隠居たるもの、夜更けのテレビを習いにしない。起きたまま日をまたぐのがつらい寄る年波な昨今、惰性で過ごす深夜は間違いなく身体にダメージを残す。しかし、以前にも表明したように、テレビ朝日系列で放送されている深夜番組「タモリ倶楽部」が私にとってフェイバリット、欠かさずに見る数少ない番組のひとつだ。だからこそ「毎週録画」に設定している。1982年10月にスタートしてから37年にわたる超長寿番組、録画して見るには相応の作法があることに気がついた。
「タモリ倶楽部」は明るいうちに見てはいけない
11月1日と8日の深夜、2週にわたり「第22回 空耳アワード 2019」を、天海祐希まで引っ張り出して放映していた。とりわけ2週目の「USロック部門」にノミネートされた数作品には涙を流してしまった。さすが1年の集大成である。
つまらなかったらつまらなかったで、それすら可笑しい「タモリ倶楽部」である。待ちきれないからといって、土曜日(東京では金曜の深夜に放送されている)の朝にすぐ再生してはいけない。日中の紫外線にほんの少しでもさらされると、魅力である「ゆるさと馬鹿馬鹿しさ」が拡散して、明るさの中にそれが漂い薄まってしまい、笑いもどこか乾いてしまう。身体にシミてこないのだ。ここに掲載した写真は、「写り具合」を考慮して敢えて日中に撮影したものだが、そもそもアンダーグラウンドな番組、暗くなるまで待つのが作法だ。
「タモリ倶楽部」を夕食のお供にしてはいけない
だけれども、もう暗くなったからといって、夕の食卓のBGMにしてはいけない。この偉大な番組が話題に上るときに頻出するエピソードがある。「友だちと一緒にダラダラ見たなあ」という記憶だ。のべつ幕なしではいけなかろうが、人間には「ダラダラする」時間が必要なのである。かつてのことを好ましく想起するのも、まさしく必要であることの明確な証左であろう。この番組には、「楽しくダラダラ」という効能があるのだ。食事という避けて通れない活動のついでに鑑賞したのでは、その効能が大幅に減退する。食事も終え「そろそろ寝ようか」という頃合いに、リラックスして見るのが絶好のタイミングといえる。
「タモリ倶楽部」を泥酔して見てはいけない
「ゆるさと馬鹿馬鹿しさ」は繊細だ。ほろ酔いのうちはそれを把握できるのだが、泥酔となると微妙なニュアンスをつかむことができない。たまたまとてつもない回で、とにかく笑っちゃったとしても、寝て起きると大概おぼえていない。どこがよかったのか反芻しようとDVDレコーダーを起動しても、大体は跡形もなく削除されていたりする。飲んで帰った夜には注意が必要だ。べろべろのコンディションで見るのは見ていないのと同じ結果に陥る、残念ながら多々立証されている。
「タモリ倶楽部」を大画面で見てはいけない
わが庵のテレビは40型。ここまでが限界だろう。壁の全部がテレビのような、ゴージャスな大型画面でこのローファイ番組が流れていることを想像してほしい。空耳アワーの安齋肇や、その作品で縦横に動く空耳役者を60型のテレビで見たいだろうか。そうではあるまい。そんな大きなテレビを所有する方は財力があるのだろうから、「タモリ倶楽部」のために24型ほどのテレビを別途購入することを勧める。かつて「友だちとダラダラ一緒に見ていた」テレビはそれくらいの大きさだったはずだ。もちろん4Kや8Kである必要はない。
「第22回 空耳アワード 2019」グランプリ
「USロック部門」でノミネートされた、フェイス・ノー・モアの「キンダー・ガートゥン」がグランプリに選出された。空耳役者の演技も含め大変に素晴らしかったので妥当な結果だったと思う。
まとめてみよう。録画した「タモリ倶楽部」は、食事も終え「そろそろ寝ようか」という頃合いに、過大な期待を寄せることなく、ほろ酔いもしくはナイトキャップをやりながら、なるたけ小さな画面で見るのが作法である。タモリ氏、いつまでもお元気でいてほしい。多分、あなたのいないこの国のTVには耐えられそうもない。ああ、もうすぐ隠居の身。ともに“毎度おなじみの流浪”をしたい。