隠居たるもの、友あり 遠方より来たる また楽しからずや。先日、品川区は戸越で暮らす中学高校同級の友人が、「山に篭っちゃう前に」といって私が暮らす清澄白河に遊びに来てくれた。とはいえ、37年前に卒業した母校で過ごした6年間に彼と会話を交わした記憶はほとんどないから、「旧交を温める」という物言いは少しもあたらない。同級生であることはお互いに認識しているけれど、友だちかと問われるとお互いに首をひねる、彼とはそんな関係だった。それじゃあわざわざ遊びに来るほどの間柄にどこでなったのかというと、それは昨年の5月に端を発している。
2019年5月18日 6年C組同窓会で
昨年の5月の土曜日、当時の担任の先生を囲んで高校3年C組の同窓会が、母校近くの中華料理屋で開催された。中学と高校がつながっている学校なので、私たちは高校3年のことを6年とも呼んでいた。私はB組で本来はC組の同窓会に参加するいわれはない。しかし、母校同窓会における学年全体の世話人連の末端につらなったりしているものだからお声がかかり、それをいいことに図々しく顔を出していたわけだ。奇しくもその日は私の55回目の誕生日、そしてそれを期してこのブログ「もうすぐ隠居の身」を立ち上げ、第一段の省察「Why『もうすぐ隠居の身』?」(https://inkyo-soon.com/why/)をアップしたばかりの日でもあった。同窓会らしく近況を語る順番が巡ってきたときに、達成感と高揚感から、照れを笑いに転化しつつも意気揚々と喧伝したことは当然のご愛嬌であろう。その日をきっかけに、彼と私はまずはFBの「友だち」になった。彼は、私のFBにもこのブログにも目を通してくれる。私も彼の投稿に「いいね」する。どんなことを好むのか、どんな風に考えているのか、へえそういう音楽が好きなんだね、なんだ同じ展覧会に足を運んでいるんじゃないか、そんなことがわかり始めると「今までろくすっぽ話したこともないけど、実はウマが合ってるんじゃなかろうか」そう思うようになる。
「ナボナはお菓子のホームラン王です」
「お菓子のホームラン王」亀屋万年堂のナボナと、ボブ・ジェームス、ジョージ・ベンソン、そして松岡直也のレコードを手土産に彼は清澄白河にやってきた。C組同窓会を経た昨年の暮れ、やはり同級生20人くらいの忘年会で顔を合わせ少しは話をしたが、それっきりのそれ以来だ。今回の趣旨は「とにかく2人で話をしてみよう」暗黙だけどそういうことだ。こちらは、フォークウェイズ ブリューイングでクラフトビール、それから新型コロナ禍で久方ぶりの「おでんやすだ」で芋焼酎、昭和のプロレス風にいえば必殺のフルコースでもてなした。
「このレコード、好みじゃないだろうけどね」とフュージョン好きの彼は前置きをする。何を言う、だからこそいいんじゃないかさ。私たちのようないわゆる「好事家」という因果な者は、好きだとはっきりしているものは自分でそろえちゃうだろ?未知のものに触れるにはこうしたきっかけが必要だ。とてもありがたい。いろいろな話をした。つれあいが途中から加わり、さらにいろいろな話をした。憶えていないくらいにいろいろな話をした。3月初旬に「ヤスの兄貴の形見分け」(https://inkyo-soon.com/yasu-brother/)という省察を著したが、彼は中高のみならず大学でもヤスの兄貴と縁があって、それが故にその省察もしみじみと読んでくれたそうだ。ヤス、今これをどこかで読んでるか?時間はあっという間に過ぎた。せっかくだから肩を並べた写真でも撮っておけばよかったのに、あまりに楽しかったからか、残っているのは「おでんやすだ」のメンチカツの写真だけだった。
実は3年A組で同じクラスになっていた
13歳になる中学1年に入学し、それから2、3年くらいで今日までにいたる友人関係のコアな核ができあがる。違ったクラスとなってもクラブ活動を含めそうした友だちと遊ぶから、毎年クラス替えがあってもそれはさして重要なことではなくなる。清澄白河に遊びに来た彼と「同じクラスになったことがあったっけ?」と探り合うのも、入学年と卒業年のクラスくらいしかよく憶えていないからだ。どうやら中学3年の時、A組で一緒だったようだ。今や厚生労働副大臣になられた同級の三原じゅん子先生が、荒川区の3年B組でボディを打つよう促していたあの年だ。彼は、当時の私を「ボディを殴るようなピリピリした空気を発する者」と思っていて、おいそれと話しかけないようにしていたそうだ。大いに笑った。そしていつものように、その当時に私たちに漢文を教えてくれたアル中の先生のことを想い出す。考えてみれば、当時の先生は今の私たちより少しばかり歳が上くらいだったのではなかろうか。まだ成長過程で身体が小さかった同級生が、先生の吐く息で酔っ払っちゃうくらいに先生はいつも酒臭かった。
朋有り遠方より来たる、亦た楽しからずや
孔子の「論語」である。書き下さない原文は「有朋自遠方来、不亦楽乎」。本来は「友」ではなく、「朋」なのだそうだ。「友が遠くから訪ねてきてくれるのは大変に嬉しく楽しいものだ。特に同好の志を持つ者との交わりは人生を豊かにする。人生の最高の楽しみの一つは、仲のよい友人とともに酒をくみかわし、歓談することである」彼は戸越から都営浅草線と都営大江戸線を乗り継いでやって来た。それほど遠いわけではないが、わざわざ電車に乗って話をするためだけにやって来てくれるというのは嬉しいものだ。新型コロナ禍で在宅勤務になっていて平日でも融通が効き、馴染みがない「清澄白河を探索してみたかったんだ」とも言っていた。会いたい時に、会いたい人と顔を合わせることができる。やはり「今日の隠居像」を模索する修行には自由闊達であることが重要だ。ジョージ・ベンソンのライブアルバムは素晴らしかったし、君が「どうだろう」と気にしていたボブ・ジェームスのレコードもこれからだって聴くだろう。「それでも」と力説していたナボナの感想については次に顔を合わせた時に話すことにする。そうそう、今度ハーモニカを、ブルースハープを吹けるように教えてくれるんだよな?機会を逃していたけれど、36年からの時を経て、あらためて友だちになり直した感じである。君のFBを締める決め台詞を今回は拝借しよう。ああ、もうすぐ隠居の身。今日もお天道様に感謝だ。