隠居たるもの、孔子の教えを初めて悟る。2023年2月17日、夜中の放射冷却があたりに漂う気温−8℃の朝のこと、NHK連続テレビ小説「舞いあがれ」を見終えた私たちは、「いくらドラマとはいえ、あの二人はまだろっこしくていけない。孤独な秋月史子というキャラクターをあたかも当て馬のように配置するあの脚本だって、ご都合主義で人間に対するリスペクトを本質的なところで欠いているとは言えまいか」などとどうでもいい議論を交わしながら、スノーボードを抱えて人気の無い林道を歩いていた。これで3日連続、八方尾根スキー場に向かっている。めずらしいことに今朝は、白い息を漏らしながら前方から人がやってくる。40代も半ばといったところ、軽い色のスクエアなメガネをかけたブロンドで背の高い女性だ。コーヒーでも入れているのか、マグポットを手にして朝の散歩をしているようだ。私たちはにこやかに挨拶を交わしてすれ違う。
Have a Good Day.
定住されている方かもしれないから、とりあえず「おはようございます」とカマをかけてみる。しかし近くに宿泊しているオーストラリアからのお客さんなのだろう、彼女から返ってきたのは「Good Morning. Have a Good Day.」、日本語を解さないようだし私もあらためて「Hi, Good Morning.」と返してみる。なんとも晴れ晴れと爽やかな1日のスタートだ。それにしても「いい1日を」と声をかけ合うなんて、なんとも素敵な朝の挨拶ではある。先日、私ははたと気づいた。「いい1日」にしようとするならば肝に銘じておかなければならない「秘訣」がある。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、「論語」に記されている孔子の教えの一つだ。そう悟るきっかけは、深川の知人がひとりでふらっと白馬にスノーボードを滑りにきた2月14日の火曜日に訪れた。
ワインとお料理 ことり
東京における拠点である深川に、ワインダイニングとでもいうのか、「ことり」という名のそこそこ馴染みにしている店がある。けっこう前のことになるからいつとははっきり思い出せないけれども、言わずと知れた森下の銘店「山利喜」の店長が独立して奥さんと開いた店だ。その彼が、店の休みに一人で白馬に来るという。しかも白馬は初めてとのこと。もちろん放っておけるわけがない。雪がちらつく岩岳スノーフィールドで合流し、案内をしながら一緒に滑った。優れた運動神経が滲み出たなかなかの滑りに感心する。「それじゃあ我々はシャトルバスに乗って帰るからさ、Have a Good Day!」そう挨拶を交わし、岩岳の近くに宿をとっていてまだまだ滑るという彼と山の上で別れたころ、突き上げるように風が吹いてきた。冷たい…、寒い…。まるで吹雪のようだった。
天気予報を睨む
ほうほうの体で散種荘に帰ってきて天気予報を睨む。そもそもこの日だってここまで荒れるとは予報されていなかったのだけれども、まあ山の中のことだから致し方はないわけで、するとなると明日以降もどうなるかはわからない。その前の日の13日月曜日はというと、ずっと弱い雨が降ったもんでスキー場に出向かず散種荘で過ごした。春が近くなってそんな日も現れる。だから可能な日にはなるたけゲレンデに立ちたいというのも人情だ。しかし「天気次第ではあるが、朝に予報をチェックして、場合によっては火水木金と4連チャンだな」などとおどけてみても、つれあいは「また始まった…」とばかりに顔を曇らす。わかっているさ、還暦がすぐそこで視野に入る初老にさしかかった夫婦にはToo Much…。でも待てよ?たとえば12日の日曜日のこと、私ひとり散種荘で過ごし、その日の午後からつれあいが合流するというあの日の朝一番のこと、せっかくの晴天なので私は八方尾根スキー場に出かけた。その前の金曜日にどっさり雪が降った上に一転して晴天に恵まれた週末の日曜日、日本からのスキー・スノーボード客も集結した八方尾根は喜ばしくも「こんなのいつ以来だい?」とおののくほどに混雑した。幸いにも日をあらためることができるのだからして、私は欲張ることなくリーゼンスラロームを4本だけ滑って、夏に発見していた林道を使って歩いて帰ることにした。もう歩き慣れた道はキョロキョロすることもない。15分で散種荘に着いた。そうか、これでいいのだ。
過ぎたるは猶及ばざるが如し
晴れた朝に、樹氷の間を縫うリフトでこの日の最初に山に上がる、このしばらくの時間がなんとも清々しい。八方尾根スキー場は歩いて行けるまさしく裏山なんだから、「スキー場に出かけたからにはできるだけ滑るのだ!」と決めつけることなく、スマートに「朝の散歩」のつもりで出かければいい。それでこそ思い切ってここに小さな家をこしらえた甲斐もあろうというもの。結局、気持ちのいい晴天に恵まれたこの水木金3日とも八方尾根スキー場に出かけ、やはり欲張ることなくリーゼンスラロームを4本だけ滑って歩いて帰った。すべて合わせて所要時間は2時間と少し。つれあいも「これなら」と上機嫌である。同じくリーゼンクワッドリフト乗り口を撮った下の2枚の写真を見比べてみると歴然とするが、上が2月12日日曜日午前8時46分、下は2月17日金曜日のほぼ同時刻。ならば平日に朝の散歩をしない手はないだろう。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、「何事もやり過ぎることは、やり足りないことと同じくらい良くない」、中庸が大切であることを説く孔子の教えだ。猶(なお)を入れずに「過ぎたるは及ばざるが如し」でも通じるが、こちらが正式な表現なのだそうだ。なにもスノーボードに限ったことではない。これまでの習性がそうさせるのか、ついムキになってガッついて、のべつまくなく今現在の許容範囲を越え、「過ぎたる」あげくにぐったり疲れちゃう。となると「いい1日」はほぼそこで終わり、それどころか蓄積した疲労(もしくは二日酔い)を翌日にまで持ち越すことも多々。そのうち嫌になっちゃうこともあるだろう。そう「過ぎたるは猶及ばざるが如し」、あと3ヶ月で59歳になるが、ようやくにして腑に落ちた。
ジャンプ台から飛ぶジャンパーを眺める
八方尾根スキー場から林道を使って散種荘に歩いて帰ろうとすると、必ずやその入り口あたりでジャンプ台の脇を通るわけだが、シーズン中だから、練習している若者(レジェンド葛西の例もあるから、もしかしたら若者でないのかもしれないけれど)が飛び出す瞬間に出くわすことがあって、「おお」となぜか晴れやかな心持ちになる。「過ぎたるは猶及ばざるが如し」と悟ったからには、スノーボードをより長く続けられるだろうし、飛び立つジャンパーをこれから何度でもそうした心持ちでここで目にすることになるだろう。
そうそう、明日からメロン坊やご一行が合宿にやって来るのだった。1週間にわたってたっぷりとまとわりつかれるに違いない。ああ、もうすぐ隠居の身。こればかりは過ぎたることも良しとしよう。