隠居たるもの、友と影踏み川辺にたわむる。あれは火曜日、もう少しで夕方という遅い午後のことだった。つれあいから「プロレス技 アイアンクローって知っている?」とメッセージが届く。幼少のみぎりより今は亡き父からプロレス観戦の英才教育を施された私である、「“鉄の爪” フリッツ・フォン・エリックの必殺技である」と即座に返答した。頭を鷲掴みにせんとする彼の大きな右手から逃げ惑うジャイアント馬場の姿が蘇る。“残忍なドイツ人”というキャラクターのヒール、 フリッツ・フォン・エリックは本当に怖かった。後年、彼に厳格に育てられた息子たちは人気プロレスラーとなり、フォン・エリック家は栄華に包まれる。そこに次々と襲いかかる悲劇…。それが映画となって、日本でも上映が始まったというのだ。

The Iron Claw(ネタバレの心配ご無用)

ラジオで紹介されたこの映画を、どういう風の吹き回しか、つれあいが「観たい」というのである。だから2024年4月13日土曜日、TOHOシネマズ日本橋12時30分上映回に足を運んだ。兄弟たちを演じた俳優たちには心底から恐れ入る。筋骨隆々のあの3兄弟に寄せてよくぞあそこまで身体を作り上げたものだ。それに比して、ハリー・レイス、ブルーザー・ブロディ、ダスティ・ローデス、リック・フレアー、テリー・ゴディ…、にぎやかしの面々はご愛嬌。やはりプロレスラーというのはそんじょそこらの市井の人とはまったくもって違うから致し方ない。しかしそもそもからしてこの映画、実のところプロレスが重要なテーマでもない。プロレスを生業とした一家の栄光と悲劇、主に次男であるケビン・フォン・エリックの視点から、それがじっくりと描かれる。(ケビンはフォン・エリック5兄弟の次男なのだが、長男が5歳で亡くなっているので、プロレス界では「長男」ということになっていた。家族を大切に思う彼は、その役をまっとうしようと努力するが故さらに苦悩を抱える。)

銀座線に乗って浅草へ

喪失の果てにようやくケビンの精神が解放されるラストシーンにつられて、隣に座るつれあいが目尻からいくらか涙を落とす。かくいう私も少し泣いた。「男らしさ」を求める強すぎる家長は家族を幸せにしない。フォン・エリック家はその典型だった。戦争を含めて今も続く世の不幸は、「家父長制」を根源としつつ拭い難く植えつけられた価値観から流れ出す。日本で大きな話題になることはなかろうが、とてもいい映画だった。そしてエンドロールも終わり客電が灯ると、プロレスおたくのおじさんたちが一斉に「あのブルーザー・ブロディだけどさぁ」などと微笑ましい。私は劇場内を見渡す。聞き耳を立てているわけではない、友だちを探しているのだ。

文学部のドイツ語Q組の同級生4人で作るLINEグループに、日々のエピソードとして「つれあいが『アイアンクロー』が観たいというんだよ、笑。土曜日に予約した」と送ったところ、一人が「面白そうだね!観に行こうかな」と興味を示し、劇場で落ち合うことにした。とはいえこの映画、TOHOシネマズ日本橋おいては週末1日2回だけ上映で、鑑賞を終えてすぐ一杯ひっかけられるような適当な時間の回がない。終映は14時50分、せっかく顔を合わせたのだからして一席ともにしたいが、日が傾くまでには少し時間がある。そういえばこの友だち、ついこの前に「遅ればせながら『PERFECT DAYS』を観た、感動した」と言っていたから、「東京メトロ銀座線で浅草に出向いてロケ地に、つまりは聖地を巡礼してみる?」と持ちかけてみた。

映画「PERFECT DAYS」聖地巡礼

ヴィム・ヴェンダース監督、役所広司主演の映画「PERFECT DAYS」、私たち夫婦は正月にやはりTOHOシネマズ日本橋で鑑賞したが、「これぞヴェンダース!」というまことに素晴らしい作品だった。主人公が暮らす町が自身が育った町であることも私を深く感動させた。アカデミー賞にノミネートされたことがいくらか話題にもなったが、「賞」に頼る必要もない、なにも説明することなく多くを語る、これぞ映画という心に残る作品だった。感銘を受けたあまり、何度も劇場に足を運んだという友だちもいる。TOHOシネマズが入るコレド室町は、地下に下りれば銀座線三越前駅に直結する。土地勘は満載だ、私たちはすぐさま終点 浅草を目指す。まずは役所広司(役名は平山)がいつも風呂上がりに自転車で立ち寄るあの店に行ってみよう。

甲本雅裕が店主をしていた、銀座線浅草駅改札を出てすぐ、地下街のあの店はあいにく定休日でシャッターが閉まっていた。「ここよね?」と言いながらスマホで写真を撮る少し年上と思しきカップルもおられる。まあ仕方ない(そもそも開いていたとしても、実は入りたいと思うような店ではない、笑)。ここは地下街の雰囲気を味わうことでよしとする。そして地上に出る。次は仲見世通りに交差する伝法院通りと見当をつけていた、主人公が文庫本を買いに立ち寄る古本屋に行ってみよう。しかし…。久しぶりに浅草に来てみて面くらった。土曜日ということもあったのだろう、とにかく観光客の数がとんでもない。円安に伴うインバウンドさんだけでなく、桜が目当ての国内からの客も多かったに違いない。並み居る人をかき分けてまですることでもない。細い道に位置する小さな店を探すのは断念した。

隅田公園を川沿いに北上し桜橋に向かう。役所広司が常に自転車で渡っていた歩行者専用の橋だ。姪と心を交わす場面でも描写されていたように、風が抜けて気持ちがいい。役所広司と三浦友和が語らったのはこの橋の下だ。橋を渡って台東区側に建つのは台東リバーサイトスポーツセンター、建て替わる前かつてここは台東体育館で、私が生まれた翌年の1965年に、当時の日本プロレスでジャイアント馬場とアントニオ猪木が同時にデビュー戦を行った「歴史的名所」である。

どちらがどちらというわけでもなく、二人は役所広司と三浦友和をふざけて気取り、同じ場所で川面を見つめてみる。そうとなれば調子に乗って影踏みにも興じてみる。どうしてどうして、劇中の二人と同様、ちょっと楽しい。

とどめは本所吾妻橋のわくい亭

混雑する台東区側には戻らず、そのまま墨田区側を南下して本所方面に向かう。結局は5kmほどの散歩となった。目指すは17時開店、コロナ禍以来のわくい亭。料理上手のおかみさんが作るつまみがとにかく美味い。15分前に着いてみると私たちは2番目で、開店するやいなやあっという間に満席となった。「今日は2時間制でお願いします」と釘を刺されたから、「電気湯と平山のアパートはまた今度ね」とか語り合いながら、注文した酒を2時間で飲み干すよう周到に着地する。友だちは本所吾妻橋から都営地下鉄浅草線に乗り、私たち夫婦はちょうど来た都バスに駆け込む。ああ、もうすぐ隠居の身。なかなかにPERFECT なDAYだった。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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