隠居たるもの、寝床を出るなり度肝を抜かす。目を覚ますと、うすら寒い気配が漂っていた。布団の中でぬくぬく往生際悪くしたかったのであるが、先に寝床を出たつれあいが「早く起きてこい」となにやらにぎにぎしい。薪ストーブを焚き始めないといつまでも暖もとれないわけであるし、観念して「致し方ない」と身体を起こす。すると、目に入った吹き抜けの窓がやたらに眩しいではないか。寝ぼけまなこで「あれ?今日の天気は芳しくないはずだが?」などと訝しむ。あっと驚くタメゴロー…。予報がはずれて晴天だったのではない、輝くほどに真っ白だったのだ。2021年11月24日、たった一夜で白馬の季節は劇的に変わった。
冬支度を終えたその晩のこと
散種荘の暖房はブレンドさせた三種の薪を焚くことで成り立っている。私たちは最後のピース、白馬ファーム(株)の薪を待っていた。武田社長が注文した250kgを持ってきてくれたのは、細い雨が降る11月23日昼過ぎのことだった。冬支度はひとまず完了、細い雨が予報通り雪になったとしてもこれでもう大丈夫だ。暗くなるころに、出身大学の所属同窓会の(このご時世だからこそ生まれた)初めての企画・オンライン「読書クラブ」が始まる。関西の大学で教鞭をとるふた回りと少し後輩のリードで課題図書 チヌア・アチェべ著「崩れゆく絆」(アフリカ文学の父と呼ばれる著者が1958年に著したマスターピース)について10人くらいで語り合い、「さすがに先輩たちの感想は、普段に聞いている学部生のものとは違い出汁が効いていて勉強になる」(もちろん彼女はそんな言い方はしないが…)とお世辞を言われておじさんたちは喜び、それ以上に頼もしい若い後輩たち(オンラインでこその醍醐味、スイスに留学中の現役学生も参加してくれた)が嫌がらずにつきあってくれることに嬉々とした時間を送る。それが終わるころ、細い雨は雪に変わり始めた。
静かな、あまりに静かな白い朝
本当に驚いた。ここ数日、ご近所さんが血相変えてスタッドレスタイヤに履き替えている様子を見かけていたのだが、予報は「みぞれ混じりの湿った雪」マークだったし、ここまでしっかり積もるとは予期していなかった。引き続いて深々と雪は降り続く。ウッドデッキに出ると「深々と」という言葉を率直に体感する。雪に降り込められる朝は、実は音がしない。あまりにも静かだ。ときおり鈍く「ドン」という音だけがする。散種荘もしくは近隣のお宅の屋根および背の高いアカマツから、重みに耐えられなくて落ちる雪の音だ。
薪ストーブに暖められた部屋の中は心地いい。こうした朝は、黒人女性シンガーの曲がこれ以上になくハマる。今回の滞在に合わせて、「ソウルの高僧(High Priestess of Soul)」と称されるニーナ・シモンの「RCA時代のアルバム9枚組CDボックス」というのを中古で3200円で見つけて買い求めてあった。その中から、カバー曲ばかりを集めたアルバム「ヒア・カムズ・ザ・サン」をかける。ああ、なにをどうしたらいいんだろう。美しい、あまりにも美しい…。
物置からスコップを持ち出して
とはいえ、いつまでもまったりしているわけにはいかない。午後には東京に戻るのだ。これほどの雪だ、もちろん白馬駅まではタクシーを呼ぶ。その車に乗るために玄関から道に出る通路を確保しておかないといけない。物置からスコップを取り出して雪かきを始める。まだ11月とはいえ、この冬で初めての雪かきに取り組む。
となると、(うちの敷地ではないが)庭の奥に位置する楓も気になる。上に掲載した庭が写る2枚の写真で左側に位置するしなだれたやつだ。雪の重みで今にも折れそうに首を垂れている。この細っこい樹木は私たちの目を楽しませてくれる大切な木だ。一帯のアカマツが風を受けて払い落とした雪までかぶっている。スノーブーツから長靴に履き替え、救出作戦を敢行しようと、より雪が深い庭に足を踏み入れた。場所によっては30cmくらい長靴が埋まる。頼りの道具は竹箒、抵抗する雪がいくらか首筋に忍び込んでくる。だからといって「ひゃっ!」と飛びあがろうにも足場が心許ない。ここは「男は黙ってサッポロビール」(冷えるからビールは飲みたくないけれど)だ。この冬にはスノーシューをそろえようと思う。木を救うことには成功したが、かろうじてついていた葉をずいぶんと落としてしまった。
あずさ46号は10分遅れで新宿に到着する
午後2時、早めにタクシーを呼んだ。これしきの雪で支障をきたしては白馬のタクシーの名折れであろうが、列車の時刻は決まっているのだから何かがあってはいけない。雪はやんだが、昼前に雪かきした通路は足が埋まるほどではないにしろ、すでに真っ白になっていた。おお、一昨日に設置した雪囲いがさっそく役目を果たしている。下からタクシーがやってくる。馴染みの運転手さんだった。「いやあ、上がってきたらすごく積もっているんでビックリしたよ!」え?どういうこと?「山に雲がかかっているから降っているんだろうとは思ったけどね、下はほんのちょっとだったからさ」確かに、散種荘から500メートルほど下ると歩くのになんら支障もなく、道の端にちょぼちょぼ雪がくすぶっているだけだった。「雲がかかったのはうちあたりから上ってことだったのね…」標高がいささか高いところに居を構えたことに何故かプライドがくすぐられるのであった。山深く雪で運休となった区間から振替タクシーでやって来るお客さんを待って、あずさ46号は10分遅れていた。ああ、もうすぐ隠居の身。そして今朝からまた東京で普通に暮らし始めている。