隠居たるもの、野望の成就にとりかかる。2023年9月12日の午前中、天気予報では午後から雨だというし、私は前日の夕刻に引き取った新品のスケートボードを小脇に抱え歩いていた。散種荘から少し登ったところに、滅多に車が通らずほぼ起伏のない道がある。そこで練習しようという魂胆なのだ。還暦の誕生日からしばらく過ぎた8月末のこと、つれあいが唐突にポツリと「スケボーを始めたい」とのたまった。人生一巡のタイミングにそんな大それた野望を持っていたとは露知らず、私は目を丸くして驚いた。「オフシーズンのスノーボードトレーニングのため」なのだそうだ。豪気な話である。しかし悲しいかな門外漢、「それ、いいねえ!」と面白がるが、初老にさしかかった初心者にはなにをどうすればいいのかさっぱり見当がつかない。

白馬スポーツのウィンドウに並ぶDEER SKIN PRODUCTS

マガジンハウスが「POPEYE」を創刊したのは、私が小学6年生で12歳だった1976年のことだ。主にアメリカ西海岸の文化やファッションを紹介する雑誌、中学に入るとこれに心酔する同級生も現れたものだ。(私はというと、通学途上の駅売店でようやく恥じらいもなく自ら買えるようになった平凡パンチや週刊プレイボーイで事足りたし、その他に1972年にすでに創刊されていたロック雑誌「ロッキンオン」なども読み始めていた。)このころだったと思う、スケートボードが日本に入ってきたのは。しかし当時の「POPEYE」がスケボーに多くの紙面を割いたとはいえ、「カルチャー」として根づくまでにはまだ時間を要したからか、かじりはしても「スケーター」と呼んでさしつかえないほどに継続し上達した者は私の周りに見当たらない。つまり「教えてくれる人」も思い浮かばない。

買い物に山を下りたついでにどこかで昼食をとり、常と変わらず白馬駅前通りをふらっと歩いていた。申し訳ないことにいつもは気に留めることもなく通り過ぎる駅前のスポーツ用品店 白馬スポーツ、目が釘付けになる。工事中の歩道に面したウィンドウにスケートボードがずらりと並んでいるではないか。板には白馬三山とともに「DEER SKIN PRODUCTS」と刻印されている。その下には「Handmade in HAKUBA」とも記されている。黄緑のホイールもカッコいい。これまで気づきもしなかったくせに、ドンピシャとばかりふって湧いた光景に、初老にさしかかった夫婦は運命のようなものすら感じて勝手に色めきたつ。しかし私たちは大人だ。ここはとりあえずお互いを嗜め気を落ち着かせてやり過ごし、門外漢なりにもう少し調べてみることにした。

飛ばない大人のスケートボード。

インターネットで検索すると、白馬スポーツのHPがすぐに見つかる。お目当てのDSP Skateboardsのコピー、「飛ばない大人のスケートボード。」である。どうやら「オフシーズンのスノーボードトレーニングのため」に最適なのである。白馬村のふるさと納税の景品にすらなっている。勝負あり。もうこれ以外は目に入らない。姪孫軍団を見送った9月4日、買い物がてら山を下りた私たちは、初めて白馬スポーツの敷居をまたいだ。海のものとも山のものともわかっていない門外漢に、店のスタッフであるプロスノーボーダーがとりあえず実地でレクチャーしてくれるというから、あらためて散種荘のほど近くで待ち合わす。ここまできたらもう後戻りはできまい。だってなんだか面白いのだ、つれあいが何ヶ所か蚊に刺されたことすら気づかないほどに…。

Vansのスケーター仕様スニーカーを買い求める

初心者が扱いやすいようなパーツ組み合わせで一台あつらえてもらうことにした。となるとシューズをどうするか考える。とはいえ安易に「とりあえずカッコから入るタイプね」と決めつけられてもたまらない。初老にさしかかった我が身を知っているからこその深慮である。もはや身体は思ったように動かない。スケートボードのようにひとつ間違えれば取り返しのつかないことになる遊びをしようというのだ、相応の装備を整えなければならぬ。足裏全体でボードの上にペタリと乗れる、底の平ったいスニーカーが好ましい。高価である必要は皆目ない。東京に戻って映画「福田村事件」を観終えた直後、テアトル新宿の向かいにあるABCマートで、私たちはVansのスニーカーをそれぞれに買い求めた。生まれて初めてのVansであるが、これがどうして「なかなかに似合っているのではないか?」とあくまで手前味噌で悦に入る。そして9月11日、再び白馬に降り立ち自前のスケートボードを抱えて店の前で記念撮影、とあいなるわけである。

動かざること山の如し

つれあいは「スケートボードを始めたとか、あんまりブログににぎにぎしく書いて欲しくない…」などと口にする。熊本で暮らす高齢の母親を慮ってのことだ。「いい歳した娘が無謀にも危なっかしい遊びを新たに始めたと無用な懸念を増やしたくない」という殊勝な心がけである。しかしお義母さん、ご心配には及びません。あくまで「オフシーズンのスノーボードトレーニング」が主眼で、なおかつ慎重なあなたの娘は、まずスケートボードの上に「乗る」ことだけに集中しているところです。「動くと怖いから」と微動だにせず、とにかくボードに乗って人知れずジタバタしながら体幹を鍛えています。こちらが緊張するほどに「動かざること山の如し」。少しだけ前に進むようにはなりましたが、どうやら「疾きこと風の如し」はまだまだ先のようです。武田信玄の戦略を沈思黙考しているのでしょう。

結局はスケボー抱えてまた平川を渡る

だけれども練習場所の問題は抱えたままだ。山の中の居宅ゆえ、周りは坂ばかり。初歩的技量すら持ち合わせない私たちがここでスケートボードを巧みに操れるはずなど毛頭ない。松川のほとりが練習に適していると教えられたが、車を所持していないがゆえ容易に出向くこともできない。少し登ったところに滅多に車が通らず平坦な道があるにはあるが、狭く凸凹で舗装の状態も悪い。それに加えて、雑木林に囲まれていて蚊が多いから緩慢にしか動かない私たちは格好の餌食だ。どこか素敵な練習場所を探さないといけない。そして連日のこと練習に励んだ今日9月13日、スケボー抱えてあちこちキョロキョロ歩いて見つけたのである。結局は平川を渡ったあのスキー場だった。夏のキッズランドもすでに週末だけの営業となり平日は閉鎖されている。人っ子一人いない、キレイに舗装されたスキー場の敷地で、わざわざ川を渡って勝手に忍び込んだ初老にさしかかった夫婦が、少しも上手でないスケートボードを披露する。これはこれでシュールで乙な光景であろう。ああ、もうすぐ隠居の身。「野望」というのはときに微笑ましくもあるものだ。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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