隠居を志すもの、敬愛する先達に憧れる。かつて、ご近所に97歳になるご隠居が住んでいた。肌もツヤツヤしていていつも朗らかなキレイな方だった。「お元気ですね」と声をかけると「彼女が若いからシャンとしてなきゃ」と小柄な体から大きな声を張り上げてくれたものだ。若い頃はずいぶんとやんちゃだった、なんて話も聞いた。
97歳、朝夕の散歩
「彼女」とは雌の小型犬で、ご隠居はその子をカートに乗せて、それを支えに朝夕と近所に散歩に出ていた。犬を散歩させると言いながら、犬に散歩させてもらっているのだった。間違いなく健康の源だったのだろう。住んでいたのはマンションで、規約上はペット飼育禁止なのだが、「彼女」とともに散歩するご隠居に文句を言う人・言える人はいなかった。愛犬の呼び方もいつしか「娘」から「彼女」にグレードアップしていたし。
町医者でのひと幕
ご隠居とつれあいが、近所の医院で鉢合わせしたことがある。60代の女性が数人いた待合室にご隠居が現れたそうだ。一人が気づき、「お散歩している姿をお見かけします。お元気ですね、おいくつなんですか?」と声をかけた。「97」と答えるとご隠居は彼女たちに取り囲まれ、「若さの秘訣」について尋問を受ける羽目になる。何を食べてるんだ、何を飲んでるだ、どれくらい運動をしているんだ、とかとか。「あ、わかった!ストレスが無いんでしょ!」さもありなんと一人が閃いて決めつけた。眉と一言目の語尾をあげながら、ご隠居はこう返答する。
「ストレス?そんな洒落たものは持ち合わせちゃいねえよ。」
女性陣は嬌声をあげ悶絶したそうだ。ニヤリとほくそ笑むご隠居の顔が目に浮かぶ。その後、ご隠居はリタイアされた「本物の」娘さんと千葉の一軒家に引っ越した。お元気であれば100を越える歳になっておられるのだが、ご隠居はきっと今日も「彼女」と散歩に出ているだろう。ふと思い出した忘れえぬ人である。
ああ、もうすぐ隠居の身。いつか同じセリフを決めてみたい。