隠居たるもの、英雄の一周忌に想いをかえす。生を受けてからとうに半世紀が過ぎた私たち同年代男性の多くは、程度の差こそあれ子供の頃にプロレスに夢中になった。遡ること40年ほど前、私が高校に上がってからというもの、アントニオ猪木やジャイアント馬場の他に、長州力やら藤波辰爾やら初代タイガーマスクなどが台頭し、それはそれは活況を呈した。その中に、キレッキレの危ない爆弾小僧 ダイナマイト・キッドがいる。昨年2019年12月5日、私より五つ歳上の彼は、60歳の誕生日に逝った。順番通りにやってくる訃報ひとつひとつにいちいち驚くことももうないが、キッドの訃報は別格だ。同級生はみな衝撃を覚えた。それくらいに私たちはキッドを仰ぎ見ていたのである。だからこそ、こうした訃報の際に簡単に使われる決まり文句にあらためて違和感も覚える。「昭和のプロレス」というけれど、その「昭和」って一体いつのことを指すのだ?

爆弾小僧との接近遭遇

テレビや会場(まだ両国ではなく蔵前国技館)で凄まじく暴れる彼を何度も見たが、身近に接した想い出がひとつだけある。上野池の端、いつからか今は客引きばっかりになってしまった仲見世通り、35年前の冬だったろうか、私は大学生だった。金と臆面はないが、暇と体力はある。その夜、安居酒屋で深夜の閉店時間まで飲んでひっそりとした通りをうろついていた。そこにダイナマイト・キッドといとこのデイビー・ボーイ・スミス、ブリティッシュ・ブルドックスが現れたのである。とりわけキッドの大ファンだった私は、興奮のあまり「キッド!キッド!」と拳を振り上げながら彼らの周りを旋回した。1学年上にいつも一緒に飲んでいた190㎝と背の高い先輩がいて、当時の先輩は酒が入って気を大きくしてしまうことが多々あって、キッドは173㎝で身長はそれほど高くない。

「なにがキッドじゃい」ちょっとヤキモチを焼いた先輩は、あろうことかキッドの首に腕を回し、ヘッドロックをかました。あの鋭利な刃物のようなキッレキレの爆弾小僧にである。しかしキッドは紳士だった。「OH?」と先輩の脇腹にほんのちょっとエルボーを当てていなす。私たちは笑って握手して別れた。住居が上野から遠かった先輩は、私の家に泊まった。翌日の遅い朝、学校に行こうと声をかけるが、先輩は起きることができない。あばらを押さえて脂汗を浮かべながら声を絞り出した。

「プロレスラーに手を出しちゃいけない。ダイナマイト・キッド、すげえ…」

わかってます。彼は学校には行けず、長い身体を折るようにして自分の家に帰った。懐かしい「武勇伝」である。どうやらその日、ブリティッシュ・ブルドックスは、新日本プロレスから全日本プロレスに引き抜かれるにあたって接待を受けていたようだ。

果たして「昭和のプロレス」って?

私もつい「昭和歌謡」などと簡単に口にしてしまうが、昭和は1926年から1989年まで64年もある。多くの人は「昭和のホニャララ」という際、高度経済成長が始まった1954年からバブルが始まる前の1986年くらいまで、漠然とここを指しているのではなかろうか。クレージーキャッツの前身となるキューバン・キャッツが結成されてから、ドリフの「8時だよ!全員集合」が終わるまでと言い換えてもいいかもしれない。私たちが子供だった時代だ。それ以後、バブルが本格化しそして崩壊する。社会の在りようもストレスフルに変わる。

このところNHK-BSで朝に再放送されている「おしん」。ここ数週間は、おしんの旦那である竜三が、親戚が陸軍の偉い人であることをいいことに、軍の仕事を請け負って羽振り良くなり、いとも簡単に軍を礼賛する軍国主義者に成り果てる様が描かれている。これだって「昭和」である。しかし、それをドラマにするのも「昭和」ではある。

ホントに「良き時代」だったか?

私たちは「古き良き」というニュアンスを「昭和」に託してしまいがちだ。しかし、高度経済成長以後だって実のところ水俣病やイタイイタイ病などおぞましい歪みは常にあったし、忘れてならないのは最初の20年間だって「昭和」だということだ。「昭和のホニャララ」という言い方にときおり違和感を抱くのは、安易に寄りかかった「物言い」を見かけることが多くなったからかもしれない。しかしそれ以上に、「昭和」というときの「昭和」が、違う時期の「昭和」を指しているのでは?、と思える人が増えているようにも感じるからだ。そうした人たちは、私たちお人好しのノスタルジーにつけ込んで、同じ「言葉」を使って違うことを語り、巧妙に論点をすり替えながら、「憧憬」を最初の20年に前倒しさせようとしていないだろうか…。

小さくたってキリッと屹立するダイナマイト・キッドのたたずまいに心底から憧れた。あんな人は今いない。彼のごとくソリッドな風情を醸せる人になりたいと思っていた。しかしなあ、あんな筋肉ないし…。こっちは「柳に風」でいこう。ああ、もうすぐ隠居の身。爆弾小僧のご冥福を祈る。

*リングにかける男たち(日刊スポーツ)https://www.nikkansports.com/battle/column/ring/news/201812240000365.html

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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