隠居たるもの、遅ればせながら新年のご挨拶。2024年、明けましておめでとうございます。

年末年始は東京で過ごす。いつもと変わらず元旦に両親の墓参に出向き、「とうとう半年もしないうちに還暦を迎えます。つまり年男というわけですが、だからといって60代ともなれば『今年こそ飛躍を!』ってえのは勘違いも甚だしい、もはや欲深いことでございましょう。まかり間違っても『精進』を重ねるような荒業なぞもうしませんので、まあよろしく見守ってやってください」と墓前に誓った。帰宅後、予約注文していて大晦日に安彦水産から引き取っていた正月用の刺身を食卓に並べ、年明け早々に誘った友だちが遊びに来るのを待つ。

午後2時過ぎに始まった酒飲み3人の新年会は愉快に進む。そして午後4時を回ったころ、マンションが少しだけ揺れた。「こりゃ震度2から3ってところかい?」などといっとき警戒モードとなるものの、収まったのをよいことに3人の「アラカン(アラウンド還暦)」は、テレビもつけないままああだこうだと話に興じてそのまま飲み続ける。実はそのとき能登半島を大地震が襲っていた。

「もう日本はどうなってしまうんだろうと…」

1月4日、東京から白馬に戻る。長野駅のMIDORIでしたい買い物もあるし、今回は久しぶりに新幹線をチョイスした。去年の同じ時期と比べても明らかに東京駅構内は人が多い。正月休みを終え移動する方々、5日を有給休暇にして長い休みの後半戦を楽しもうという方々、そもそもそんなこと関係のないインバウンドさん、いっしょくたになってごった返している。しかし私たちが並ぶ23番線 北陸新幹線 金沢行きの列はまばらだ。乗り込んでみると、あちらこちらにインバウンドさんも見かけるしガラガラとまではいかないのだが満席からはほど遠い。向かいの22番線から出発する上越新幹線 新潟行きの列がずらっと長蛇であったのとは対照的だ。列車の向かう先が観光どころではないのだ、当然のことだろう。

長野駅 アルピコ交通 白馬行きのバス乗り場は東京駅構内にも劣らない。しかしこちらの行列はほぼインバウンドさんで占められ、リュックひとつ背負った私たち夫婦と違って誰もがとんでもなく大きな荷物を抱えている。もちろんバス1台では乗り切れず、2台目もすぐそこに待機している。各人にチケットを販売しつつやっとこさっとこの英語で人の流れをさばく、冬季のみの臨時雇い職員も含むアルピコ交通のスタッフは大わらわだ。私たちに乗車チケットを販売したスタッフに「今年は大変ですね」と声をかけると、50代と思しき彼女は即座に「本当に…。元旦そうそうにあんな大きな地震でしょう。あのときも私は働いていて、ちょうど地下の休憩所で休んでいたところだったんです。ここら辺もずいぶんと揺れて怖かったんですよ。震度5でした。それで、能登があんなことになってしまって…。そして次の日に羽田空港で旅客機が炎上する信じられないあんな事故も起きて…。今年もう日本はどうなってしまうんだろうと、私なんだかショックで…」と涙ぐんで自身の絶望的な心情を吐露する。慰労を含んだ「インバウンドさんが出そろっていよいよ大変ですね」という私の問いかけに対する答えとして少し面食らいはしたのだが、ショックのあまり働けるような精神的状況ではないにも関わらずなんとか身体を動かしている彼女にかける言葉は「そうですね」以外に見当たらなかった。

北アルプスを超えて向こうは

「山のあっち側には降らないでいてと思うけど、山のこっち側には降ってほしいし…、なんだか困っちゃうわね」1月7日、散歩がてら馴染みのパン屋さんkoubo-nikkiに買い物に来て世間話をしていると、お母さんが窓の向こうの山を見上げてそう言った。このお母さんは、放っておくとおしゃべりが止まらなくなる。それを察知してか、奥にいた店主である娘さんが慌てて店先に現れテキパキとレジを叩き始める。白馬はこの冬、雪がとても少ない。パウダースノーを魅力にインバウンド客を惹き寄せる信州の山間の村だから、雪の多寡は「死活問題」だ。予報では午後から警報級の雪になるという。だからほっと胸を撫で下ろすような気持ちにはなるのだけれど、目の前に仰ぐ北アルプスの向こう側はすぐ富山で、能登半島地震の悲惨な被災地からそう遠くもない。「できることなら山を境にしてくれれば…」そう願うのはもっともだろう。

Speaking in Tongues

昨年末のことだった。行ったことはないのだが、気になっている小さな焼き鳥屋が山を少し下りたところにあった。インバウンドさんが闊歩する白馬では、あらかじめ予約をしないかぎり飲食店に席を占めることはできない。電話してみると「カウンター席でなら」という。私たち夫婦は若いオーストラリア人カップルの左隣に座ることになった。私が手羽先を頬張っていた頃合いだったろうか、つれあいがすぐ右隣にいるブロンドの彼女に唐突に「箸の使い方が上手ですね」と話しかけた。つれあいの身振りで自身の箸の使い方を評しているのだろうと理解した彼女は、右手の親指を上にしそして下にし「上手いの?それとも下手なの?」と首を傾げる。私は右手の親指を上に向けて差し出した。

そのあと仲良くなって話が弾んだというわけではない。しかしカウンターに並んだ4人の空気は間違いなく和らぎ、私たちが先に帰る際には顔を見合わせて「Good Night」と挨拶まで交わす。つれあいは穏やかそうなカップルに好感を持ち、その心持ちを伝えたかったのだそうだ。散種荘への帰りがけ、「発語することにしたの、これからは」と鼻息が荒い。相手が誰であれ、きちんと伝わるかどうかは気にせず、口にしたいことがあったらまず飲み込まず言葉にして発する、そうすることにしたのだそうだ、これからは。

私は性懲りも無く毎年その年のテーマというかキャッチコピーみたいなものを作る。ここで本年のテーマの発表である。Speaking in Tongues、スピーキング イン タングズ。Talking Headsのアルバムタイトルからとった。宗教的な文脈で使われる表現で、「異言を話す」と訳されるそうだ。キリスト教などの一部の宗教で、聖霊によって与えられたと信じられる特別な霊的なギフトとして、人が理解できない言語で祈りや賛美を表現する行為を指す。どちらにしろTalking Headsだってそうした宗教的な意味合いそのままで使っているわけではあるまい。日常の中で口から出ようとする言葉を飲み込まず、結果として「異言」であろうとそのまま音にしてみる、そういうことだ。そう意識し始めた途端、どういうわけか見知らぬ人から話しかけられるようにもなった。そうこうするうち、隠居に至るロードマップも浮かび上がるだろう。とにかく半年もすればいよいよ還暦なのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。本年もよろしくお願い申し上げます。

アルバム「Speaking in tongues」のオープニング曲「Burning Down the House」
投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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