隠居たるもの、「特上」を見定めるまでの3分間。2023年9月17日、私は一人わびしく深川の庵で、夕飯の「特上 カップヌードル」ができあがるのを待っている。2時間ほど前、寄り合いに出向くつれあいを「え?その路線案内は、東京メトロ半蔵門線で渋谷に出て東急東横線に乗り換えて中目黒、そんなことをぬかしてるの?違う。半蔵門線は大手町で降りて、丸の内線に乗り換えて霞ヶ関まで行って、日比谷線にまた乗り換えて中目黒、この方がいい。だいたいすべて東京メトロで済むから運賃が断然に安いし、実のところ乗り換えだってよっぽど容易い」と送り出していた。私は東京の地下鉄にめっぽう強い。営団地下鉄(正式名称は帝都高速度交通営団、2004年に民営化され東京地下鉄株式会社、つまり東京メトロになった)で通学を始めたのが1977年の春、それから46年以上にわたって日常の「足」にしているからだ。カップヌードルが商品化されたのはそれより5年半早い1971年9月のこと、そしてこのたび「特上」とやらが店頭に並んでいる。放っておけるわけがない。
避暑を切り上げたその夜に
なにやら16日から始まった9月のこの3連休、「リベンジ夏休み」と呼ばれているのだそうだ。今年はお盆をはじめ「ここぞ夏休み」というあたりにいつも台風が襲来した。夏休みらしい夏休みを過ごせず鬱憤をためた方々が、この3連休と10月の3連休、リベンジすべく虎視眈々と狙いを定めているという。だから私たちは15日をもって「今夏の避暑」を切り上げることにした。中央線特急あずさ46号に乗って、白馬中心の生活から東京中心の生活に移行する。
改札を通ってホームに入り、列車を待つ間ベンチに腰掛ける。左側の肘掛けのちょうど肘を掛けようとしたところに10cmほどのカマキリが悠然とたたずんでいる。羽根の一部はすでに秋の色だ。ゆっくりと首を回してじっと私を見つめ始める。「避暑を切り上げて東京に戻るそうね、お達者で」、見送ってくれているようだ。私はなんだか照れた。しかし、東京に戻ってすぐに辟易とする。なんたる湿気、そしてこの暑さ…。そんな心持ちでスーパーをうろついているとき、「特上 カップヌードル」が目に入った。
これは「最強 どん兵衛」の二番煎じか
考えてみれば、日清は昨年にも「最強 どん兵衛」というヒット商品を産んでいる。正直なところシリーズの「きつねうどん」には感心しなかったが「かき揚げそば」のグレードアップには驚いた。その二番煎じに選んだのが、なんとカップ麺の元祖 カップヌードル。1972年2月、連合赤軍の残党が立てこもった酷寒のあさま山荘、包囲している機動隊が湯気上がるカップヌードルを美味しそうにすするあの光景。NHKと民放合わせて、テレビで生中継された視聴率は過去最高の89.7%だったというから、私たちのほとんど誰もがそれを確かに目にしたのだ。そしてカップヌードルは爆発的ヒット商品となり、以来半世紀を超えた。59歳である私は、遥か彼方にかろうじて「カップヌードルがない世界」の記憶を持つギリギリの世代ともいえる。そのカップヌードルに、通常からすると定価にして23円高い「特上」が、この9月11日からラインナップされたのである。
つれあいが夕食をとりながらの寄り合いで中目黒に出向くことは約束されていたから、「そのすきに試してみようじゃないの」と、各種とりそろう中から王道ともいえる元祖をひとつ買い求めた。BGMのように入船亭扇辰「鰍沢」を流す。3分待つ間に少し調べてみて、以下に記す「誕生秘話」に「なるほど!」と膝を打つ。
即席めんをワールドワイドにするヒントを得るために欧米視察旅行に出かけた安藤百福、ロサンゼルスに着くとすぐに大手スーパーに向かいチキンラーメン試食をバイヤーに頼んだそうだ。しかし、そもそも丼がないアメリカである、困ったことにチキンラーメンを入れる器がない。するとバイヤーの1人が紙コップを持ってきて、チキンラーメンを2つに割って中に入れ、そこにお湯を注いでフォークを使って食べた。「どんぶりと箸さえあれば、いつでも、どこでも、簡単にラーメンを食べられる」というのがチキンラーメンの開発思想であるが、アメリカではそのどちらも使わない。美味しさに国境はなかろうが、習慣の壁はある。「世界で愛される食品にするために、めんをカップに入れてフォークで食べられるようにしよう」そう考えついたのだという。(OTONA LIFE https://otona-life.com/2018/10/12/6129/ の記事で知り、要約のうえ引用しています。)
最大サイズの謎肉と特製トリュフ風味オイル
湯を入れ紙蓋が浮かないよう文庫本を重しに載せる。若いころにまったく歯が立たなかった、ホルクハイマーとアドルノの共著「啓蒙の弁証法」。いくらなんでも初老にさしかかったからにはいくらか理解できるだろうと「夏休みの課題図書」としたのだが、あいかわらずどうにも難攻不落。さて3分経った。特製トリュフ風味オイルを入れてから早速すすってみる。なるほど、このオイルを足すことによって風味が奥ゆかしくなる。パッケージに「最大サイズの謎肉」と謳うだけあって具が大きい。でも、なんというか、わかりやすく「特上」なのはそのふたつだけだ。「その違いこそが大きいのではないか」といえばまあそうなんだが…。とはいえ結局のところ、トリュフ風味オイルが美味しかったから、スープまでもすべて飲んでしまい、残暑厳しきおり、シャワーを浴びたあとにもかかわらず汗をかく羽目にはあいなった。
歳を重ね口にする機会はめっきり減り、子どもがいないせいか台所にインスタント食品の買い置きもあまりない。しかし、今後はそうとばかり言ってもいられまい。例えば私たちが暮らす江東区、このところ「在宅避難」という意識を浸透させようと躍起になっている。春にあった選挙を経て私と同年代の女性に区長が代わり、ようやく現実を直視し始めたのであろう。常にどこかで災害が起きるこの国で、しかも東京で直下型地震が起きることも予想される今日に、雨後の筍のようにタワーマンションが建ち人口がますます増え続けるここ江東区である。いざというとき避難所が容易に機能するはずもない。当然のこと私たちは、何日かは持ち堪えられるよう備蓄食や非常用トイレはあらかじめ準備し、どうあっても役立つよう賞味期限などを気にかけつつ常に自身の手で更新させなければならない。半世紀を経て登場した「特上カップヌードル」を完食して思う。もしかしたらいざというつらいとき、この23円分の「特上」感こそが。ああ、もうすぐ隠居の身。そう、ふとした慰めになるやもしれぬのだ。