隠居たるもの、最後のピースがぴたりとはまる。2022年6月6日、アルバイトがお休みとなる月曜日のことだった。そう、ぎっくり腰の発症から5日を経たとはいえ、寝床から這い出すにはとてつもない労苦をいまだ必要とする朝のことだった。就寝中に「もうすぐ隠居の身」にどれほどのアクセスがあったか、お恥ずかしながらそれをチェックすることが私の朝一番の習慣となっている。おしなべて大した閲覧数はないのだが、この日に限っては尋常ならざるアクセスを記録していた。バイト期間中で新たな省察を重ねてもいない。いったいなにがあったというのだろうか。朝食を終えるころ、ブログ宛に「コメント」が送られてきて謎が解ける。34年間音信が不通になっていた古い友人が送り主だった。

「奇跡的に辿り着いた」

「うまく寝つけなくて適当にインターネットを見ていたら、奇跡的に『もうすぐ隠居の身』に辿り着いた。私のことを覚えているだろうか、そしてウザいと思わないのならば、ここに記したメールアドレス宛に連絡をくれないだろうか」そのようなことがコメントには記されていた。忘れるはずもないし、ウザいと思うはずもない。私たちは大学入学時の第二外国語ドイツ語のクラスメートで、在学中大変な仲良しだった。私たちが大学を卒業した時分、携帯電話なんてまだ30センチ四方の箱みたいなものでバブルを迎えようとしていた不動産屋さんがようやく肩から下げ始めたばかりだったし、FAXこそが最先端の通信手段で電子メールが後々ここまで普及するなんて考えもしなかった。つまり簡便な連絡手段がなかった時代に、私たちは大学を卒業して人生の変転を始めたのだ。「仕事」についていくのに精一杯で、つい横着をして連絡を取り合わないうちに暮らす土地も電話番号も変わる。そうこうして再会の機会を得ないまま、ついに音信が交わせなくなっていた。

私はすぐに「今どうしてるのか」と彼にメールを送った。「君と同じくこの春に早期退職し『隠居の修行』に入ったから、なんだったら今日にだって深川にかけつけて飲めるぞ」とのこと。しかし私はぎっくり腰の上に8日まではバイトのある身、お互いのはやる気持ちを抑えて約束は9日の木曜日に落ち着いた。

金楽の親父さんが「焦げて固くなるから早く食べなさい」と私たちを諭す

友人が浅草でどうだろうという。こちとらお互い初心者マークつき「隠居の身」、暗くなるまで待つ必要もあるまい。まだ日も高い午後4時、雷門で待ち合わせることにした。「目印を教えることもなかったが果たして滞りなく落ち合えるだろうか」と幾らかはドキドキするも、取り越し苦労はやっぱりご無用、少し距離があるところからふたりしてお互いを指さしあい、がっちり握手して34年の時が埋まる。「せっかく早い時間に落ち合ったのだから、6時にもなったらまずは入れない半世紀に及ぶ超人気店『焼肉 金楽』の暖簾をくぐろう」と土地勘のある私が誘う。そしてコブクロと上ミノとハラミを注文し、炭火の上に並べた。しばらくすると店の親父さんがやって来て、「美味しいものなんだからね。焦げて固くなるから早く食べなさい」といい歳した私たちをやんわりと諭す。「ああ、ごめんね。親父さん、俺たち34年ぶりに再会したんだ。つい話に夢中になっちゃってさ。」すると親父さんは「ああ、そうなのかい。そりゃあどんなもん食ったって美味しいなあ。でもできるだけ美味しいうちに食べなさいね。」と言ってニッコリ笑った。

https://retty.me/area/PRE13/ARE9/SUB902/100000017078/

欠けていた最後のピース

文学部第二外国語ドイツ語クラスでとても親しくしていた友人が4人いた。もちろん私を見つけてくれたこの友人もそのうちの一人なのだが、彼によるとあと3人のうち2人とは連絡を取り合い今も顔を合わせて遊ぶことがあるそうだ。金楽の通りをそのまま上がってホッピー通りで2次会を始めるころには、彼らが作っているグループLINEに私も入れてもらい、嬉しいことにその日のうちにさっそくやりとりが復活した。58歳となった私のあちこちに及ぶ交友関係は、グループごとに頻度はまちまちながら、たいがいは今までずっと継続されてきた。しかし唯一このドイツ語クラスの4人の親しい友人たちだけうっかり欠け落としてしまい、これまでそのことを思い起こすだびとても悲しい心持ちになっていた。まだ明るい浅草で午後7時半に別れた古くからの友人は、1週間後の6月16日、亡き親父に線香をあげたいからと、わざわざ深川の我が庵を来訪してくれた。欠けていたピースがこれでようやくのこと埋まったのである。

Waiting On A Friend

6月18日の土曜日、34年ぶりに再会したもう一人の友人がいる。年が変わったころだったろうか、懇意にしている弁護士の先輩が、いわゆるオピニオン誌に寄稿したのでそれを贈呈してくださったのだが、それを読み合った数人の先輩たちと感想を言い合っているうちに「巻頭の寄稿が素晴らしいね」と意見が一致した。寄稿したその歴史学者をあらためて調べてみると、あにはからんや学生時代に一緒に歴史の勉強会をしたこともある、学部後輩のあの彼ではないか。めぐりにめぐって連絡を取れるようになったから、感想を言い合った者たちの食事会にこの度ご招待した。喜んでやって来てくれた彼からもらった名刺には「東京大学 教授」と記されている。酒も入ってみなの口が滑らかになり、知的欲求らしきものがさらに刺激される。酔いにまかせて図々しく「これに懲りずに今後ともいろいろ教えてちょうだいね」と持ちかけると、彼ははにかんだように首を縦にふった。

「仕事を辞めて時間を持て余さない?」とよく訊かれる。その度に私は内心こう答えている、「友だちがいるから大丈夫さ」。現に私はぎっくり腰を抱えながらの10日にも満たないこの間で、34年の歳月を瞬時に埋めた。時間を持て余している暇などないのである。ああ、もうすぐ隠居の身。私は友だちを待っている。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

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