隠居たるもの、赤い贈り物に頭をひねる。2023年9月2日、つれあいの還暦パーティーが白馬の散種荘で催された。実のところ彼女の誕生日は二週間前の8月半ば。当初、宇都宮で暮らす義兄たち一族郎党がこっそり上京、メロン坊やの居宅を会場とし、誕生日当日にサプライズでパーティーを開く、そんな算段で計画を進めていた。ところがである、すでにご案内した通り、それと前後してつれあいが胆石発作に襲われる。東京に戻りはしたもののそれどころではなく、サプライズパーティーはあえなく中止となった。あれから二週間、つれあいは「胃と身体がようやく一体に戻った気がする」と口にする。還暦パーティーの仕切り直しである。

幼な子に取り囲まれて

それではそのために一族郎党がわざわざ白馬に参集したのかというと然に非ず(さにあらず)。散種荘の完成から早いものでほぼ3年、これまで機会を作れずにいた宇都宮グループであるが、満を持しての来訪がもとより9月初頭に計画されていた。「それならせっかくだし合流しよう」とメロン坊やご一行も加わる。つまり、そもそも予定されていた一族郎党の「避暑行事」に、好都合とばかり「還暦パーティー」をポンと上乗せしたのである。そうと決まればサプライズにする必要はないから(もともとバレバレだったと思われるが)、消化器に不安を残すつれあいの意向もメニューに反映させ手配する。1日先に到着した宇都宮グループを案内し、夏休みを終え客足の減った47スキー場キッズランドで遊ぶ。

いとこである姪孫たち、3人勢ぞろいするととてつもない破壊力を発揮する。宇都宮グループのお姉ちゃんは5歳、弟はもう少しで3歳だ。そろそろ個性が垣間見えてきたいたずら小僧、四六時中「あれがああなって、そしたらそれがそうなるから、それでもってこんどこれがこうなったら、どうするぅ〜?」といったことを、落語家のなぞかけがごとく独特のイントネーションで間をとり、顔じゅうをニンマリさせながら語尾を上げ少し首をかしげて誰彼かまわず得意げに問いかける。そこに加わるメロン坊やはもう少しで4歳だ。視野に収まる狭いスペースで相乗効果をかもし出し30倍くらいにぎにぎしくなる。当初の予定通り、誕生日当日にほんの数時間だけのサプライズパーティーが催されていたならば、この騒々しさに飲み込まれ、「還暦」のありがたみはあっという間に雲散したに違いない。寝食を共にした先で腰を据えてパーティーに臨む、もしかしたらこれが正解だったのかもしれない。怪我の功名というやつである。

還暦パーティー at 白馬 散種荘

ケーキ店Sweet Shotにあらかじめケーキを予約、みそら野キッチンにオードブルのデリバリーを発注、ききょう屋でさびぬきを含む鮨、SANFERMOからピザをテイクアウト、山間部ではあるが工夫次第でパーティーメニューは充分くらいにそろう。姪孫たちに「ハッピーバースデー」を歌ってもらったつれあいはご満悦である。美味しい料理に姪孫たちもご満悦である。こうして一族郎党の夜はふける。食事を終え、子どもたちは遊びに興じ、大人たちは酒を酌み交わしながら談笑する。そしてどういう経緯でそうなったのか、大人たちはかわりばんこに一人ずつ、歯医者ごっこを始めた子どもたちから「13番の方、診察室へ来てください!」と部屋の隅に呼び出され、否応なく口を大きく開けさせられランタンの光をあてられる。

還暦のおさらい

還暦といえば60歳のお祝い。その由来は、おなじみの十二支(じゅうにし)と、「甲・乙・丙・丁・戌・己・庚・辛・壬・癸」の十干(じっかん)を組み合わせた、干支(かんし/えと)からくる。十二支と十干の組み合わせは60種類、生まれてから60年経ってすべての干支が一巡する。ゆえに「生まれたときと同じ暦に還(かえ)る」という意味で「還暦」なのだ。それでは、なぜ赤いちゃんちゃんこなのか。その理由は、赤い色に「魔除け」の力があるとされた上に、ちゃんちゃんこが赤ちゃんに着せる羽織だったから。病気や悪いものから守るため、かつては乳飲児に赤いちゃんちゃんこを着せていた。「還暦(生まれたときと同じ暦に還ること)」は「赤ちゃんに還ること」、これからの健康をあらためて祈念し、赤いちゃんちゃんこを贈る風習ができあがる。とはいえだ、アパレル一筋に働いてきたつれあいに「赤いちゃんちゃんこ」を贈る勇気を私は持たない。義兄が記念にとオリジナルの渋い手ぬぐいをあつらえてくださったことだし、今回のパーティー参加者からの協力も仰ぎつつ、山と道のリュックサックを赤主体のカラーでカスタムオーダーしておいた。

ついに登場、オオオジー&テッソンズ!

姪孫たちはこの夏の終わりを記憶に刻んでくれるだろうか。たまたま開催日と重なった白馬駅前のお祭りを楽しみ、裏の平川で水遊びをし、青木湖で日本有数の透明度を誇る湖面に親とともにおっかなびっくり飛び込み、そして一族郎党そろってゴンドラに乗りリフトで涼しく風を切って八方尾根を登る。終着点である標高1860m八方池山荘のわきに、白馬三山を臨む小ぶりな展望スペースがある。それぞれの視線は赤トンボでも追っているのか、上の写真はつれあいがそこで撮影したものだ。それにしても予期もしていないこの構図、メロン坊やの母親があたかもこのユニットの「センター」であるかのようで、それがなんともおかしい。

ここ3ヶ月ほどに巻き起こったあの熱狂は本物だったろうか?「さて、そろそろ解散」というタイミングを見計らって、私はハーモニカを持ち出してみた。いささか遊び疲れ気味だった姪孫たちの顔が一瞬にして輝く。T師匠の言いつけを守るべく、うがいをするため我先に洗面所に走る。友人から貰い受けた「お義父さんのハーモニカセット」から姪孫に1本ずつ選ばせる。オオオジー&テッソンズ、壮絶なハーモニカ・インプロビゼーション・バンドがその姿をとうとう人前に現したのだ。還暦の大叔母に捧げられたそれはそれは熱いセッション、リーダーのオオオジーが繰り出すカウントから始まった名演の数々…、残念なことに再現は絶対に不可能、すでに伝説といっても差し支えなかろう。

「胆のうくん」

「この『胆のうくん』、科学技術館で買ったんだっけ?」メロン坊やがつれあいにプレゼントしてくれた臓器のぬいぐるみ。各臓器がそろう中、胆のうが最も売れ残っていたと姪は笑っていた。みんなが帰った散種荘で、贈ってもらった花と姪孫たちが庭から摘んできた花、一番下の男の子のために姪がティッシュとセロテープでこしらえた人形、そしてカーキ色の憎いやつ「胆のうくん」、そんなものを並べて二人は静かにビールを飲んでいる。「この夏の終わりのこと、あの子たちはずっと憶えていてくれるだろうか。大きくなるうちにやっぱり忘れてしまうのだろうか。もったいないよなぁ…。よし、俺たちが必ず憶えておこう。でも俺だって来年は還暦だからな、その方がよっぽど怪しいか…」と私たちは微笑む。ああ、もうすぐ隠居の身。つれあいは「胆のうくん」に「ゼレンスキー」という名前をつけた。

投稿者

sanshu

1964年5月、東京は隅田川の東側ほとりに生まれる。何度か転宅するが、南下しながらいつだって隅田川の東側ほとり、現在は深川に居を構える。「四捨五入したら60歳」を機に、「今日の隠居像」を確立するべく修行を始め、2020年夏、フライングして「定年退職」を果たし白馬に念願の別宅「散種荘」を構える。ヌケがよくカッコいい「隠居」とは? 日々、書き散らしながら模索が続く。 そんな徒然をご覧くださるのであれば、トップにある「もうすぐ隠居の身」というロゴをクリックしてみてください。加えて、ホーム画面の青地に白抜き「What am I trying to be?」をクリックするとアーカイブページにも飛べます。また、公開を希望されないコメントを寄せてくださる場合、「非公開希望」とご明記ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です