知らないから、売れた曲から順番にやればいいよ」とアドバイスされていたそうだ。MCもなくセットリストは「夕立」「アジアの純真」と続く。次の「コーヒー・ルンバ」でようやくおどけてくれて会場が和む。「リバーサイドホテル」「嘘つきダイアモンド」「飾りじゃないのよ涙は」と緩急おりまぜてから名曲「少年時代」。苗場の山の中で聴くこの曲は格別で、誰もが空を見上げ遠い山々を見やり、こみ上げるものを噛みしめるような顔をしていた。それから「My House」を挟んで怒涛のエンディングへと続く。「氷の世界」と「最後のニュース」。2001年9月11日米同時多発テロからまだ1年も経っていないこの日、陽水は「忘れられぬ人が銃で撃たれ倒れ みんな泣いたあとで誰を忘れ去ったの」という歌詞を持つこの曲を最後に歌ってステージから下がった。「ちょっと見てからメシを食いに行く」と言っていた若い男の子たちは、立ち尽くしたまま最後まで観ていて「すげえ、すげえ、すげえ…。」と呆然と繰り返していた。当時の陽水は54歳になるホンのちょっと前だった。

2012年7月29日日曜日15:50フジロックフェスティバル グリーンステージの井上陽水

数えれば今までに21回もフジロックに通っていて、のべにしたら400近いステージを観ている。その中でも2002年の井上陽水は間違いなく私のベスト5に入る。あまりに衝撃だったから、その年の彼のツアー(確かデビュー30周年ツアーだったと思う)、晩秋の日本武道館のチケットを取ってみた。1時間のフジロックと違って休憩ありでほぼ3時間、それはそれで素晴らしいのには違いないが、私が期待していたものとはちょっと異なっていた。ほぼ彼のファンで席が埋まった密閉された会場は、終始穏やかだった。

恐ろしいほどの出演者がそろった2012年のフジロック、井上陽水は2度目の出演を果たす。出番はトリにRadioheadが控えている最終日で、もちろん前回と同じグリーンステージ。10年前のステージはすでに伝説となり期待も高まっていて、またフジロックの主要客層も少し年齢が上がっていたりして、前回のようなアウェイ感はない。だからといってまったりしたファンばかりでは当然になく、それに仲良しの忌野清志郎はすでに鬼籍に入っている。「東へ西へ」で幕をきったステージはこう続く。「2.感謝知らずの女 3.リバーサイドホテル 4.帰れない二人 5.なぜか上海 6.限りない欲望 7.最後のニュース 8.氷の世界 9.夢の中へ 10.少年時代 11.傘がない」代表曲でまとめたセットリストではあるが、清志郎に捧げた彼との共作曲「帰れない二人」、会場が一気に跳ね上がった「夢の中へ」などが胸に残る、それでいて余裕しゃくしゃくのこれまたとてつもなく素晴らしいステージだった。

井上陽水が聴きたくて。

「Pen」の特集記事をすべて読んだ。それに合わせて彼のアルバムをたくさん聴いた。彼の曲は「時代」にさらされない。なにひとつ古くならない。また、50年に及ぶ創作活動のどの時期にだって唸ってしまう名曲がある。アルバムは「氷の世界」に限ると思っていたが、「スニーカーダンサー」と「LION&PELICAN」だって特筆するほどに素晴らしいことに気づく。そして、今でも一番好きな曲は「ミスコンテスト」(「white」収録)であることを思い出す。この曲は陽水が大麻で捕まってからの復帰作、私は中学2年、陽水の新曲をリリースされたばかりにリアルタイムで聴く初めての体験だった。華々しいミスコンテスト、その内実が「倦怠」と「惰性」でしかないことをシュールに歌うこの曲に、中2病の14歳はなぜかやられてしまったのである。つれあいが、編み物をしながらアルバム「スニーカーダンサー」収録の「海へ来なさい」を曲に合わせて口ずさんでいる。陽水が生まれたばかりの息子のために作ったこれまた名曲だ。「Pen」でロバート・キャンベル氏がこの歌詞を評価し解説していたのを読み好きになったのだそうだ。あの曲にしてあの歌詞、そしてあの声にしてあの大きな体。この人は“天才”という言葉には収まりきらない。ゴジラみたいな感じ?いつまでもお元気で。また観に行こうと思う。ああ、もうすぐ隠居の身。井上陽水が聴きたくて。

*記事中にあるフジロックのステージではありませんけどね。2007年のライジングサンロックフェスの映像です。
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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