隠居たるもの、日々に川っぺりを闊歩する。2021年4月21日水曜日の昼下がり、今日も運河の遊歩道を西に向けて歩いていた。まだ4月だというのに、すっかり新緑の季節である。昨日はスーパーに出向こうとここを歩いていたのだし、その前はこの同じ道をウォーキングのコースとしていそいそと歩を進めていた。それじゃあ今日の目指すところはどこかというと、病(新型コロナではない)を得て自宅療養中の友人宅である。昼食後の腹ごなしも兼ねて「窓越しの遠巻きなお見舞い」にうかがおうとした、その最中だった。すっかり強くなった陽射しに「そろそろ初夏だなあ」などと目をしばたたいていると、すぐ目の前の木陰にうずくまるように座っていた男性に気づきハッとした。私の気配を感じ取った彼も我にかえって顔を上げる。そして右の手のひらを慌てて握りしめた。そこには青い文字盤の腕時計があった。彼はそれをじいっと見つめていた。
青い文字盤の腕時計
鮮やかな青い文字盤の腕時計、想い出の品なのだろうか、それとも形見か何かなのだろうか。彼の佇まいは40歳くらいで真面目そうだ。そして思い詰めている。ここで彼を見かけるのは初めてではない。つい最近に見かけた時もどこか呆然としている風情だった。あの時と同じくそばに自転車が置いてある。荷台に傘が差してあり、そこそこ大きいバックがカゴに無理やり押し込まれている。申し訳ないが、どことなく埃っぽい。この新型コロナ禍で、職と住居を失くし、身の回りのものを持てるだけ持ってホームレスになってしまったのだろうか…。ハッとした私と顔を上げた彼、互いの目が一瞬だけ交錯したのだが、腕時計を隠すように手のひらを握りしめるのと同時に、彼は目を伏せた。大事にしていた青い文字盤の腕時計がとうとう動かなくなって気を落としていたのだろうか、それとも「こうなったら売ってしまおうか」と煩悶していたのか…。妄想かもしれない、だけどなんか切なくなってしまった。
「ニュース番組が見れないんですって」
退院し家に帰ってきたばかりの友人は朗らかだった。安心した。「病院で働いている人たちはみんな1回目のワクチンが済んでいたようだけどね。新型コロナ患者も受け入れていて、集中治療室担当の看護師たちはこの1年で人生観が変わってしまったんだって。もうニュース番組を観ることができなくなったって言ってたな」ニュース番組を見ると、それこそが仕事である方々が、現実に目を向けることもなく、見たいものしか見ないで、とんでもなくかけ離れたことや、つばぜり合い、もしくは責任のなすりつけ合いばかりをいつまでも呑気にやっていて、絶望的にゲンナリしちゃうんだろうね、そんなことを教えてくれた。緊急事態宣言が取り沙汰される今日4月21日の東京の新規陽性者は843人だった。やれやれ「安全で安心な」暮らしが戻るのはいつになることやら…。ワクチンが私に回ってくるのはまだまだ先のことだ。これからも続く友人の治療に滞りがないことを願うばかりである。
自転車ごと彼はいなくなっていた
今日の陽射しは5月のGW終盤という感じのものだった。季節の巡りが早くなっている。またその分だけ夏が長くなるんだろう。同じ道を通った帰り道、彼が同じところにいたら話しかけてみようと考えていた。彼はいなかった。陽射しの角度がキツくなったから自転車に乗って、また違う川っぺりに行ってまた違う木陰で、同じく思い詰めた顔をしているのだろうか。彼のような人をなんとか助けることをしないのだろうか。3.5%の人しか使わなかったというあの小さなマスクにあれだけの大金を注ぎ込めるのだからできないこともなかろうに…。ともあれ3ヶ月後の7月21日、いよいよ江東区にも聖火がやってくる。そして彼が佇んでいた川っぺりの近くにリレーが走る。その時、彼はいくらかでも「安全で安心な」暮らしを取り戻しているだろうか…。取り沙汰される緊急事態宣言の期間はIOCのトーマス・バッハ会長の来日日程の帳尻に合わせたものとも聞く。そんなこんなを考えると、どうも「絶望的にゲンナリしちゃう」。ああ、もうすぐ隠居の身。彼は青い文字盤の腕時計を木陰でじっと見つめていたんだ。