隠居たるもの、速報ニュースに心穏やかではいられない。2023年12月16日土曜日、寝床から出てソイミルクティーを飲みつつ脳内シナプスをひとつひとつつなげていると、スマホに入れたアプリ「白馬村防災ナビ」が作動し何やら大慌てで情報を伝えてくる。「またどこかで熊が目撃された?スキー場もオープンしたことだ、もう冬眠してくれないと困るじゃないの…」と、タカをくくってやれやれとばかり速報に目を落としてみるとそれどころではない。単調な文章の中に「避難指示」というひときわ強い文言が配置されている。土砂災害が起き被害も生じているという。幸いなこと東京は深川の食卓に座ってはいるが、記載されている場所のついこの間の様子が目に浮かぶ。なにせ発生現場は散種荘のすぐ近く、私のいつもの散歩コースであるからだ。
私に襲いかかる大型犬がいるあのあたり
東京で見るニュース番組にはまだ情報が届かない。詳細はわからないままだが、状況を想像してみる。まず発生場所は山に向かって延びる別荘地の西端の北側だろう。八方尾根の斜面にそのまま接していて、すぐ裏に流れる沢もある。最初に開発された地域だからか古い建物も多い。そのうちの一軒に、白人の家族がときおりやって来る別荘がある。その家族は毛むくじゃらのとてつもなく大きな犬を飼っている。オスかメスかもわからないその子は、ずいぶん離れていたとしても、プラプラと歩いている私を見つけると、散歩を任された美少年(たぶん次男坊)が握る手綱を振り解き、恐ろしい勢いで突進してきて必ずや襲いかかってくる。いったい私がどんなフェロモンを漂わせているというのだろうか、喰いつかれるわけではないからじゃれかかっているのだとは思うのだけど、自分より大きな犬に飛びつかれるたび生きた心地がしない。美少年はそのつど申し訳なさそうな顔をする。その大型犬の寝床であるあの家のあたりの被害が最も深刻だと思われる。
Yahooニュースより:https://news.yahoo.co.jp/articles/8d9cc427d9e872261f2f628adc2192c7cd67bed9
「あの白い建物」は…
昼近くになってようやく東京にもニュース映像が届く。例えば日テレで流れたものを見ると、災害がどの道まで及んだのかが判然とする。想像した通りだった。ニュースで「あの白い建物」と表現されたホテル、日頃から図々しく温泉への日帰り入浴を頼み込んだりする馴染みの「ご近所さん」だ。何度か熊が目撃された今年のホットスポットでもあった。このホテルの前を山から谷に延びる道がある。その筋に沿って被害が生じているに違いない。「来週からそちらで暮らす予定にしているけれど大丈夫であろうか」と管理事務所に問い合わせると「お宅に災害の影響は及んでいないのでご安心ください」とのこと。添付されていた白馬村からの避難指示マップを見ると、どこから土砂が流れてきたかが歴然とする。
*白馬村HPより:https://www.vill.hakuba.lg.jp/gyosei/kurashi_tetsuzuki/bosai_anzen/20231216_saigai/10096.html
気候変動の一形態
上に掲載した地図で赤字で表記された「八方」のすぐ上にある異形の大型建造物はなにか、長野オリンピックで原田雅彦が「ふなきぃ〜」と涙を滲ませて金メダルを獲ったジャンプ台である。この省察において、なにかにつけ私たち夫婦が林道を歩いてジャンプ台まで抜けることを語ってきたと思う。つまりその散歩道がまるまる避難指示区域に含まれている。そして赤枠はたまに立ち寄るSatoru Coffeeの向こうまで下りているではないか。(Satoru Coffeeのアンちゃんも当然に避難しているそうだ。また彼によると「ひどいところは腰まで水につかった」という。)これから本格的にスキー・スノーボードのシーズンを迎えるというのに、実のところこの16日に各スキー場へのシャトルバスが運行される予定だったというのに、字面通り白馬にとっては「冷水」である。東京に身を置いていたから見当もつかないが、それほどの大雨だったのだろうか。引き金となったのは確かに雨ではあるものの、より根源的な原因は前日から日本列島を覆った「異常な高気温」にあったようだ。
上に掲載したのは、私が6月に撮影した避難指示区域の真ん中を流れる細い沢の写真である。先ごろ11月30日にスキー場がオープンできるほど、先月後半から白馬には雪が降り山にそれが積もった。その雪が「異常な高気温」下で降る暖かい雨にうたれて一気に解け、山肌の土砂を削りながらこの細い沢の上流に流れ込んだ。いくら勾配がきつくても、それだけの物量をこの沢が処理できるわけもなく、土砂災害となって溢れかえった。全壊2軒、半壊2軒、床下床上浸水10軒超、と聞く。12月の白馬がこれほどの高気温になることはなかった。これまでの経験からすると12月に降るのは雪で、それこそがまさしくこの村の「財産」だったのだ。だから白馬の方々は口々に「こんなことはなかった、思いもかけなかった」と驚く。これも表面化しつつある気候変動の一形態に他ならないのだろう。こうした情報がまとまり出した夕方を過ぎると、友人から安否を気遣う連絡が入り始めた。
豊かに自然と隣接する土地が支払う都市部のツケ
「あ、そうですね。すいませんでした。承知しました。またあらためます…」姪はそう告げて電話を切った。16日の夜、冬の予定を確認がてら、姪夫婦がメロン坊やを連れて我が庵に夕飯を食べにきていた。宇都宮で暮らす姪孫たちの来泊予定と、メロン坊やご一行のそれとがまたも重なるようだ。一族郎党そろうと散種荘ではキャパシティが足りない。寝具の不足が生死の問題になりかねない冬ともなるとなおさらだ。しかしあてにしていたホテルをインターネットで確認すると、新型コロナ禍も明けたからか、空室は一部屋のみだったそうだ。なので状況を確認するため、直接ホテルに電話をしてみたという。それも、ニュースに登場した「あの白い建物」のホテルに…。姪は「今は取りこんでいてそれどころではないから日をあらためて電話してください、って。そりゃそうだね…」と恥ずかしそうに苦笑する。私たちはつい、いま目の前にある「現在」をもってして独りよがりになる。想像力を働かせるべきだ。これはフェアではない。現に、豊かに自然と隣接する土地がこうして都市部が大量に撒き散らす温暖化ガスのツケを支払っているのだ。ああ、もうすぐ隠居の身。とにかく、ご近所さんの安寧を祈念する。