隠居たるもの、雪を眺めて計画を立てる。忘年会やら大掃除やら年賀状など、東京での年末進行をあらかた片づけ、2023年12月21日、私はほぼ3週間ぶりに長野の白馬に向かっていた。この間にご近所さんで思いもよらない土砂災害が起き、またその後始末がどのように進んでいるのか伝わってこず、少なからず懐にはざわついた心持ちを抱えていた。発車時刻も含め11月末とまったく同じ経路をたどり、松本駅で中央線特急あずさから大糸線普通列車に乗り換える。気がついてみると、たったひと月で客層はガラリと変わっていた。大きなスーツケースを転がすインバウンドさんが威勢をふるう。またこの冬も「シーズン」を迎えたのだ。

子どもたちがはしゃいでいる。これからバカンスという彼らが「ざわついた心持ち」を持ち合わせているはずもない。信濃大町を過ぎて車内に残るは、ほぼ外国からのお客さんと私たち夫婦だけ。その乗客のほぼすべてがどっと白馬で降りる。彼らを迎えに来た宿泊施設の自動車で駅前ロータリーはごった返す。迎えに来るスタッフもオージーやチャイニーズだ。日本語は一向に聞こえてこない。東京とは比べようもないほどに冬の白馬は「国際都市」なのだ。それぞれの行き先に向かうバスに座を占め、彼らは安堵の表情を浮かべている。私たち夫婦は駅前ロータリーにぽつんと残る。タクシーが来ないのだ。昨冬もそうだったことを思い起こす。クリスマスに近いシーズンの初め、一斉にお客さんが入ってくる白馬ではタクシーがてんやわんやなのであった。

高倉健に教えを乞う

スマホに登録してあるタクシー会社3社に電話しても、どこも「みんな予約で走っていて空きがないんですよ。駅にいるんですか?空いたら行くよう指示はしますのでそのまま待っていてください」との返答、果たしてどれくらい待つことになるのやら…。私たちがよくあたる3人のタクシー運転手さんがいらっしゃる。たとえば会社に電話して呼ぶにしたってドライバーを「指名」してはいないから、いくら台数そのものが少ないとはいえ、この3人に「よくあたる」のは彼らが働き者だからだ。その中に高倉健のような佇まいを醸し出す方がいる(だからここでは「健さん」と呼ぶ)。生まれてからこのかたずっと白馬で暮らしてきた70歳がらみ、運転もきびきびしていてメーターを稼ぐためゆっくり走るなんて卑怯な真似はしない。「こういうときに救ってくれるのはきっと健さんさ」などと冗談を言い合って寒さに耐える夫婦、するとロータリーにひゅうっと素早く回り込んでくる一台のタクシー、乗り場で震える私たちをフロントガラス越しに見据える眼光鋭い角刈りの運転手、果たしてやっぱり健さんであった。

「私が子供のころ、あのあたりには何もなかったんだ」そう健さんは語り出した。行き先を伝えてから土砂災害について尋ねてみたのだ。「ジャンプ台のところまでずっとそうさ。そして、あそこは昔から土砂は出たんだよ。沢が流れていてそこに何かが詰まって溢れることがあるからね。でも山が崩れるなんて、こんなことは一度もなかった。温暖化の影響だね。前はいったん雪が降り始めたら春まで解けることはなかった。それが今は途中で何度も解けては緩むでしょ、そのせいで山それ自体にしまりがなくなって弱くなってる。」生まれてから70年、ずっと白馬の山を見てきた健さんはそう教えてくれた。

ダンプカーの通り道

翌12月22日、朝早くに起きてみると乾雪が深々と降っている。天候によっては今シーズン初滑りに出かけようと希望的に目論んでもいたが、視界もままならないところにもってきて、そもそも先週に土砂災害が起きたほどの雨と高温で、スキー場にしても標高の高いごく一部のコースが開いているだけ、一日中降るという今日この雪を待ってからの方が良かろうと、ならば代わりにこなすべき諸事を並べたてて夫婦はゆっくり朝食を取っていた。すると電話が鳴る、別荘地の管理会社からだ。「これから被災区画の土砂の搬出が始まるんですけど、お宅の前の道がダンプカーが通る道に指定されました。12月30日までの予定です。もしかしたらもう少し延びるかもしれないけど、ちょっと騒がしくなって申し訳ない…」

*土砂災害の被害がもっとも大きかった一帯はまだ避難指示が解除されず立入禁止が続く

昨夕のことだった。エントランスの雪かきをしていると、軽自動車が停まって、この家の外回廊を作ってくれた地元工務店の社長が「久しぶり」と降りてきた。土砂災害のあった区画に建てた物件を確認しに回って来たそうだ。「うちが建てた家はみんな大丈夫で家の中に土砂は入ってなかった。ただね、外壁まで土砂は迫っていた。急がないとな、とにかく土砂を片づけないと。ほら小石とか周りに飛ばしちゃうし、雪が降っても今のままでは除雪なんてできないから。年末年始に必ずお孫さんと一緒に来て、庭先で雪だるまを作るお客さんがいるんだけど、なんとかして間に合うといいんだけどな。今のままでは家にもたどり着けない」と聞いていたから、「申し訳ないことは何ひとつない」と伝えておいた。

「ぼやきのテツ」の一刀両断

予報を超えて雪が降る。「スキー場に出向かないなら買い物をしておこう」と山を下りたのはいいものの、帰りにタクシー待ちができるような空模様では到底なく、電話してスーパーの出入り口まで来てもらうことにした。「プッ」とクラクションを鳴らしてやって来たのは、「よくあたる3人」ではないが私たちが愛するドライバーの一人、勝手に「ぼやきのテツ」とあだ名する70代の硬骨漢だった。行き先を告げると「土砂崩れの影響は?」と問わず語りに話し出す。「昔、ダンプカーに乗っていてね、あのあたりの土地の造成にも関わったんだ。田んぼにもできない本当に何にもないところだった。だから別荘地になったりジャンプ台になったりしたんだけど、結局はそうやって元にあった土地の形を変えちまったわけだ。もちろんこの間の災害は季節外れの高温で雪が解けたのが原因の一つではある。だけど今まで起きなかったことをいいことに、起きてもおかしくないという可能性を見ないことにした長野県の責任は免れない。小さなやつでいいんだ、ダムをひとつ作っておくとか、手は打てたはずだ。え?土砂搬出を30日までに?まず無理だな」

悲喜こもごもの白馬に深々と雪が降る

予報をはるかに超えて雪が降る。雪がやむ明日23日こそは初滑りに出かけよう。スキー場は胸をなでおろしているに違いない。しかし、この雪がやんでしまうと、またしばらく降らず、年末年始にいたっては気温が再び高いという。このまま気候変動が進むとどうなってしまうのか。雪がなくてもインバウンドさんたちは白馬を目指すのだろうか。以前、外国からの観光客向けの大きなホテルの建築現場横を通るとき、健さんは「こんなデカいものをいっぺんに作っちまって、ひとつ間違えればいっぺんに廃墟になるのに…、どうすんだ?どこからでも山が見えてなきゃいけないんだ、白馬は」と呟いたことがある。ああ、もうすぐ隠居の身。彼らは私の師匠である。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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