隠居たるもの、どデカい音に度肝を抜かす。前日から降り続いた雨の影響で、急に上着が必要なほど冷え込んだ2024年10月9日水曜日、先輩が最初にターンテーブルに載せたのは、ジェフ・ベックの名盤「WIRED」だった。スピーカーから聴き慣れているはずの1曲目「Led Boots」のイントロが「ダラダダッダダダッ ダラダッダッダ」と響いたとたん、オーディオセットの正面に鎮座した私たち3人は目を見開き、そして口をあんぐりとさせた。針を落とす直前、「言っとくけど、デカい音でかけるからね」と先輩から注意喚起されてはいたものの、ここまでとは想定していなかった。まるで宇宙戦艦ヤマトの波動砲、「ドンッ」と空気が揺れ圧力を感じる。もしかしたら腰だって少し浮いていたかもしれない。
40年前の「借り」
3ヶ月前に「隠居ロード」を探求するこの省察ブログに「MC型カートリッジに交換」した顛末をアップした。それを読んでくださった大学の先輩から、「ふふ、オーディオの奥深さというものを教えて進ぜよう、夫婦で私の家に遊びにきなさい」という旨の連絡をLINEでいただいた。せっかくのことだし、同好の士である中学高校の同級生 ハーモニカのT師匠も誘ってみると「ぜひとも連れてって」とのこと。しかし面識もない方のお宅にうかがうにあたり、「手土産はどうしたらいいだろう」とT師匠が気を揉む。結局のところ和菓子を用意するという彼の意を受け、酒を飲むことになろうから、私たち夫婦はつまみを調達することにした。深川の庵の近所にキムチパントリーというなかなかに美味しい韓国惣菜屋がある。そこでトラジキムチ(桔梗の根のキムチ)、ニンニクの葉のキムチ、スルメキムチ、そしてチャンジャ、4つの珍味をチョイスしながら「先輩のお宅にお邪魔するのは大学生のとき以来40年ぶりってところか…」などと遠い日を想い起こす。そしてはたと「借り」があったことを思い出したのだった。
大学の卒入学がちょうど入れ替わりだった先輩と私は学生時代をともにしておらず、初めて顔を合わせたのは1983年4月後半の土曜日、新歓コンパで卒業したばかりのOBと新入生としてだった。また先輩の弟が他大学の同系列サークルに私の同期として所属していたこともあって、今日に至るまで深くお付き合いさせていただいている。この弟とは「スキー合宿」という体育の授業に私になりかわって参加し、そして私に卒業に必須な単位をもたらしてくれた、以前の省察に記したあの友だちだ。学生時代に何度か、兄弟が暮らしていたこの調布のお宅に泊めていただいたことがある。そのうちのある晩の話。一学年上に年がら年中いっしょに酒を飲んでいた仲のいい先輩がいて、その人とともにお世話になった。酒が入るとつい気が大きくなる人だった。
ワンパックの鎌倉ハム
家の人すべてが寝床に入った後も、一年上の先輩と私はつまみもないまま2階の部屋でダラダラと飲み続けていた。とろんとした目で「トイレに行ってくる」と部屋を出た先輩、戻ってきた手にはワンパックのハム、「下の台所の冷蔵庫にあった」と嬉しそう。「無断でいけませんよ。朝食に必ずハムエッグが出る家だったらどうするんですか?」と私は嗜めたが、時すでに遅し、塩気を欲する酔っ払いはさっさとパックを開けて指でつまんで口に入れている。「しょうがないなぁ」とか言いながら、私もいっしょになり食べ尽くす。翌朝、「あれ?ハムがない?」と驚くお母さんの大きな声で私たちは目を覚ます。二人はそそくさと先輩宅を後にした。その40年前の「借り」を返すため、少し高価な鎌倉ハムのワンパックをスーパーで買ってキムチとともに持参し、事情を話してお母さんに「お返しします」とお詫びした。「え?もう憶えてないわぁ」とキョトンとするご高齢のお母さん、大爆笑する先輩、「憶えてるわけないじゃない!」とクスクス笑うつれあい。私はというと、長きにわたった「借り」を返すことができて、ひとりよがりにちょっとスッキリしていた。
「オーディオ探訪」
テレビ朝日が放送する「渡辺篤史の建もの探訪」が好きだった。注文設計で新築された一戸建て住宅を俳優 渡辺篤史が訪ねて核心的ポイントを探る番組だ。それにあやかるならば、T師匠と私にとって今回の先輩宅訪問はまさしく「オーディオ探訪」だ。おそらく光が溢れる午前中にテキパキと撮影されているだろう「建もの探訪」と違って、「オーディオ探訪」は酒を飲みながらじっくり音楽を聴き分けるから当然のこと時間がかかる。貧弱なオーディオセットでボリュームを上げるとただうるさいだけなのに比して、そもそもからして各楽器がキレイに分離された素晴らしい音だから、音のデカさも慣れてくればまったく気にならない。ビル・エヴァンスの名ライブ盤「Waltz for Debby」を聴かせてもらったとき、T師匠が「僕はこのアルバムをレコードでもCDでも持っているんだけど、ああ、今までに聴いたことのないあんな音があったんだね」と感嘆した。つまり「レコードに録音されているあの繊細な音を自分のオーディオセットは再生しきれていなかった」というのだ。たしかに名門ジャズ・クラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードでライブ録音されたこの歴史的名作を私も持っているが、同伴者を口説いているようなひそひそとした客席の会話まで鮮明に聴き取れたのは初めてだった。
グッドサウンドを堪能する
このセットの肝となるスタジオ仕様のJBLの大きなスピーカーは40年前からあった。先輩によると「社会人になってとにかくローンを組んで買った」そうで、その後に大きなパワーアンプやコントロールアンプ、LINNのレコードプレイヤー(オルトフォンのトーンアームを含む)をそろえるうち、それまで聴こえなかった音がくっきり浮かんでくるようになったという。道楽というものにキリはなく、私たちはあれこれ語り合う。人気絶頂にあったあの当時の松田聖子のサウンドプロダクションには今では考えられないほどたっぷりお金がかけらていて、あらためてこのセットで聴くとその凄さが如実にわかる、とか、中学高校の同級生に「散種荘完成記念」とプレゼントしてもらって私も持っている「傷だらけの天使」のサントラにおける井上堯之の仕事はいまだ群を抜いている、とか、八代亜紀や都はるみとブラックミュージックの情念における近親性、とか。
ダニー・ハサウェイがカバーして歌うマーヴィン・ゲイの名曲「What’s Going On」に合わせ先輩はベース演奏まで披露してくださった。調子に乗ってつれあいがそのベースでポーズを取らせてもらてもらったのだが、落とさないよう緊張してグッと右手に力がこもっているのが微笑ましい。午後2時過ぎから始まった酒盛りは、先輩の手料理がテーブルに並びつつ9時近くになってようやくお開きとなった。今さらこれほどのオーディオセットを組む余力なぞ私にはもうないから、「このレコード、どう聴こえんだろうな」と思ったら、持参してまた遊びにくることにします。ああ、もうすぐ隠居の身。40年越しに「借り」も返したことですし(笑)。