隠居たるもの、100人で納まる記念の写真。「ぴったり100人集まって、みんな合わせて6,000歳といきたいところだったんだけれども、体調不良だなんだと当日になって来れなくなるやつがそりゃいるさ。だとしても同級生が96人集まったんだ。そろいもそろって還暦、60歳さ。計算してみねえ、60歳×96人=5,760歳だ。そこに恩師が3人加わるね。90を越えて今も矍鑠(かくしゃく)とした大御所を筆頭に、先生とくれば先に生まれた人なんだから、ここは3人するっとまるめて240歳ということにしておこう。するとどうだい?みんな合わせて6,000歳さ。99人というのもなんだか凸凹してて落ち着かないし、この際だ、キリのいいところで100人ということにしておこう。ほら、100人で6,000歳、すきっとして景気がいいじゃあねえか」、なんだかよくわからない自画自賛を横に歩くつれあいにガラガラ声で浴びせつつ、桜がちらほら咲いている富岡八幡宮を散歩している。前の晩はうまく寝つくことができなかった。「合同還暦祝い」の興奮がなかなか冷めなかったからだ。それではいくぶんグッタリしているのかというとさにあらず。前夜の興奮がまだ冷めきっていないからだ。

冷たい雨が降る日に合同還暦祝いは開催された
「これぞ春」という穏やかな日和、宵越しの酔いがいくぶん残ってることだし、昼食は散歩がてら富岡八幡宮裏手の支那そば屋 晴弘で海老わんたんそばにありつこうと算段しやってきてみると、境内で「お江戸深川さくらまつり」なる催しが開かれていた。姐さんの春めいた様子がなんとも乙だ。冷たい雨が降った前日の反動か、子どもづれが多く誰もが伸びやかにくつろいでいる。少し並んで入った晴弘の店内も同様で、微笑ましく思える姉妹もいれば、幼な子そっちのけでスマホにかじりつく夫婦もいる。漏れ聞こえる言葉から察するにどうやら高校野球の決勝が気になって仕方ないようだ。「それなら家でテレビを見てればよかろうに」と首を傾げるが、天候がおもわしくなかった前日の土曜日の分も含めて「週末の元をとろう」と誰もが外に出てきているのだろう。帰路に木場公園を経由してみると、桜の下のバーベキュー広場も案の定ごった返していた。


ちょっとした買い物があったのでそのままスーパーに立ち寄ると、近所で暮らし近場の店で飲み友だちとなった、中高一貫男子校14代上の先輩にばったりと出くわした。ガラガラ声を絞り出し「そうそう先輩、昨日うちらの代は『合同還暦祝い』ってえのをやって、ほぼ100人集まったんすよ」と記念写真を見せて自慢する。そう、冷たい雨が降った2025年3月29日、アルカディア市ヶ谷 私学会館において、かねてより準備されていた「合同還暦祝い」は開催された。先輩はご一緒だった奥様ともども「え?100人?お前ら、すげえな!」と驚いてくれた。ど真ん中に鎮座まします恩師を示し、「この先生には先輩も教わったんじゃないですか?」と聞くと、「ああ、お元気なのか。うん、教わったよ。この先生は俺が通っていた時分に赴任してきたんだ、息子も世話になった」とのこと。この先輩の息子さんも私たちと同窓なのであった。

言葉にしづらいけれどそんな類の同質性
もう10年も前になろうか、そもそもこの先輩を飲み友だちとして「ナンパ」したのはつれあいだ。私が仕事の飲み会で家を留守にしていた夜、つれあいは近場のワインバーに一人で出かけカウンターに座を占め店主とおしゃべりをしていた。ほどなく、やはり一人でふらりと入ってきた男性が横に並ぶ。会話に興じるうち、つれあいは「この人はうちの亭主の先輩に違いない」とふと気づいたそうだ。私および私の友だちたちが醸し出す空気感というか雰囲気というか匂いというか、言葉にしづらいけれどそんな類の同質性を感じたのだという。初対面の女性にずばりと出身校をあてられ面食らっている先輩を尻目に、つれあいは私に電話を入れる。「今あたしの隣にあなたの先輩がいるから、テキトーなところで切り上げて早くこちらに来なさい」と。カラオケBOXにいた私は十八番の左とん平「とん平のヘイ・ユウ・ブルース」を歌い上げたばかり、思い残すこともないのでタクシーに飛び乗った。以来、先輩と私たち夫婦は飲み友だちだ。私の両親が眠る墓を管理してくださるお寺さんの住職も先輩なのだが、この二人が同級生でなおかつ親友であることも知った。縁は異なもの味なもの、こうして知り合った先輩と飲んでここまで楽しいのだから、東京タワーのお膝元で思春期を共にした同級生が寄ってたかって集まれば、それはそれで特別な夜にならないはずはない。

同級生のための同級生による同級生の合同還暦祝い
私たちの学年を構成するのは1964年の4月2日から1965年の4月1日までに生まれた300人ほどの者たちだ。ほぼ全員が還暦を迎え、まだ61歳になる者がいないのは3月最終週のこのタイミングしかない。ぼちぼち一線から退いてもいるのだし必要以上に年度末を気にすることもなかろう、そう考え一昨年の忘年会でぶち上げ、幹事連が名簿を整備するなど一年以上をかけて準備を進めてきた。今後にわたる事務作業軽減も視野に入れ電子メール連絡網も作り上げた。そうして迎えた当日、会場で確認してみると3月30日、31日、4月1日と残る3日が誕生日の者はおらず、誰もがそろってきれいさっぱり還暦の60歳、我々同級生のための同級生による同級生の「合同還暦祝い」はここに結実した。まずは悲しいこと物故した同級生たちに黙祷を捧げる。幹事連が事前に把握していた12人の他にも2人いることが会場から伝えられる。14人か…。

「俺のことわかる?」「あったりまえだよ、ワニだろ?」「そう、ワニだよ!」「ところでなんでワニってあだ名だったんだっけ?」「そんなこと知らないよ!つけたやつに聞いてくれよ」と中学入学時のクラスメート ワニとどれくらいぶりになるのか想像もつかない年月を経て会話を交わしたり、高校時代にいっしょにパンクバンドを組んでいた奴らとせっかくだからとあらためて記念の写真を撮ったり(あのころそんなことしたこともなかろうに今になって違和感もなく自然と肩を組んでにっこり笑っているのがまたおかしい)、司会を仰せつかっていたから「怒るとなると一瞬だけで、しかもものすごく怒るから私たちが『瞬間激怒』、略して『シュンゲキ』と先生を呼んでたの知ってます?」とスピーチ時に紹介しがてら恩師に聞いてみて「君たちが卒業する日に知らされて実はとてもショックだったんだ。あまりにショックだったんで家で娘にぼやいたら『へえ、うまいね』と言われて…」という「瞬間爆笑」のエピソードを引き出したり、百人百様の祝祭空間となった合同還暦祝いは言葉ではいいつくせないほどに楽しかった。当然のこと話は尽きず、3分の2に及ぶ62人が市川橋を渡り準備してあった2次会会場「魚民」に足を運んだ。

マウスピースの完成をもって還暦イヤーを締めくくる
3月31日、でき上がってからしばらく使ってみたマウスピースを調整のため日本橋の歯科医院に持参していた。同級生の弟である歯医者は首を捻っている。「ええと、キズひとつないんですよ。少なからず違和感があるものなんで、普通は歯軋りなどして損傷される箇所が出るんです。そこを調整するために来てもらったんだけど、手を入れるところがない…。このマウスピースをつけて矯正された本来の噛み合わせがよっぽど楽なんでしょう」就寝時につけるだけなのだが、確かに本当に楽になる。合同還暦祝いの記念品として配ったハンカチですすいだあとの口を拭いながら、私は彼に集合写真を見せる。「そうそう、ここしばらく兄貴と顔を合わせていないというからさ、写真を撮って君に見せようと思ってたんだけどな。残念、兄貴は体調不良で当日欠席だった。改編期だからな、テレビ番組制作のあいつはろくすっぽ寝てもいないんだろう。でも、ほら兄貴と仲のいいこの彼のことはわかるだろ?」「え⁉︎老けましたね!」まだ少し涸れている声で私は答える。「あたりまえだ、還暦なんだから」年度末にあたるこの日にこうして完璧なマウスピースができあがり、還暦イヤーは滞りなく締めくくられた。ああ、もうすぐ隠居の身。あとひと月もしたら61歳だ。