隠居たるもの、新鮮なまま「違和感」を噛み締める。2024年2月7日午前8時02分、私たちは八方尾根スキー場に向かうシャトルバスに乗っていた。私たちが利用する停留場は始発点に近いため乗車時はたいがいガラガラだ。「おはようございます」、運転手と穏やかに朝の挨拶を交わし二人席に夫婦ピタリと並んで座る。ガラガラなのになぜか、少し先の停留場でオージーがワンサカと待ち構えているからだ。「ハッポーワン?」、ドアが開くなり先頭にいたオージーが顔を差し入れ運転手に行き先を確認する。運転手が「イェス」とうなずき、彼らがドヤドヤと乗り込んでくる。しかし「ハッポーワン」なる場所や施設などどこにもない。八方尾根をアルファベットで表記するとHappo-One、それを彼らは「ハッポーワン」と読みそう発語するのだ。

蕎麦膳スタッフの証言

先の夏、行きつけのそば屋 蕎麦膳に立ち寄ったときのこと。「今度の冬はインバウンドさんたちが本格的にやって来るんだろうねぇ」などと、ホールで店を切り盛りする女性と世間話をしていた。彼女は答える。「ええ、オーストラリアの人はあんまり夏にはいらっしゃらないんだけど、近頃けっこう見るんですよ。冬に向けた観光ビジネスの視察や準備とかね、仕事でいらしてるんじゃないかな。そうそう、この前いらした方から『Which way is Happo-One?(ウィッチ ウェイ イズ ハッポーワン?)』って聞かれたんですよ。最初なんのことだかわからなくて。しばらく考えて『あ!八方尾根のこと!確かにハッポーワンと読めるもんね』と気がついて、『あっち、だけどあれはハッポーオネと読むのよ』と教えてあげたんです。」そんなエピソードに「へえ、なるほど」と笑い合ったのを鮮明に記憶している。そう、この時の我々は「ハッポーワン」と言われてもまだキョトンとしていたのだ。

ネクスト バスストップ イズ ハッポーワン

各スキー場に向かうぎゅうぎゅう満員のシャトルバスの車中、日本語話者である乗客はたいがい私たち夫婦だけだ。よく「オーストラリアの人でいっぱいなんだって?」と聞かれるが、「いっぱい」どころで済む話ではない。年末年始を過ぎてチャイニーズの方々がいったんその数を減らしてからというもの、白馬はオーストラリアの方々にすっかり「占拠」されている。シャトルバスの運転手はすでに「ハッポーオネ」と訂正することは諦めている。それどころか、自ら進んで「ネクスト バスストップ イズ ハッポーワン」と車内アナウンスさえしてみせる。八方尾根はHappo-Oneに覆いつくされた。いつしか私も違和感なく聞き流せるようになった。

20年ほど前になろうか、北海道のニセコにちらほらとオージーがやって来るようになったころ、私たちもまたシーズンに一度はニセコに行くようになった。それ以降、オージーに限らないインバウンド客が、他のスキー場にも流れつつ年々増え続ける様子を直接に目にしてきた。つまり、新型コロナ禍中にそうした客人がほぼ皆無だった2シーズンも含めて、この20年に及ぶ推移を目の当たりにしてきたのである。その私たちの目からしても、この冬のオーストラリアからの来客数はとんでもない。季節が逆となる南半球に位置するオーストラリア、子どもたちの夏休みは12月後半から始まり1月いっぱいをもって終わるそうだ。だからバカンスシーズンのピークは1月なのだろうが、月が変わって彼らがめっきり減ったかというとそうでもない。確かに子どもを連れたファミリー層は少なくなったが、若者たちのグループはまだまだ残っているし、2月に入ってこれまでになく「年金生活者」と思しき高齢のご夫婦も多く見かけるようになった。「あなた!もともと物価がとびっきり安い国だというのに、そこにもってきてせっかくのこの円安よ!ちょっとずらして思いきって私たちもスキーをしに行きましょうよ!」という会話が夫婦であったかどうかはいざ知らず、ピークが過ぎると旅行代金が安くなるのは彼の国もきっと同じなのだろう。

となるとやはり問題というのは浮かびあがるもので

これだけのお客さんが押し寄せると、それはそれで問題というのは発生する。まずもって飲食店が足りない。上に掲載した写真は、エコーランドと称されいくらか飲食店が並ぶ一画を2月7日18時49分に撮影したものだ。写っている人影はほぼすべてオージー、夕食にありつこうとうろついているの図である。年が明けてからというもの、たとえば先に挙げた馴染みの蕎麦膳にだって私たちはまだ足を運んでいない。なかなか予約が取れないからだ。これに懲り学習した一部のオージーたちは、自炊するための食材を買い求めにスーパーにまで下りてくる。しかし、ここでまた一つ問題が発生する。

*私たち行きつけのスーパーA-COOPでオージーの老夫婦が焼き芋を買っているの図、微笑ましい。

タクシーの台数が決定的に足りないのである。海を渡ってやってくるオージーたちは当然のこと「自家用車」で動けない。他の季節なら、買い物を終え駅まで下りて行けばすぐにつかまるのだが、この冬はあちこちから予約が入りタクシーはいつだって出ずっぱり、乗り場で待っていたところで一向にやって来ない。ビールケースや食材で膨らんだ大きな袋を抱えてタクシー会社に電話を入れたところで、「30分くらいお待ちください」なんていうのはザラ。私たちはレジで精算をする前に必ずスマホから問い合わせることにしている。だってウィスキー用のロックアイスまで買ってしまった後に「30分待て」と言われたら氷が溶け出してしまうもの。繁忙が著しい冬季限定ということなのだろう、料金だって深夜じゃないのに最初から2割増に設定されている。だから、自ずと外食の回数を減らし、利用できるデリバリースーパーを見つけるなどして買い物のため山を下りる頻度も減らし、なるべくタクシーに頼らずなんとか「快適」にやり過ごせるよう、サイクルをいささか調整しながら暮らしている。

草履かたっぽうの行方

2月に入って、後期試験が一段落したと思しき学生さんたち(言葉からして主に関西の大学)をスキー場で見かけるようになった。2月10日から17日ははいよいよ春節、チャイニーズの方々が再び大挙して襲来するだろう。そこに日本人がシーズン中で最もスキー場に繰り出す2月の3連休が重なる。オーストラリア勢だってまだまだ健在だ。どれだけのものか目撃しておきたいとも思うんだけれども、おそろしく混むだろうし、君子危うきに近寄らず、確定申告とか諸々を片づけにとりあえずは東京に戻る。そうそう、数日前の朝のこと、ウッドデッキで履くサンダルのかたっぽうが行方不明になった。雪に残る足跡からしてどうやらこのあたりをテリトリーにする狸が巣穴に持っていっちゃったようだ。オージーやらチャイニーズやら日本人やら、ちゃんちゃらおかしくてそんなことどうだっていいか。ああ、もうすぐ隠居の身。そもそもは君たちの縄張りだものね。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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